ザウキンネット SAUKIN'net
 
 平日、毎日更新 ホットライン。
 小野山朋実が責任を持ってお贈りします。

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ホットライン 2021 3月

3/31


今日も朝から
リーバイスのダメージ加工を広くした・・・

そこで考えた!
ジーンズを後前にして履く!
そしてクルッと回す!
我ながらさえてるわ〜って
両足入れたら
回せんかった・・・

朝から
僕って意外と可愛い
なんて思ってしまった(笑)

どうもダメージ加工は
合わないな・・・
いまさら(笑)

今までリーバイスといえば
ジッパータイプの502を選んでいた。
そうボタンってどうよ?って思ってたから

思ったより簡単に外せるね。
思ったより閉じるの面倒だね。
プラマイゼロってところで
カッコよさの分だけ◎!

なんて言ってるけど
もうすぐ半ズボン履くもんねー(笑)


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3/30


いよいよ年度末
まあコロナにより激動の一年でしたね。

僕には関係なかったけど
リモート、自宅でも仕事できるじゃんって分かったり
生活そのものがガラリと変わった人もいるのでしょう。

通勤を考えなくていいのであれば
条件の良いところに住みたいものですね。

田舎暮らししたい!

まあ、ここの街自体、田舎ではありますが(笑)

今、流行りの山林を買おうと探していましたが
一番の問題はトイレ。
やっぱりトイレだけはちゃんと作りたい。
そうなると山林って無理があるんですよね。

買った人の話を聞くと
年4,5回
草刈りしてるって。
山林買って草刈りに追われるって
どうよ・・・

次第に足が遠のきそうな気がするよね。

憧れではあるけれど
現実的ではないのかな〜・・・


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3/29


時間があったので
古着屋に目的もなく行った。

んん
ジーンズコーナーで
これまた古そうなリーバイスの501番を発見。

どんなもんかとフィッティングルームへ入る。
ウエスト、丈、僕サイズではないか。
唯一、頭を悩ませるのが
左足ヒザの部分
ビリっと口を空けている。

ダメージといえばそうだけど
いい歳こいて
ヒザが裂けたジーンズはどんなもんかと。

まあ、たまにはイイか
って軽いノリで買ってきた。

しっかりと洗濯して
本日、初履き。

古着といえども
初履きにココロも軽やか。
ススッっと左足を通す。

バリバリバリーーー!

つま先がダメージから顔を出し
ジーンズを引き裂いてしまった。

ビンテージの左足バーミューダジーンズの出来上がり
トホホである・・・



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3/26


今日もソフ〇バンクからの
iPhone入荷連絡は着ません。
もう来ないかもね。

なんて、考えてたら
ぬおおお

昨年の10月に
ディーラーから手紙が来て
もっている車がリコールだそうだ。
ってことで
すぐにティーラーに持ち込んだら

「いま、お出しできる代車がございませんので
あらためて連絡します」

それから未だに連絡来てなかった。

買って随分経つ車に
リコール出すってちゃんとしてるなって思ってたら
この街のディーラーは大した事なかったね(笑)

ヤナ〇もコロ〇禍なのか・・・

あ、コロナに〇隠しはいらないか。

他も隠れてないか(笑)

ずいぶん春めいてきました
それでは皆さん
良い週末を!



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3/25


最近ね
iPhone を買いに行ったんですよ
最近といってももう1か月以上前ですけどね。

思い付きで行動する人なので
ヨシ!と駅裏にあるショッピングモールへ行く。
〇フトバンクのショップへ。

一回目の訪問。
来店予約者のみですと
追い返された。

二回目の訪問。
ネットで予約をして行くと
予約は入っていないと追い返される。

三回目の訪問。
ご希望の機種の在庫がないときたもんだ。
入荷したら連絡しますと。

2週間経って
ショップから電話が入る。

「前回購入されてから2年経ちますので
機種変更はいかがでしょうか?」

いやいや
もう予約してから入荷待ちなんだけど

「あ、ちなみに機種は?ギガは?カラーは?」

馬鹿正直に答えてやると

「あ〜コロナの影響で部品が遅れています」と
安っぽい返事。

まだそんなこと言ってる。

まあいいや。
ネタになるからね(笑)

そんなこんなしてたら
お客さんがiPhone買ったよって現れた。
機種も、ギガも、カラーも
僕が予約しているのと一緒。

同じショップに行って
在庫あるものでいいよって言ったら
コレが出てきたそうだ。

ふふ〜〜ん。

話し合いの結果、
今度、そのお客さんと一緒にショップに行くことになった(笑)



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3/24


最近、スマートウォッチなるモノを
左腕に装着して武装レベルをアップしております。

先に言っておきますが
アップルウォッチではありません
よく似たチャイニーズウォッチです(笑)

しかしこれがまた良くできておりまして
時間はもちろんの事
体温計、心拍数、血圧、血中酸素量、万歩計などが
標準装備されております。

手持ちのiPhoneとも連動してて
記録が残る超攻撃型ウォッチですね。

あ、メールの着信連絡は着ますが
アップルウォッチみたいにしゃべれません

ただ万歩計が欲しかっただけなんですが
どうせならと・・・買いました。

面白くて
あんまり見せびらかすものだから
スタッフ達の不評を買い
人数分、買わせられました(笑)


万歩計の数字を上げるのが楽しくて
歩いて歩いて
暇さえあれば駆け足して
カウントを上げてました。
あまりの必死さに
「ホノルルマラソン出るぞ」なんて目標まで立てました。

今ですか?
飽きてもう歩いてません(笑)

今ですか?
見たら充電切れてて
そのままつけてました。
iPhoneを確認したら
2日データが入ってないので
充電が切れて2日経ってたみたいです(笑)


どうせなら・・・って言うなら
アップルウォッチ買えよね(笑)




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3/23


珍しく漫画の話になるんだけど
「進撃の巨人」というアニメを見てました。

人間を食う巨人から身を守るために
巨大な壁を建設した人間の話からスタートするんだけど

話が進むたびに
前の話につながって行くんですね。
これを「伏線と回収」というらしいんですが
まあ、これが実にお見事!

コノ話は以前のアノ話の事なんだ!
って思わず身を乗り出してしまうほど
見事に伏線を回収していきます。

要するに最初から仕組まれているんですね。

なんでも、この作者さんは
伏線を100%回収することで有名らしいですね。

これね
僕には無理です。

この半年、
ここを見てくれていた人には分かると思いますが
僕には絶対無理。

この事はあとでつながるぞ!って思ったら
「これは後でとんでもないことになる」って
「その時は知る由もなかった」って
言っちゃうもん(笑)

そうなんだよね〜
しゃべり過ぎなんだよね。

しゃべり過ぎな上に
同じこと、2度言っちゃうし・・・

あ、それは別の話か(笑)



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3/22


咲き誇った桜も見ごろは一瞬。

毎年のように
桜が咲くと冷たい雨が降り北よりの風が吹く。

いずれ刹那の代名詞として
桜の花が使われるのではないかと心配になる。

しかしコロナの影響で
お花見宴会がないので
僕としてはそれは歓迎だ。

桜の根の上にブルーシートを広げ
大声で酒を飲む。
あれはイカン。

せっかくの桜が台無しだ。

桜の花が見ごろの頃のバス釣りは
最近はやっていないが
ボートで浮かんでいると
湖面に散りばめられた桜の花びらは
とても美しい。

釣れそうな気配はなくなるけどね。

あれは釣れない釣り人の役得を感じられる。

会社の近くの公園も
咲いたと思ったらもう葉桜になりつつあり
2週はもたない。
これから遅咲きの桜を探すことになる。

そんな短命な桜の花だけど
やっぱりつい目で追ってしまう。

桜っていいよね。


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3/19


旧車ブームは車だけでなく
バイクもそうだ。

カワサキのZUは昔からそうだったけど
最近は色んなビンテージバイクが高騰している。

もうショップでは買えないな。
どこかのガレージで眠ってるヤツぐらいでないとね。

そういえば昔、バスブームの時、
エグリ旅なんていうのが流行った。
地方の小さな釣具屋で
ホコリをかぶっているルアーやリールを
探していたね。

当時はまだあったんだよね。
僕もアンバサダーの70年代の5000Cや
へドンの210サーフェイスのクリアとか探し当てた。

当時、営業していたから
福岡、長崎、佐賀の小さな釣具屋は
ほとんど出向いて行ったな。

あれはあれで楽しかったなぁ。

今は普通に買えて
数年後、高騰しそうなモノってなんだろなって
考えちゃいます。

あ、株?(笑)



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3/18


今の旧車ブームはなんたるチーヤ!

ハコスカや240Zなど
とてもじゃないけど手が出ない。

以前、ここで初代ソアラが5万円で売ってたことを書いたが
今ではとんでもい金額になっている。

ほしい車といえば
古い車ばかりなんだよなぁ
今の車はあんまり魅了を感じない。

子供のころのスーパーカーブームのときに
憧れていた名車たちは
軽く倍の値段になってるね。

少し前
マツダのRX−7、FD3Sが欲しくて
探していたけれど
ナイノヨ、コレガ・・・
今、走っているの見ないでしょ?

壊れるからだって(笑)

アメリカでも日本の旧車ブームだ。
なんでかって古い車には税金がかからないのだ。

日本はどうだ?
割増税金だよ。

この制度は絶対おかしいでしょ!

確定申告時期だから言う訳じゃないけど
日本の税法はおかしい!

税金キライ!!!



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3/17


それで最近ジムニーに乗ったからか
世の中にジムニーが沢山走っていることに気づく。

先日は5台とすれ違った。
もっと驚いたのは3台が若い女性だったことだ。

「ジムニー女子」という言葉通り
本当に女性間で流行っているようだ。

実は知り合いの若い女の子に
ジムニー女子がいるのだが
彼女のインスタグラムを見せてもらって
ひっくり返りそうになった。

写真に対しての「イイね」の数が
数千人と表記されていた。

数千人だよ?

僕のジムニーの投稿写真を見てみる。

「23人」笑笑笑

納車まで1年でも待つわな(笑)

2,3年後
どれだけジムニーが増えることか・・・
楽しみだ。

すべて女性であってもらいたいものだね。


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3/16


週末からバタバタしてました。

最近、人気のジムニー
それのひとつ前の型を去年の年末に買って
楽しんでいます。

事の始まりは
友人たちキャンプに行こうと話が上がり
ならばと新型ジムニーを買いに行ったら
なんと1年待ち・・・

冗談じゃないと途方に暮れると
そこにあるじゃないですか
廃車された先代ジムニー。
聞けばエンジンがおしゃかになったそう。

ならばと
それこそミニ四駆気分で
ジムニー再生計画発令!

リビルドエンジンから
足回りも全部変えて
全塗装して
アレやらコレやらやって
3か月かかって廃車ジムニーをよみがえらせました。

手をかけた分、可愛くてしょうがない。

気になるお値段。
かかった費用は新型ジムニー代ぐらいです(笑)

アホだな〜と思いながら
楽しい毎日です。


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3/12


ザウルスキング 第二章
は、始まりません(笑)

後半の10年は
どちらかというと大人しく営業していました。
CODEのルアー製作も止まりましたね。

丸ノコで飛ばした右手の動きが悪い上に
お次は首の椎間板ヘルニアで
右手の神経がやられました。

シビレは常時。
だんだん物を落とすようになってきて
ご飯を食べてる最中に
お箸を落としたりするようになったのです。

決定的だったのは
右手が意識もなしに
チカラいっぱい「グー」をした時でした。
それも、いつまでもチカラ抜けないし(笑)

速攻、病院に駆け込みました。

ほんと、ポンコツなんですよ(笑)

まだまだ製作途中のルアー
あるのに残念な人です・・・

みなさん
身体のメンテナンスは
リール以上に重要ですよ


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3/11


1997年から2011年まで
お話してきましたが
なんと去年の8月から
7か月も書いてきてるのですね。

びっくりするぐらいアクセス数が上がりました。
驚くほどの反響でした。

ありがたいお話です。

読まれてきた方は
途中で変に感じた方もおられたと思います。
話が飛んだり、時系列がズレたりしてます。

これはどういう事かというと

これは(今のところ)マズイなと思ったところは切り取っています。
7か月も書いてきたのですが
あっプしているのは全体の半分ぐらいの量です。

原文は実名アリの事実アリの
なんでもアリです。

よく
「この話は墓場まで持っていく」って言葉がありますが
こんな話、あの世に持っていきませんよ。
あの世では第二の人生を楽しむため
この話は現世に置いていきます。

そう、僕が死んだら
原文が出てきます。

お楽しみに!

って
まだ死なないですよ。


笑笑笑

7か月間にわたって書いてきた
ザウルスキングの第一章は
今日で終了です。

長い間読んでいただき
ありがとうございました。


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3/10


則さんの訃報や近所に大型店舗ができたことで
モヤモヤしていた事の解決策が見つかりました。

「移転」

なんだかんだ言っても一番の理由は
それまでのザウルスキングは
国道沿いに2階建ての建物を
丸々一棟借りていたので
家賃も高かったというのがあります。

2010年
その年の年末に移転を敢行
今の場所へ引っ越してきました。

2011年から新規一転頑張る決意でした。
結局はあまりの荷物の多さに
1月いっぱい引っ越しは続いたんですけどね。

そして3月11日の金曜日
あの日を迎えます。

忘れもしません。
博多と鹿児島を結ぶ九州新幹線の開業で
九州では賑わっていた時でした。
14時46分に東日本大震災が発生。

津波が陸地を駆け上がるその光景は
生涯、忘れることはないでしょう。

東北地方に暮らす友人たちにも連絡がつかず
あの時の気持ちはもう経験したくはありません。

状況を知るためにラジオをつけました。
FM長崎ではテンションの高い男が
九州新幹線開業で騒いでいました。
すぐに今、日本で何が起きているのか知らないのか?と
抗議の連絡をいれました。

それ以来、その男の声がするとスイッチを切ります。
いやむしろFM長崎を聞かなくなりましたね。

スポンサーだなんだで
気持ちも分かりますが・・・

日本の一大事

物資を送り、募金を送りしましたが
自分の労力を使っていないことに
やるせない思いが募ります。

自分も贅沢はやめよう。
ザウルスキング開業以来
手足となって動いてくれた
ランドクルーザー100を降りる事をはじめに
贅沢品は手放しました。

しかし
バルサ50のコレクションだけは
手放せなかったです。


明日、その日から10年になりますね。


つづく


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3/9


ザウルスキングの10周年で
店を閉めようと考えていたのは
則さんやザウルスの事
そして軌道に乗ったみんなのメーカーだけの話ではなかったのです。

全国規模の話ですが
釣り具のプロショップというのが
軒並み閉店に追い込まれていた時期だったのです。

本来、プロショップというのは
釣りをやりこんだ店主がいて
どれについて来てるお客さんがいて
そして何よりも
量販店にはない商品が
セレクトショップ的に並んでいる魅力がありました。

しかしこの頃になると
大手量販店にもそれらが並ぶようになったのです。

僕もメーカーを持っているので理解はしています。
小さなプロショップだけの売り上げだけでは
なかなか回らなくなってきているのが業界の状況でした。

それともうひとつ
インターネット。
これが最大の敵になりました。
僕もインターネットからの出店だったのですが
ネットで買い物ができる世の中が確率されてきました。

でもインターネットが最大の敵というのはそこではなく
「情報が手に入る」ことです。

僕らの時代の釣具屋の使い方は
お店に行って得られる情報が多く
釣れてる場所や釣り方、ルアーの種類やカラーまで
店主やスタッフさんに教えてもらい
それを買っていくというもの。

しかしネットで情報はすぐに手に入れれる。
あとはネットショップや価格が安いところで
買いそろえればいい。
そういう、なんか、つながりのない、
つまらない状況になりつつありました。

立地条件や掴んでいるお客さんの量もあるのでしょうが
そういった意味で全国のプロショップが苦境にさらされます。

国道沿いに構えていたザウルスキングも
2軒となりに大きな量販店ができました。
もともとコアなお客さんばかりだったので
お客さんが減った感はなかったのですが
安くもないし、ポイントもつかないし
なんといっても物量が違いすぎる。
売れるものが限られていく淋しさを感じてました。

この頃は
朝から夕方までザウルスキング。
夜からカフェのほうに出てました。

夜、カフェのほうに田代誠一郎船長がやってきました。

則さんが亡くなった話から
店のことまで話すと
それまで何も言わず聞いていた彼が一言
たった一言だけ言いました。

「やめさせません」


ザウルスキングはまだ続くことになりました。


つづく


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3/8


2010年
もう少しで10周年を迎えようとしていた前の月。
7月30日。
友人から連絡が入った。

「今朝、則さんが亡くなった」

脳幹出血だったそうだ。

ひとつの時代が幕を降ろした。

その昔
若い則さんが相模湖で
不思議な釣りをしている外国人に詰め寄り
ルアーによるブラックバス釣りが始まった。
その釣りをずっと牽引して
それがトラウトやソルトウォーターフィッシングまで
波及していった。

いま、ルアー釣りをしている若い子たちに
則さんの名前を言っても知らない人ばかり。
アルファ&クラフトや
スポーツザウルスさえ知らない。
けれども
みんな則さんの子たちだ。
オヤジと呼ばれるのを嫌っていたけれど
みんな則さんの子たちだ。

ザウルスキングの10周年を前に
この訃報を聞いて
僕は10周年と同時に
ザウルスキングを閉めようと考えました。

スポーツザウルスから派生したメーカーは
どこも順調に進んでいたから
それをサポートするのがザウルスキングとも考えていたし
丁度いいラインかなと思った。

もともとバルサファイブオーと則さんが好きで
もっと広めたいと思ってこのショップをオープンさせて
どちらも無くなったのなら
もうここらでいいかなと・・・

則さんが他界して
極度の脱力感がそう思わせたかもしれないが
10周年を前にひとりで決めたことでした。


つづく


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3/5


年が明けて2010年。
ザウルスキング10周年だった。

DVDのキャスト達の
心配していたモチベーションは
下がることはなかったが
気圧は急激に下がってきていた。

出航2日前
予報は波高3メートル。
田代誠一郎船長は決断した。

「出ます!」

出航前日
キャスト達と取材クルーが唐津入り
一緒に飯を食い
早々にホテルに入る。

部屋のベッド横の窓ガラスは
ガタガタと北風を受けて音を立てる。
どこまでもシケがついてくる。

珍しくい眠れないまま朝を迎えた。

港についてバタバタと準備を進めていると
ライターさんが話しかけてきた。

「小野山さん、編集長からの伝言です
くれぐれも真面目にお願いします」

ん〜伝言というか指令だな。

そして僕らは
今日生まれたばかりの新しい海に旅立った。

防波堤をこえると
船体が大きく揺れた。
先端から大きく波が襲い掛かる。
まるで船足を止めるかのように
容赦なく風防をたたく北風。
船長が慌ただしく舵を切り
波と波の間を縫うように走らせる。

この海況なら
ほかの船は一切出航していないだろう。

それからの模様は
DVDの通りです。

釣れた順番も
2日目がノーフィッシュという事も

ハウツーものでありながら
しっかりとドキュメンタリーになっていました。

大阪フィッシングショーには間に合わなかったけれど
東京であったSFPCに
編集長と製作者がプロモーションDVDを仕上げて
持ってきてくれました。

その頃からです
「小野山P」と呼ばれるようになったのは。
プロデューサーのPですね。

みんなふざけて呼ぶけど
僕は気に入っているのです。

このDVDの制作に携わった事によって
船長もアングラー達もそうだろうけど
何かひとつ得た感覚が
しっかりと感じられたものです。


つづく


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3/4


それからというもの
沢山釣りをして、沢山仕事をした。
もしかしたら
一番釣りというものに向き合った数年間かもしれない。

一番釣りをしたということではない。

いつものバス釣りをしながら
バスルアーを作り
ジギングとキャスティング
そしてショアでのキャスティングも
ソルトウォーターでの釣りを突き詰めていった。
若い連中を連れていって
教えるだけの釣りも多くなっていった。
遊漁船ででて一回もロッドを持たなかったことも多くなっていった。
DVD制作や企画やプロデュースに没頭し始めたのもこの頃だった。

それが実を結んだのが
2010年3月にエイ出版より発売されたDVD
「ヒラマサキャスティング完全解説」
でした。

今でこそ
いろんなエディアに出ている田代誠一郎船長ですが
実はそれまで映像には出ていませんでした。

2008年にヒラマサキャスティングを経験して
2009年の春、
田代誠一郎船長と
今のスタイルを映像にしようと話をしてました。

すぐさま僕は
ソルトワールド誌の当時の編集長に企画を打診しました。
船長主体の釣りDVD案です。
船長の考えをアングラーが具現化していくという
それまでまったくなかったスタイルです。

ひと月後、出版社からOKを頂き
すべて僕に任せてもらえることになりました。
ただひとつ
僕はドキュメント物にしたかったのですが
ハウツー物にしてくれという要望だけでした。

完成品はしっかりドキュメント風になってましたね。
時系列のごまかし無しです。

一番考えを巡らせたのは
釣り人のキャスティングでした。
僕の中には8人の候補がいて
ひとりは確定している状態。

ただ大事にしたかったのが
嘘偽り、作り話のないDVD作り。
玄界灘で、サンライズで、
ヒラマサを追い続けている釣り人でなくてはならない。
そこが重要でした。

まずは確定している
シービーワンの佐野ヒロムに連絡。
もちろん一つ返事でOKをもらった。

次に連絡をとったのは
メロン屋工房の永井くん

そして最後に
MCワークスの末次くん。

夏に田代船長とふたりで
MCワークスに直接出演願いをしに行った。
熊谷さんはしっかりと話を聞いてくれ
快諾をして頂いた。

ここに
映像では絶対に一緒に映ることのない
ドリームチームが完成した。

その年の夏、僕は街中にカフェをオープンさせた。
4月頃から自分たちで作っていった。
身体は店作り、
頭はこのDVD作りに費やしたといっても過言ではない。

出港は11月11日に決定。

11月8日、2,3日は静かな海になりそうだった。

11月9日、取材陣からGOサインが出る。

11月10日、玄界灘に突然、爆弾低気圧が発生する。

11月11日、当日。
今年最強の大シケとなり
海と僕のココロは完全に封鎖された。

予定では翌年のフィッシングショーで
プロモーションをしたかったので
どうしても年内にやりたかったけれど
そうも行かず

11月13日、次の予定を翌年1月上旬に決定する。

問題は2か月間
モチベーションが続くかだった。


つづく


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3/3


とにかく海釣りに明け暮れた2006年だった。

初めてトカラ列島に行ったのもこの年。
GT、ジャイアントトレバリーという強靭な魚に虜になった。

本格的にヒラスズキに通い始めたのもこの年。
自分たちで見つけたフィールドに通い詰めた。
荒磯からトップウォータープラグでサラシを攻めるこの釣りは
バス釣りの要素があってすぐにハマった。

しかもそのポイントは
潮位と時間の関係で行けるのが限られているという
閉ざされたポイントで
風向きによっては餌となるベイトフィッシュが溜まり
あたり一面、ヒラスズキのナブラがたつスーパーポイントだった。
ここでの釣りはソルトワールド誌で紹介したし
翌年、DVDでCODEから発売もした。

本当に釣り以外
話題がなにもない一年だった。

2007年、年が明けて
大阪フィッシングショーの出展のために
年明けから慌ただしく動いた。

この頃は大阪で仕事する機会も多く
またバスのビルダーさん達も多く
友人たちの幅も広がっていった。

その時はまだ道楽にいた藤原ユーイチも
会場に遊びに来てくれ、久しぶりに再会した。

大阪に行くと
メーカーさんやや友人たちと過ごす時間も増え
つきあい飲みも増えてきた。

そうなると当然
昔話からザウルスの話題も出てくる。

ある集まりでの事。
ザウルスの話になったときに
大阪の知人が口を開いた。

「ザウルスの倉庫から商品が無くなった話はさ・・・」

驚いた。
一言一句、逃さず聞いた。

それは完璧な話だった。
僕が今まで誰にも話さなかった事を
完璧に知っていた。

普通なら少々話が大きくなったり
尾びれがついたりするものだろうけど
そんな事もなく
気持ち悪いぐらいに完璧だった。

僕は聞いた。
どうしてそれを知っているの?

「そんなん皆知っとるで」と
軽く答えられた。

いつまでも付きまとう話に
楽しい飲み会はクローズになった。


つづく


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3/2


2006年、夏頃だったかな。
ジギングを覚えたての頃
平戸の友人の紹介で
一栄丸の先代船長と知り合った。

船も今の立派なモノではなく
漁船を使ってのジギングだった。
排気ガスが横から出ていて
左舷側での釣りはいつも気持ち悪くなっていたが
港が店から近いこともあり
よく通ったものだ。

僕としてはバス釣りを覚えたての頃に
よく似たものを感じていた。

バス釣りを覚えたての頃といえば
今みたいにネットで検索とかして調べるものでなく
走り回って、走り回って
その池にバスがいるのかさえも分からないのに
キャストし続けた。
釣れるまで分からないちう状況だ。
だからこそ
見つけたフィールドは格別なものがあったし
その達成感は実に大きなものだった。

ジギングは釣れるポイントこそ船長に連れて行ってもらえるが
そこからが勝負。
なんにも見えない海の中を鉛のジグで探って魚を出す。
ジグを動かしていると突然
「ズドン!」とくる衝撃に随分と病みつきになったものだ。

ある日、船長が店に遊びに来た。
相談があるという。

「息子が遊漁船をしたいと言いよる」

玄界灘の対馬と壱岐の間の海域では
クロマグロがよく釣れている時期だったので
僕は大賛成をした。

一栄丸はより大きな新造船を就航させ
今では大人気となった息子、ターボ船長が動き始めた。

僕はトップウォーターのバス釣りをしている連中を
どんどん誘った。
それには理由があった。
ペンシルべイトの動かし方がとてもうまく
ラインのたるみ
ロッド操作での張りと緩み
ルアーの大小の差はあれど
基本操作は一緒。
すぐにキレイなS字を描いて
すぐに結果が出て行った。

その頃同じくして
田代誠一郎船長が駆る「鰤走シワス」が訳あって
新造船「新海サンライズ」を就航させる。
みんながクロマグロを躍起になって追いかけていた時に
彼は新しいターゲットを模索してた。

トップウォーターでのヒラマサキャスティングゲームだった。


つづく


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