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8/31
西暦2000年、ミレニアムイヤー。
この年は僕にとって大変大きな意味を持つ一年だった。
スポーツザウルス社も2000年ということで
主要都市で単独の展示会をすることになった。
福岡は2月27日
ここで友の会は
スポーツザウルスの新製品展示会に
バルサファイブオールアールアーのコレクションを
展示してはどうかと持ちかけた。
社長である則さんは
「おお、いじゃないか」と軽くひとつ返事だったが
営業サイド側は当然、NGである。
今年の売れ行きを左右するかもしれない展示会に
いわば「遊び」を持ち込まれては困るということだ。
今の僕ならこのNGは理解できるが
当時の僕にはさっぱり分からず
少々強引な手段を使ってなんとか了承をもらった。
もらいはしたが
会場設営時からピリピリしていた事を覚えている。
とにかくお客さんに喜んでもらえるよう
頑張るしかなかった。
会場がオープンしてどっとお客さんがなだれ込む。
たしか入場制限がかかったと思う。
僕は友の会のブースの前で準備していたが
すぐに則さんに呼ばれることになる。
「おのやまー!バスロッドの説明をしてくれ」
当日、午前の部は業者時間
釣具店や問屋さんにバスロッドの説明をしろと・・・
僕はいちユーザーなんですけど
などとぶつぶつ言いながらも
お役に立てるのならとすぐに背筋を伸ばして
展示ブースのほうへ向かった。
周りを見れば
各ブースにテスターさんや社員さんたちが
説明をしていたが
バスロッドのコーナーには誰もいなかったのだ。
普段からヘビーユーザーでもあり
また開発秘話や、こだわりを聞いていたので
意外とどうにかなるもんだ。
説明した新製品のロッドに対して
「納品はいつ?」と聞かれたときは
さすがにそこは営業の方を呼んだけど
後ろ手にグッと拳を握って嬉しさを殺していた。
「好きなものを人に説明して売るって面白い」
説明しながら陳列してあるロッド群越しに
友の会のルアーブースに目をやると
凄い集客をしている。
嬉しかった。
沢山の来客があり
則さんもご満悦のようだった。
夕方になり片付けを済ませ
みんなと別れを告げる。
どっと疲れがでる。
遠方からきた友人たちとあまり話していない
意外といっぱいいっぱいだったみたいだ。
「好きなものを人に伝える」
そればかりを考えていた。
ここでスイッチが入ったのかもしれないな。
つづく
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8/28
ぐでんぐでんに酔っていながらも
宴会での吉田幸二さんの話はしっかりと覚えている。
「いいものは100年残る、かならず残る」
この言葉は
バルサファイブオーや道楽のルアーの話だったと思うけど
僕はこのお話を聞いたときルアーは作っていなかったので
その言葉を「言葉」や「行動」と捉えた。
今でもしっかりとこの言葉が僕の中にある。
あんなに酔っていたのに
この言葉だけはしっかりと覚えている。
次の日の朝
早々に帰る長崎組のために
矢木くんが羽田まで車で送ってくれるというので
6時にホテルのロビーに集まる。
驚いたのは
そこには藤原ユーイチの姿も
あんなに酔っていたのに早朝から
見送りに出てきてくれた。
今でも付き合いがある大切な悪友である。
会のイベントから帰るたびに
僕の中で則さんやスポーツザウルスのために
何かできないかと常に思うようになる。
則さんに憧れて
バルサファイブオーが好きで
この釣りが好きだった、いちユーザーが
こんなに濃密で素晴らしい経験ができたことは
会のみんなのお陰ほかならない。
インターネットの普及とともに
様々な新しい事が起きる前触れだったのだろう。
世紀末問題などと大騒ぎをしながら
1999年は幕を閉じた。
つづく
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8/27
千葉県木更津にある
スポーツザウルスで
忘年会をやろうということになった。
たぶん、則さんからのお誘いだったと思う。
行くよね、絶対行くよね。
バルサファイブオーが作られている
工場を見学できるチャンスなんて
こんなチャンス!行くよね。
そして、
その奥には
男の憧れというか夢というか
釣り道具やら、すっげーオーディオやら
詰め込んである
則さんのログハウスがある。
絶対行くよね。
それまで仕事を必死でこなして
11月27日に羽田空港に降り立った。
そこには関西のメンバーと
恐ろしいたたずまいであの「藤原ユーイチ」が、
仲が良かったサーフェイスバンデットの「KAZ」もいた。
いつも迎えに来てくれる関東のメンバーの車に飛び込み
東京湾に浮かぶ「海ほたる」に驚くきながら
対岸の木更津へ向かう。
道路からそれ雑木林の中を走ると
あの本で見慣れたスポーツザウルスの社屋が現れる。
そしてその奥にはあのログハウス。
車から降りて人の多い方へ向かうと・・・
「おのやまー!」
みんなの会話をつんざく野太い則さんの声
「もう、ったく・・・」なんて言いながら
ニヤニヤして駆け出したのを覚えている。
ひととおり挨拶をしたあと
しばらくは則さんのとなりで飲んでいた。
吉田幸二さんがいる、道楽の山根さんがいる、
松本さんに山科くんもいる
トップウォーターバスフィッシングの牽引者たちが集う。
が、
やっぱり気になるのはロッジ
中を見ていいですか?と了解を得て
ドキドキしながら中に入る。
誰もいないと思いきや
関西のメンバーと藤原ユーイチがどーんっと座って
持ち込んだラム酒を飲んでいた。
ここでユーイチと意気投合
怒涛の飲み合いになる。
持ち込んだ酒はすぐに空となり
ココに沢山あるやんかと
則さんのお酒のコレクション棚を勝手にあけ
ブッシュブッシュと栓を抜く。
のちに
「あの二人を揃えるな」と語り草になった事件である。
だけどこの無断飲酒事件について
則さんから怒られたことはない。
話はそれるけど
則さんの奥さんに初めてお会いした時に
「あなたね!うちのお酒を飲み干したのは!」
とこっぴどく怒られた。
お酒が足りなくなって
その日、山根さんが則さんに手土産に持ってきた
高級シャンパン2本も飲み干した。
これは栓を開ける前にかなり止められたけど
二人が止まるはずもなく
栓を開けて飲みだしたら
周りから人が離れていったのを覚えている。
淋しがり屋の二人も外の皆に合流した。
外で飲んでいると
則さんからドンペリを渡された。
もちろん則さんはロッジのお酒がなくなっていることを知らない。
僕はかなり酔っているもんだから
なかなかスムーズにドンペリを開けきれすに手こずった。
手こずった挙句が
開けた途端に噴水となって
半分はこぼしてしまうという大失態をやらかす。
誰と何を話したかまったく覚えていない
とにかく藤原ユーイチと飲んだ記憶しかない。
そこから夜の宴会場があるホテルにバスで移動するのだけど
吉田さんと山根さんに挟まれておとなしくしていたのではないかと思う。
たぶん。
おでこに山根さんに落書きされていたので
おとなしくしていたのだと思う。
たぶん。
夜の宴会場では
ユーイチとふたり、ドロ酔いをすぎて
ドロになってぐっちゃりしている写真が残っている。
あんなに飲んだのは久しぶりだった。
まったく貴重な宴会だったのにね。
つづく
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8/26
地元に帰ってきてから数日は
夢のような現実に仕事に身も入らず
だらだらとしていた。
そこに届いた一通の封書。
則さんからだった。
「オマエの中に熱い物を見つけた」
そう書いてあった。
なぜか、その一行を見て
うるうるとココロが揺れたのを覚えている。
最後の言葉は
「漁夫、二竿を持たず」で締めくくってあり
それは
ひとつの事を必死でやれというメッセージだった。
目が覚めた。
この人から呼ばれたら
すぐに飛んでいって役に立てるようになろう。
そのためには今の仕事を一生懸命やろう。
則さんの携帯電話の番号が書いてあった。
書いてあるってことは
電話してこいってことなのであろうから
恐る恐る手紙のお礼も兼ねて電話してみる。
「はい」
憮然とした起こっているような声。
うむ、タイミングを間違えたか。
「長崎の小野山」と伝えると
「おーおー!」
何かあったら
何もなくても電話してこいと言われた。
則さん、電話をかけると喜ぶのである。
これ以降は僕の番号を登録したみたいで
およそ神様とは思えない軽くかわいい声で
「あいよ」
と出てくれるようになった。
そうして夏の暑さも緩み始めた9月
もう一度、八郎潟で釣りをすることになったけれど
サラリーマンの中間管理職。
そう安安と出ていけるものではなく
とても残念。
だけどまた
会のほうにビッグニュースが入る。
つづく
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8/24
次の日の午前中
仲間たちと釣りを楽しみ
我々、九州組は飛行機の関係で
先に上がることになっていた。
バタバタと身支度を整えていると
「おのやまー!」
則さんがこちらにやってきた。
呼び捨てされて昨日の挽回が
夢ではなかったと感じる。
茶髪のロン毛、アロハ姿のチャラ男に
右手を差し出してくる則さん。
有難うございます。と手のひらを握る。
「おのやまー、握手というものはな
こうやってするんだ」
親指の付け根、奥と奥をグッと合わせてしっかり握る。
則さんは「うんちく」が多い。
思い返せば
あまり釣りの事を教わっていない。
「男として」大事なことだったり
「人生を歩んでいく」ことに大切だったりもする。
もちろん、つまらないことも多かったけどね。
握手。
則さんから沢山の事を教わったが
それが最初に教わったことだったかも知れない。
ずんぐりとした肉厚の握りにくい手だった。
車で来ていたメンバーの方に
秋田の空港まで送ってもらう。
思い出話で盛り上がってはいたが
頭の中は何かこう
ジグソーパズルが完成しつつあった。
地元の友人から
ブラックバス釣りとバルサファイブオー
そして則さんという人がいて、と教わって
そこから何年もその釣りを楽しんでいたら
則さんと会い、釣りをし、酒を飲んだ。
夢が叶った。
夢が叶った?
叶ったというのはココがゴールなんだろうか。
僕の頭の中は充実感というより
この先の期待感のほうが大きかったように思える。
バルサファイブオー、そして則さん。
自分がとてつもないシアワセな時間を過ごさせてもらったから
何か役に立つことをしたい。
そのことで頭がいっぱいであった。
1999年7月18日のことである。
つづく
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8/21
北国のラーメン屋
前髪がないと食事がしやすい。
太陽が出ている時間
まったく冴えなかった反動で
ラーメン屋ではずいぶんと大騒ぎしたのを覚えているが
大量に流し込む酒のせいもあって
話の内容はあまり覚えていない。
ただ、お調子者の僕は
神様、則さんのことを「オヤジ」と呼んでいた。
実は則さん、あとで聞いたのだが
「オヤジ」と呼ばれることはあまり好きではなかった。
理由は色々あるけれどね。
歳が離れていようが
釣りという趣味で知り合った「友達」「仲間」でいようと。
だけどこの頃には
僕がどんだけ調子に乗ろうとハズそうと
にこにこして「うんうん」と聞いてくれ
間違ったことをするとすぐに「バカヤロー」と
直してくれた。
最初に「バカヤロー」を言われたとき
素直に嬉しかった。
それに喜んでいると「オオバカヤロー」と
上級バカを頂きました。
宴が進み
則さんも酒が入っていたのだろう。
向かいに座る○○ちゃんと僕に
「オマエら、俺が死んだら棺桶をかつげ」
そう真顔で言われた。
そう言われた人はそこそこ居るのだろうけど
さっきまで神様だった人から
真顔で言われちゃ
胸の奥にあるしっかりと組み立ててきたパズルが
バラバラと崩れていったような感覚だった。
21年前の色あせてきた写真に
ふたりがまるで怒られたいたずらっ子のように
目を真っ赤にして泣いてる写真がある。
僕はその辺でこと切れて
則さんに足を向けて寝てしまった。
どれぐらい経ったのか
ふと気が付くと
初めて釣りをした大分から宮城に移住したメンバーが
そろそろ帰るというところだった。
そう、彼は宮城から秋田県八郎潟まで車を飛ばしてきていた。
「オヤジー!車にサインしてやって!」
と、復活したお調子者の僕。
「おうよ!」と自動車のボンネットいっぱいにデカデカと
則 弘祐とマジックペンでサインする、さらにお調子者の神様。
みんなの笑い声は暗い空へと響き、そして吸い込まれていく。
つづく
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8/20
真夏の桟橋。
冷えたワインを皆に振舞う神様。
僕にはまわらず。
ココロに北風。
クチビルは動かず
ただただタックルボックスの中のルアーを見てるだけ。
確かにね
茶髪のロン毛
ヒゲにアロハシャツ
首や手首にはジャラジャラ輪っか。
それに付け加えマナーも悪ければ
振舞われないワインよりも冷えた言葉を発する。
こんなヤツは煙たがられるんだろう。
それでも一発デカイ魚を釣れば
釣り魂を見てもらえると思えど不発に終われば
僕に認めてもらえる手段はもうない。
もう何もない。
何もないのか?
円の宴は僕以外は盛り上がったまま。
話の内容は今となっては忘れてしまったが
何かが「できるか、できないか」だったような気がする。
何もないのか?
何もないのか?
ある。
あった!
凹んでも2秒で立ち直れるハートの強さ。
「お、俺は!・・・」
則さんはこちらを向かないどころか反応もしない。
「俺は前髪だけバッサリ落とせますよ」
「バッサリ」の段階で言いながら
ああ、またスベる。やっちまった。そう思った。
「やってみろよ!」
語尾を荒らげ、則さんが僕を初めてちゃんと見た。
いや、見たというか睨みつけた。
その眼光は「口ばかりの軽い男」としての睨みだ。
僕が持ってるものはまだあるぞ。
諦めの悪さ。
そして、有言実行力。
「やってやるよ!」
とまでは言わなかったけれど
確か、雷魚用のラインカッターのハサミだったと思う。
ハサミで自分の前髪を鷲掴みにして根元から切り落とした。
茶髪のロン毛、おまけにチャラ男が、である。
どうだ!とばかりに則さんを見返す。
沈黙。
相手は笑顔にならない。
あー終わったな。
もういいや、九州まで帰るか。
則さんは前かがみになって
足元にある自分のタックルボックスをガサガサと探る。
「オマエ、これやるよ」と
通常のラインナップに無いカラーの
ペンシルベイトルアーを僕に差し出した。
「コレはな、特別に塗ってもらったんだよ、ほら」
この人
僕がこのルアーをじっと見ていたことを気づいていたんだ。
確か茶髪のロン毛でアロハジャラジャラなチャラ男は
前髪がなくても、ちゃんとお礼は言ったと思う。
夕方まで釣りをして
八郎潟湖の近くのラーメン屋だったか
みんなで飯を食おうということになり
風呂で汗を流したあとに店ののれんをくぐる。
「おのやまー!こっちこいよ」
則さんの野太い大きな声。
則さんの座るテーブルが空けてあった。
ま、たぶん、みんな則さんと同じテーブルでは
飯も喉に通らないだろうから空いてたんだと思うが
なによりも
「おのやま」と呼び捨てされたのが嬉しかった。
容赦ない夏の太陽が隠れて
成りを潜めていた北国の涼しい風が
僕のココロにもそっとそよいできた瞬間だった。
「よし、飲もう!」
つづく
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8/19
北国とはいえ
7月18日の太陽は容赦なく釣り人を焦がし続けた。
午前のここち良い風はすっかりどこかに行ってしまった。
交代で乗せてもらったボートで帰ってくると
桟橋ではすでに則さんを囲んで盛り上がっていた。
仲間たちの背中を見ながら道具をまとめ陸に上がる。
そのうちの一人が僕に気づき
「どうだった?」と声をかけられるも
首を横に振るしかない。
僕からは遠い円の中心にいる則さんの
「だろうな」の顔。
僕を見もしないで
「アイツがボートを降りたとたんだよ
ドッカーンっと魚が出てさ・・・
アイツ疫病神だな、ガハハ」
どうやら僕が降りたあと
一緒に乗り込んだ相棒が釣ったらしい。
ココロの落ち込みを見せるのもシャクなので
ふっふっと笑ってみせる。
円の外にいるなんて
何十年ぶりだろう・・・
仲の良い友人が冷えたワインを持ってきた。
満面の笑みで喜ぶ則さん。
「おお、○○ちゃん分かってるね〜」
そっか、彼はもう名前を覚えてもらってるんだ。
しかも「ちゃん」付けかぁ。
すると○○ちゃん
「あざーっす、俺の血はワインが流れてますから!」
なんとも薄い普通の返しだこと、と思った。
しかし則さんは「そうかそうか」と笑っておられる。
どうも機嫌が良さそうだ。
もしかして挽回のチャンスか!
僕は円の隙間に半ば強引に入り込み
則さんの足元にあるタックルボックスの前に腰を下ろした。
何か、何か言わなきゃ始まらない。
「お、俺の血はファイブオーっす!」
それまでの人生で、いや、
生まれてから今日のこの日までの人生で
一番シラケた瞬間だった。
なんていうことを言ってしまったんだ。
則さんはワイングラスを見たまま
「ん」
「うん」ではない、短い「ん」
それは返事ではなかったな。
ハイハイ分かったからもういいから的な
まるで句読点だった。
1999年の夏は帰ってはこなかった。
今すぐ帰りたい・・・
つづく
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8/18
則さんが操船するG3ボートは
桟橋を離れ北進する。
なんとか落ち着きを取り戻そうと深呼吸。
ここまで追い込まれては
そう簡単に落ち着くものではない。
そしてまたしくじる。
バッグからタバコを取り出しライターで日をつける。
とりあえずライターはスポーツザウルスのターボライター。
則さんに見えるように火をつけたのを覚えている。
今、考えればなんとも恐ろしい。
則さんは嗅覚の優れた犬のために
タバコをやめた人だ。
もちろん、俺の前で吸うな、という野暮な人ではない。
しかし神様というか、雲の上の人というか
そういうの抜きにしても
目上の人が操船してくれているのに
前で断りもなくタバコを吸うなんて
そんなマナーをミスる僕ではないのに
なんでアソコで吸ったのか・・・
たぶん、緊張やアガることに慣れていない人間が
極度にそういう状態を経験すると
こうなるという悪い見本だったんだろう。
桟橋を出てからボートの中は終始無言だった。
湖面を吹き抜ける乾いた風が生まれた北国の夏の空は
高く、青かった。
僕の頭上以外は。
ボートは
ジュンサイの浮き葉が広がるポイントの手前に止まり
風に任せてゆっくりと流れていく。
「ここは昨日、50センチアップが出たんだ」
当然、釣り師
この言葉に反応する。
後ろの神様も釣り師。
ここでガツン!っとデカイ魚を釣れば
僕に対する冬の木枯らしも止むだろう。
認めて貰いたかったんだろうな。
こういう広いポイントはロングキャストをして
探っていくに限る。
ウイードレス効果のあるダブルフックに変更した
ホッツィートッツィーをテイクバックした。
「行け!僕の名誉!」
固く引き締まった筋肉がボロンの竿に力を与えた。
ホッツィーの初速よりもはるかにリールの回転のほうが優った。
バッグラッシュ。
普段、やったこともないような特大のライントラブル。
必死で対処するも解いてるのか、もつらかしてるのか。
夏の空に遊ぶカッコウの声。
ようやくもつれたラインを解き
流されたラインを回収する。
と同時にボートは対岸に移動する。
そこで釣りをしていた仲間のボートに近づく。
僕は今まで何事もなかったように
背筋を伸ばして余裕の笑みを振り絞る。
則さんが言う。
「もう交代していいんじゃないか?」
僕は暗い闇にすっぽりと覆われたココロを隠しながら
仲間に明るく「代わろう」と声をかけた。
1999年の夏が終わった。
今すぐ帰りたかった。
つづく
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8/17
「そんな熱い連中がいるのなら
一緒に釣りをしないか?」
縁が縁を呼び
この釣りの神様
則さんから会に声がかった。
縁が円になった。
「八郎潟にいるからさ、来いよ」
近々の誘いに喜び驚いたものの
その時、僕はサラリーマン。
八郎潟は秋田県
週末を利用しても簡単な距離ではない。
金曜日の最終便で羽田に降りると
会でチャーターしてもらったバスに乗り込み
夜中に八郎潟へと向かう。
たしか、バスの中では
道楽さんのビデオを見ていたような(笑)
修学旅行みたいで楽しかったなぁ。
朝方、八郎潟の湖畔に着き
桟橋に目をやると
いた。
沢山、人がいたけれど
すぐに見つけた。
見慣れたカウボウイハットにアロハシャツ。
カーキの半ズボンにブーツ。
雑誌で見慣れた人そのまんまだった。
僕が釣りを始めるキッカケとなった
「バルサファイブオーってルアーがあってね」
「則さんって人がいてね」
師匠たちから散々聞かされた人が
目の前にいた。
デレクターチェアにドンっと座り
周りには使用しているタックルが並ぶ。
足元には雑誌で見慣れたタックルボックス
グリーンのアムコが両ウイングを開いて
まるで雑誌の1ページを撮影しているようだった。
僕はいがいとカチコチだったかも知れない。
紹介を即されて後ろから出て行くと
「よく来たな」と右手を出された。
僕も右手を出し
則さんの手のひらを掴んで握手すると
ふっと冷めた感じにかわった。
カチコチながらも営業管理職。
僕はそれを感じとった。
「で、どうすんだ?」
則さんが社員さんたちに言うと
「一緒にボートで釣りを」ってことになり
これまた皆に即されて
トップバッターで則さんが操船するジョンボートに乗り込んだ。
バスを降りたてで遠足気分だった僕は
当然、道具の準備もやってなく
気持ちと道具の整理に
思いっきりドタバタしたのを覚えている。
そして最悪の釣行が始まった。
つづく
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8/12
今日はザウルスキング20周年の日です。
20年ですよ!
1997年にインターネットの売買掲示板に
アンバサダー5000Cを売りに出したのがすべてのキッカケです。
それを買ってくれたのが縁で
千葉に住む彼と色々と話していると
お互いバルサファイブオーが好きだった。
そこから「50友の会」というのを
ネット上に彼が立ち上げて始まりました。
まだまだそんなにインターネットが普及しているわけでもなく
また僕が知識を持っているわけでもありませんでした。
僕のパソコン自体のレベルはまったくのゼロ。
「50友の会」には交流の場としてのレンタル掲示板があって
そこは一週間書き込みがなかったら削除されるという
規則があった。
僕はカウンターを上げるために何をしたかというと
「F5」を押せば済むのを
そんなことは知らないので
一回一回、パソコンの電源を落としてアクセス数を稼いでました。
信じられないでしょ?
もっと信じられないのは
パソコンの電源の落とし方を知らないので
デスクトップの電源ボタンをブチッを切ってました(笑)
会社のパソコンごめんなさい・・・
そんなこんなで続けていると
全国からファイブオーファンが集まってきました。
各地でオフ会や釣行会も開催され
ネットの中で楽しい毎日を過ごしてました。
ネットで知り合った人と初めて会ったのは
大分県のメンバー。
一緒に釣りがしたいねとの話から
ジョンボートを車に乗せて大分まで走りました。
ネットで毎日のように話していたから
ぜんぜん初めて会った感がなくて
忘れっぽい僕でも
あの時の湖上のシーンは今でもしっかりと覚えている。
なにより、
彼は宮城県に引っ越したり、
東京で単身赴任している今でも
時折、電話で話をする仲だ。
たぶんずっとこのままの感じで
付き合っていくのだろうな。
歳を重ねても
こうやって永く付き合える友人ができるなんて
今となっては驚きだ。
そんなネットの世界で
同じ好きなモノ同士が集まって遊んでいたら
1999年、あの暑い夏がやってきた。
つづく
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8/11
ああああああああ!
明日、12日じゃないか!
明日、ザウルスキング
20周年だーーーー!
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8/7
エナジードリンクね。
つい飲んでしまう。
一説によると
「あれは体をごまかしているだけ」
覚醒ってやつね。
結局は睡眠と栄養摂取なんだよね。
でも覚醒って言われると
カッコイイじゃない。
やっぱり飲んじゃう(笑)
佐世保には米軍基地があって
そこの自動販売機で
日本人でもモンスターが買えるんだけど
日本のコンビニで買うそれとは味も値段も違う。
量も多いしね。
見たことない味も揃っているし
ついついそれに頼ってしまう。
ふふふ、私は覚醒してるのだよ(笑)
来週はお盆ウイーク
どこにも行けないかな〜
それでは皆さん
よい週末を!
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8/6
ん〜これは捜査せねばなるまい。
タイランドで2012年
バイクに乗った警官をひき逃げして死亡させる事件がおこった。
容疑者はすぐに捕まったが
捜査当局は訴追を見送った。
訴追見送りの決め手は
ある男の目撃証言だった。
「時速80キロ以下で走行していたフェラーリの前に
警官のバイクが飛び出した」という。
検察は
時速170キロで運転していたという専門家の分析結果をもち
また運転手は当時、コカインを使用していたという疑惑もでてきた。
そのフェラーリの運転手は
世界的な栄養ドリンクメーカーの「R」
その創業者の孫である。
当時、富裕層を優遇と国民の反発を招いていた。
時速170キロの分析結果がでたのなら
その男の証言の真意はどうなんだ?
ある男は
すでに交通事故で急死していた。
まるで映画のような話であ〜る。
むかし昔、僕は映画を作りたいと思っていたが
友人から
「映画作りは金がかかるらしいぜ」と進言されていた。
やはり映画は金持ちが作るものなのか・・・
ちなみに僕は「Monster」派である。
理由は「R」より量が多いから(笑)
ちっちゃ・・・
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8/5
ああ
チョコモナカジャンボの
板チョコになりたい小野山です。
あっちーなぁーもう。
なにやら世界中に中国から種が送られてきてるようだけど
うちには来てない!
いかんヤツと分かっていても
来ないと歯がゆい。
損した気分(笑)
植え育てたら
どうなるんだろうね。
「植えてはいけません」なんて注意してるけど
テストしてみたのかな?
いがいと珍しい種類で
高く売れたりして(笑)
ん〜お金の匂いがする(笑)
植物でお金といえば
「金のなる木」ってあるじゃない。
これ買ったらお金持ちになれると考え
3回ぐらい買ったけど
毎回、なんかの拍子にポロっとプランターから抜けて
イラッとする(笑)
根っこが育たないんだもん。
お金が入ってこないってことかな?
あれは名前変えて欲しい。
でないと、、、また買っちゃう(笑)
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8/4
やたらと言葉を省略する世の中は
どこから来たのか?
Twitter かなぁ?
投稿に文字制限があるので短くなったとか?
あ、?マークばかりでごめんなさい。
「ヤバ!」はヤバイでしょ。
「ムズ!」は難しい・・・かな。
「ゲロ!」は嘔吐したでしょ・・・そんなんないか(笑)
今日、初耳な省略言葉を聞いて
素直に応えた僕。
店内を物色中の若者の
「ナッツ!」との叫びに
「ねー毎日暑いよねー、クーラー強くする?」
と、優しさ満開で答えたのに
ナッツな若者は知らぬふり。
おーおー・・・シカトかい。
しかし彼の次の言葉で意味が判った。
「このルアー久しぶりに見たわー」
あ、あー、ああーーー
もしかして
懐かしいの「ナッツ」?
それ言う???
最近の若者は面白い(笑)
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8/3
夜中帰るときに必ずひっかかる信号がある。
バイパスを登りきったところにある信号で
右にBMW
左にメルセデスの販売店があり
そこを左に曲がると皆さんご存知の
ジャパネットたかたさんの本社です。
必ずその信号で止まるのですよ。
先日もまた赤信号。
しっかり止まりました。
そのまま・・・
ゴーーーーーっと
もの凄い音がしたので
ハッとしたら
凄い勢いで横をトラックが走って行った。
なんと・・・そのまま寝てたみたい(笑)
どれぐらい寝てたんだろ。
一瞬かもしれんし
ふた信号過ぎてたかもしれん。
怖い怖い
なにもなくて良かったよ
8月の元気にまいりましょう!
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7/31
げっ・・・7月って、もう終わりじゃん・・・
いつまでも雨降るし
台風来ないし
いつまでもマスクしてるし
ガキ共がうるさく遊んでないしで
季節感が鈍ってるせいで
7月が終わるのに気づかんかった。
夏のイベントも全部中止だしね・・・
本来なら明日からこの街は
シーサイドフェスティバルというお祭りだったのに
それも中止。
花火大会もない。
当然、浴衣もいない・・・
浴衣もいない・・・
コロナめ〜。
やぐらを囲んでの盆踊りは良い事にしない?
ちょっと間隔あけて踊るでしょ?
ソーシャルディスタンスね。
踊りながらぐるぐる回るでしょ?
回る→風が起こる→換気扇効果による換気。
ほら〜!
盆踊りなら浴衣だよね〜。
ほら〜!
ほら〜!!!
浴衣だよね〜(笑)
それでは皆さん
間隔をあけて良い週末を!
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7/30
あーあ
佐世保もコロナさんが増えてきた。
また自粛になるのかの〜。
むむむ
ということはまた
ペーパー類や消毒液、マスクが
売り場から消えるのかな???
もし!街に緊急事態宣言が発動されれば
やりたい事があるのだ!
そのためにも
お買い物をやっておく必要がある。
それは何かと申しますと
スパイスからカレーを作りたい!
のだ。
自分好みの自分のための
自分カレーを作ってみたい。
そう題して
「小野山インド人化計画!」
は、ないとしても
ちょっとカレーを研究したいと思っておる。
インドといえど
地方によってカレーが全然違う。
北は寒いので油分が多くて濃厚ドロっと。
南はシャバシャバだ。
地方意外にも宗教でも違う。
左手で食べちゃいけないんだぜ〜。
さあ、研究して
インド人になって
いや、マハラジャになって踊るぞ〜
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