ザウキンネット SAUKIN'net
 
 平日、毎日更新 ホットライン。
 小野山朋実が責任を持ってお贈りします。

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ホットライン 2020 11月

11/30


則さんからの電話。

「オノさんだよ」と出ると
「バカヤロー」

はいはい、どうしたんすか?

「バス用のリールってなんだよ?」
と変な質問が飛んできた。
引っ掛け問題かな
「ABUアンバサダー5500Cでしょ」

「うむ、5500Cのどんなものだ?」
「一番明るいシルバーでロゴがコンピューター文字のやつ
・・・則さんの77年製だっけ?」

「だろ?」
なんなんすかいったい?の問いに
ついに口を開いた。

ABUアンバサダー5500Cの
ザウルスモデルの企画が上がっているそうだ。
確かに
則さんがそれを長年バス釣りで使っているのをみて
そこにたどり着いたアングラーは沢山いるから
その功績の結果としては当然だ。

「それがさ、5500CのビッグAという意見があるんだよ、ぶふ」
「ぶふ」は納得いかねーの合図だ。

5500CのビッグAというのは
カップに掘られた名前で
Ambassadeurの頭文字”A”が大きいタイプだ。
72年製が主だけど、
海外のバイヤーから71年製を見せてもらったことがある。
当時の釣り雑誌、ロッド&リール誌で
グラスアイの佐藤さんが
最初期5500Cと紹介して
人気に火がついた。

僕はビッグAのデザインはあまり好きじゃなかったので
コレクター魂に火がつかなったし
海外のバイヤーも「なんでコレ?」と不思議がっていた。

則さんの功績だから
則さんモデルでいいんじゃないですか。
そっちの方がファンも買いたいと思うでしょう
というとちょっと機嫌がよくなった。

昔からそうだった。
則さんが雑誌に出てると
文章もさる事ながら
なにを使っているのか?と
写真とニラメッコしていた。
コレはアレだ!と発見すると
同じものを持ちたくなる。
そういうものだった。

タックルボックスのアムコ3060番もそうだった。
グリーンのやつね。
則さんが使っている3060番が
大型だけどトレイも必要以上にないのが
かっこよかった。
3500番は結構あったけれど
これでもかってぐらい広がるトレイが
ボートの中では邪魔でしょうがなかった。
まあ、あのサイズを持ち歩くこと自体がおかしな話だけどね。

ある釣行のときに
ボックスをあけて釣りの準備をしていると
則さんがやってきて

「どうしてオマエらはグリーンが好きなんだ?
アルミのシルバーのほうがカッコイイじゃないか」
と爆弾発言をされた。

「あなたねー」としか返せなかった。

この件は
本社営業からも相談があったけれど
則さんの功績だから
則さんモデルでいいんじゃないですか。
そっちの方がファンも買いたいと思うでしょう。
と同じように答えていた。

そう、決定するまであと少しのところまできてたんだ。


つづく



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11/25


ザウルスの新製品ラッシュは
この年末にむけて続いた。

ブラックバス用のロッド、フィリプソンは
NEWカラーのスカイブルーとオレンジが
またハイエンドモデルとして
則さんのシグネチャーモデルが
限定生産された。
名竿、バッシングシャフトのカスタムもそうだった。
水道管カラーのブランクに鮮やかなブルーのスレッドは
とても新鮮だった。

海用では
ザウルス初のエギングロッド「ブルート・セピオ」もこの年。

ルアーはウッドンブラザースシリーズが
ブラックに金メッキパーツをまとって順次生産されて
ラージマウス・ビッグの上をいく
スーパービッグまで出てきた。
矢木くんが「イキスギ」と呼んでいたヤツだ。

年始から動いていた
アルミ製の50タックルボックスも間に合った。
実はコレ、
50友の会のメンバーだけで作っていたモノが
ベースになったため
僕は商品サンプルが上がる前に
画像付きでプロモーションをすることができた結果
うちだけで初回150箱を販売するという大仕事だった。

僕的にもっとも興奮したのは
ザウルスジャンバーの再販だった。
そう赤ジャンだ。
それも初期のサラサラ生地のやつで
コレを持っていれば洋服に困らないというザウラーも
少なからず居たほどだ。

ザウルスジャンバーは過去に赤以外も存在している。
よく見るのは青ジャン。
他には白ジャン、黄ジャンも存在する。

そして同時に初の色目となる「黒ジャン」が発売となる。
これは凄い人気だったのを覚えている。
たしか、抽選販売になった。

有名ブランドとのコラボレーションも実現した。
フィッシングベストではシムスと
ミノーボックスはリチャードホイットレーが
Wネームで登場。

しかし
もっと凄いWネームの計画が進行していた。
いや、正確には難航していたと言うべきか・・・


つづく



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11/25


日本では味わえない
スケールの大きな自然の中で
10日間の日程を終え
僕らは日本に帰ってきた。

夢のメーターオーバーを獲ることができ
また、その上がいることも思い知らされた。

帰国したその月に
いままでザウルスにはラインナップが無かった
PEラインが発売されると連絡が入った。
溜まった仕事に追われながらも
来年はもっと大きな魚とやりあえると
気持ちは1年後に向かっていた。

今年の釣行で上がったイトウは
僕のが一番大きかったし
則さんがしっかり例のカメラで撮ってくれたし
もしかしたら来年はトラウト部門でカタログに載れるか
という甘い甘い皮算用は
僕にとっては確かに仕事の原動力にはなっていた。

エイ出版のトップ堂に
つり人社のトップウォーターの戦略など
出筆の仕事も多くなり
充実した毎日を送っていた。

この頃は週一ぐらいのペースで
則さんから電話がかかってきていた。

「則さんだよ」
いつもの感じである。

「オマエさ、海へ行けよ」

ん?
来年はイトウを抱えた写真を楽しみにしていたのに
頭からガツンっとやられる。

なにをいきなり?と聞くと
「オマエ、海の顔だよ、がははは」

いままでブラックバスを
この2年はビッグトラウトを頑張ってきて
「顔」ですか?

「いや、冗談抜きで
もっとデカい魚とやり取りしろよ、そういうことだ」

はいはいと軽くあしらったけれど
一理あるなとそれから僕は海釣が多くなった。

当時、
地元の海でフィッシングガイドをやっている友人の
入江くんというデュエルやエコギア、ノリーズの
プロスタッフがいたので
彼に付いてシーバスを学んだ。

10月には
ザウルスのボートシーバスロッド、「ザ・フッコ」で有名な
古山輝男さんが佐世保に来てくれたので
入江くんのコネでハウステンボス内の水路で
ボートシーバスも経験させてもらった。

ハウステンボス内での水路でボートを入れて釣りができたのは
後にも先にも
田辺哲男さんと古山さんと僕だけだった。

とにかく2003年はよく釣り出かけた。
海が近いという地の利もあったが
80センチを超えるスズキは
この年が一番釣ったかもしれない。

それはシベリアで覚えた
ポイントの見極め方であり
トゥイッチでの誘い方。
食わせの間の与え方だった。
何よりも
多くの魚とやり取りした経験である。
それは今でも僕の基礎になっている。

何も考えずに
ココにバスはいるのかな?と
走り回っていた若い頃の釣りも好きだけどね。

そして今週も則さんから電話がかかってきた。


つづく





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11/24


次の朝
いつもの寒い朝。

夜通し頑張ってくれた巻ストーブは息絶えて
すきま風が外気をつれてくる。

朝食をとりにメインロッジへ若者たちと行く。

いつもの長いダイニングテーブルに
いつものように下手のほうに座る。
いつものように則さんが上手に座り
その周りをオジ様たちが固める。

本当は僕がしてもらったように
こういう席で飯を食いながら
則さんと団らんするチャンスを若者たちに与えなきゃいけないのだが
いつも同じ席。

こんな時、愛知のプロショップのオーナーさんなら
上手くまわすんだよな。
自分はまだまだだ。

いつもと違うのは僕と○ちゃん
そして若者以外はとても静かな食卓だった。
とてもつまらないので
ママにスパシーバと言って席を立つ。

ロッジに戻り
釣り支度を始める。

「小野山さん、今日はラインシステム完璧だね」
と、○ちゃん。

「ふんっ」

澤田くんにやってもらったから
確かにそうだけどね。

若者だけでワイワイやってると実に楽しい。

しかし
その楽しい雰囲気も一瞬で崩れる。

「頑張ってこいよ、俺は行かねーから」

はいはい、ごゆっくり
と言ったもの
オジ様たちはみんな行かないようだ。

まったく何をやっているのやら。
若者たちだけで桟橋から旅立つ。

その日は何も気兼ねなく
しっかり釣りをさせてもらった。
上流ほどの結果は出なかったが
日本では考えられないような釣果に恵まれる。

夕方、早めに帰りついたので
親分の息子と遊んでいると
通訳のガイド、セルゲイに呼ばれた。

ついていくとそこは物置小屋だった。
そこに親分が立っている。
おおお、呼び出しか?

通訳の話を聞くと
親分が
オノヤマさんにあげたいものがあるらしい。
驚いて親分の顔を見ると
いつもは怖い顔が笑ってる。

続きを聞く。
トヤマの港を知ってるか?
うん、富山ね。
そこにシベリアから材木を運ぶ船が着く。
それにコイツを乗せて置くから
トヤマの港まで取りにこれるか?
来れないのなら住所を書いておけ
その船員に渡しておくから
トヤマから送る。

なに、なに?どれ?
物置小屋の中かなと扉をみていると
親分は小屋の横に回って
コッチに来いと手招きしている。

ひょこひょことついていくと
そこにあった物は

巨大なヘラジカの角だった。
立てかけてあるだけで
僕の身長をはるかに超えている巨大な両角だった。

聞くと親分がいままで仕留めたもので最大だと言っていた。
800キロクラスだったらしい。

その巨大さに驚きで目を丸くしている僕に
「息子と遊んでくれてスパシーバ」

いや、欲しいさ
いや、嬉しいさ

スパシーバと言いながらも
どうしよ・・・密輸ってことよね・・・

後ろでなんにも考えていない息子が
ケラケラ笑っていた。


つづく



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11/20


その後の釣りはまったく覚えていない。

ただずっと
あの状況下で
このナイロンラインのシステムでは獲れないと考えていたが
口にするのはあまりにも情けないので
ただただ、どうしようもない敗北感に浸っていた。

夕飯時に則さんからみんなの前でチャカされるかと思ったが
なんにも話題に上らなかった。
なぜかどことなく変な雰囲気だった。
こういう時は逆にチャカされる方が楽だ。

すると夕飯を終えたテーブルで
則さんとオジじ様のひとりが言い合いになった。
ダンッっとテーブルを叩いてオジ様が席を立つ。
ロッジはしばらく無言に包まれたが
続いて則さんが静かに部屋に戻った。

僕はこういう雰囲気はあまり好きじゃないので
オジ様のベッドがある一番大きいロッジに行く。
大人のケンカの間に入って理由を聞くのも野暮だし
とにかく腰掛けていたオジ様のとなりのベッドにちょこんと座り
何も話しかけることなく時間を過ごした。

「ふぅ~」っと大きなタメ息のあと
キミにこれをあげるよと
バッグから色とりどりのシルクで編んである
チョーカーを頂いた。

僕がお礼を言い終えると同時に
「心配かけてごめんな」と
僕よりも年上の方が頭を下げられた。

これはひとりにさせてくれの合図だな。
「何かあれば声をかけてくださいね」と
僕は部屋を出る。
物を貰って早々に立ち上がるって
子供みたいだな。

その足で則さんが寝泊りをしている
一番小さなロッジへ向かう。
あの則さんがこの部屋を選んでいたこと自体が
今回、コッピ川に来ての最初で一番の驚きだった。

「入りますよ
ダメといってももう入ってるけど」

「おう」
ベッドでふて寝している則さんがこっちを見ずにいう。

しばしの沈黙が気持ち悪かったので口を開く。

「俺、則さんから友達とケンカはするなと言われて
それから一切してないっすよ」

「今日のイトウ、デカかったな」

「あ、うん」
話を変えやがった。

「おまえ、何飲んでんだ?」

「ん?○ちゃんから貰った粉末イチゴジュース」

「置いていけ」

「なんで?」

「いいから置いていけ」

「則さん、今回なんか変ですよ?」

無言

「もう・・・
なんかあったら言ってくださいね」

僕は原色のイチゴジュースを
ベッド横の小さな机の上に置いて部屋を出た。

大きなロッジに戻ると
若い3人衆が外で雑談しながら
明日のためのラインシステムを組んでいた。

「小野山さんのもやりますよ!」と
澤田くんが声かけてくれた。

あ、○ちゃんめ、デカいのバラしたとしゃべったな・・・

「おねがいしまーす」とタックルを渡して
なんか疲れたのでベッドに横になった。

2年前は釣りにどっぷりハマれる環境と
釣り人たちの集まりだったのに
今回のパーティーはなんなんだ???
若い3人衆とどっぷり釣りに集中すべきだな。

間宮海峡を望むコッピ河口の一角、は
その夜、居心地が悪い変な空気に包まれていた。


つづく





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11/19


動き始めた流木は
僕に主導権を与えずグングン下る。
まだ半信半疑だったので
ロッドをあおって聞いてみる。

グン、グンッ。

答えた!

生命が掛かっていると分かれば
こちらも臨戦態勢に入る。

根がかりしたと思ったら
急に動き出して大物が掛かっていた。
なんて安っぽいストーリーだと
自分でもおかしかったが
事が始まればすぐに真剣になる。

しかし雪解け水の強い流れに乗った流木のような生命は
まだ流木のように下っていく。
マズイな
50メートルほど下流の則さんの所ぐらいまで
ラインを出されている。

とにかく流心から外さないと勝負にならない。
少々強引に右手の森のほうにロッドを向けた。

グンッ、グンッッ。

口元に違和感を感じてか、嫌がっている。
それも先ほどのそれより強く、激しい。

グンッッ、グンッッッ。

激しい抵抗。
それでも流心から外すために
僕は森の近くまで下がった。

水流をぐっと受けてた重い抵抗がフッと半減した。
流心を抜けた!
そう思った。
そう思ったその時だった。

下流でひざ下までウエーディングして
釣りをしていた則さんの目の前で
激しい水柱が立った。

その水柱は
則さんのアクーブラハットのツバよりも高く上がり
その中に龍のような大きな黒い生命がしっかり見て取れた。

ひるんだ僕に勝ち目があるはずもなかった。

そいつはもう一度流心に入り
いとも簡単に僕のルアーを放して泳ぎ去った。

呆然とする。

則さんが足早に帰ってくる。

自分以外の釣り人を危険な目に合わせたこと。
魚をバラしたこと。
絶対怒られるだろうと腹をくくった。

僕と目が合うやいなや
「凄かったな、今の」
「150センチ、いやもっとあったな」

答えきれない僕。

先ほど109センチを目の前で見て
今、真横で魚を見たのだから
それぐらいだったのだろう。

ただ、間近で見たわけでもないから
小さく「そうですか」としか言えなかった。

僕に残ったのは
手元の恐ろしく巨大な生命の感覚と
どうしようもない敗北感だった。


つづく


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11/18


船外機のバックギアが作動したボートは
岸から離れ中央の流れに乗ると同時に
船首は下流を向いた。

深い森の中を真っ直ぐに下っていくとすぐに
左岸から別の流れが合流するポイントが見える。

「次はアソコだろうな」

案の定
流れ込んでいる少し上流の右岸にボートはつけられた。

○ちゃんと則さんはサッとボートを降りて下流へ歩いていく。
僕は先ほどのファイトで
ラインが傷んでいるのを気にして
ボートの上で結び直していた。

クッっと最後の結びを締め込み
顔を上げて辺りを見回す。

一番下流に○ちゃん
もう100メートルは下って釣りを始めている。
その中程に陣取った則さんもキャスティングの軌道が見える。

出遅れたな。
ここのポイントはボートから離れず
すぐ目の前の流れ込みのポイントを攻めるだけにしよう。

ゆくりとボートから降りてリールのクラッチを切る。
ガイドの親分の口元が笑っている。

本流と支流がぶつかるところで
川はまるでラクダの背のように大きく盛り上がり
流れの強さと太さを見せつける。
これではルアーが泳がないよね
ふたりが大きく下ったのはコレを見てのことだろう。

その大きな盛り上がりが一度沈む辺りの水底が
一部、タタミ一畳ほどか、深い黄土色していた。

相当エグレてるな。
しかしそこにルアーを通してターンをさせたくても
この流れの強さじゃキャスト後のラインのほうが先に流れてしまう。
先に流されたラインに引っ張られたルアーは
まったく不自然な動きをして
とても魚にアピールできない。

少し下って盛り上がったウネリを避け
左岸からの川筋を正面にまっすぐ捉えた。

左岸に向かってフルキャスト。
着水と同時にクラッチを入れ
ロッドの先端を水の中に突き刺して
渾身のチカラでリールを巻く。

ラインはすぐに流れに飲まれ
深い黄土色の水底のかなり下流をルアーは通ってきた。

無理かな。

次は少し上流のウネリの向こうぐらいにハーフキャスト。
今度はロッドを立てたままでラインを空中で遊ばせる。

大きく盛り上がったウネリを交わした瞬間に
ロッドを寝かせてルアーを水中に入れ
高速でリールを巻く。

ゴンッ

アワセは入れなかった。
それぐらい大きな衝撃だった。
ロッドをあおっても、引っ張っても
まったく動かない。

釣り針からライン、
ラインから高弾性のロッド、そして手元に伝わってくる感覚に
まったく生命感がない。

水底にある巨大な流木だな。
そこに掛けてしまったのだろう。

ラインを張ったり、緩めたり
何をしても動かない。
ガイドの親分も見かねて近寄ってきた。

切るしかないか・・・

ラインを引き切るために
左手のグローブに巻こうとした。

突然、手元に別の感覚が伝わる。
ロッドに重みが伝わる。
水底に引っかかってた流木が流れ始めたようだ。

こうなると危険である。
タックルやラインが傷まないように
右岸にゆっくり移動させようとしたとき

突然、世界が動き始めた。

グググ、ググググーーー!!!


つづく





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11/17


ロシア、コッピ川のガイドたちは
釣り人が釣ったイトウが弱っていると
それを取り上げ時間を惜しまずに回復させる。

サクラマスは川を遡上して産卵行動を終えると
その一生を終える。
その考えから一日に2本だけ食べるために川から頂戴する。

イトウは何十年も生きる。
何十年も生きると巨大な魚になる。
巨大になる遺伝子は子へ受け継がれる。

だから必死で回復させる。

そういうのを目の当たりにしているから
水からあげない。
僕は浅瀬に腰まで浸かり
水に漬けたままのイトウの顔を上流に向け
メジャーを当てた。

109センチ
念願のメーター超えだった。

イトウの目を見て大丈夫と思ったのであろう
ガイドの親分は則さんとボートに戻った。

イトウの体を揺さぶり
口から新鮮な水をいれる。
シベリアの雪解け水は
容赦なく僕の身体を冷やしていくけれど
アドレナリンとともに血液が体中を駆け巡っているのか
それとも夢を果たした満足感からか
ポカポカと暖かい気持ちになる。

尾びれがピクっと動いた。
ゆっくり右手のチカラを抜く。
すると、するすると支えている左手の上を滑り出し
ゆっくり、ゆっくりと流れに戻っていった。

海外釣行の道具代は高額だし
旅費だってかなりのモノだ。
旅立つ前には仕事を何倍もこなし
帰れば何倍も溜まっている。
ある程度、犠牲を払ってココにいる。
夢を掴むには、無傷じゃ済まされない。
けれども
その代償を払ってでも掴みたいのなら
挑む価値はある。
そう実感した。

立ち上がる。
ボートへ向かう。
岸についたままのボートには
三人が待っていた。

ガイドも則さんも、○ちゃんも
僕に存分の時間をくれた。

有難うございました。
礼を言いながらボートに乗り腰掛ける。

則さんが言う。

「さあ、行こうか」

そう、今日はまだ始まったばかりだ。


つづく




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11/16


ロッドを立ててアワセを入れた瞬間に
ズドンっと重さが手首に来る。

それまで下流域で釣ってきたシーマやカラフトマスと違い
重くトルクフルなプレッシャーだ。

脇を締めリール上のバッドパワーに物を言わせ
こちらも一歩も引かない。

ググググ、ロッドを立てたまま
大岩から引き剥がす。
障害物はラインを痛めるので厄介だ。

ズズズズ、ロッドを寝かせて
流心にも行かせない。
重たい魚は流れに乗ると手に負えない。

強烈な引きがくる。
ラインシステムはしっかり組んである。
ボロンロッドのパワーは申し分ない。
リールのドラグはキツく締めてある。
あとは僕次第だ。

グルン
長モノ特有の動きがきた。
間違いない、イトウだ。

みずぼらしく腰を折らないように
ロッドを立てたまま後ろに下がる。
すると魚はゆっくりゆっくり浅瀬に寄ってきた。
あと少し・・・

突然、魚は派手に水柱を立てて反転する。
まずい。
ロッドを魚の方にまっすぐ向ける。
近距離において反転から走られるのは危険だ。
ドラグは締めてあるので
バンッと張ったラインが悲鳴を上げる。
リールを包み込んでいた右手の親指でスプールを押さえ
ロッドのフォアグリップを支えていた左手で
リールのクラッチを切る。
ヌヌヌヌ・・・テンションが掛かったラインが出ていく。
ラインが2メートルは出ただろうか
魚が一度止まったので
リールのハンドルを回しクラッチをいれる。
もう譲れない。

出された分のラインを回収して
またゆっくりと後ろに下がる。

魚は観念したのか
浅瀬に横たわった。

イトウだ。

「よーし、よくやった!」
則さんがカメラを持って駆けつけた。

「すげーじゃん!」
○ちゃんも駆けつけた。

ふたりともただならぬ水柱を見た瞬間に
釣りの手を止めてくれた。

疲れきったイトウを抱く。
則さんがカメラを構える。
「おら!首元のジッパーを上げろ!」
「おら!ハットで顔が見えないぞ!」
「なんだ、その髭!」
「悪い顔してるなー!」

首元のジッパーを上げていると
則さんがアクーブラハットをかぶせ直してくれた。

僕はクスっと笑った。
髭と顔はここではどうにもならないからじゃない。

則さんが構えたカメラが
2年前と同じものだったからだ。

あの時、川に投げ込まなくてよかった。
もちろん投げ込んでいたら今、ココにはいないか。
なんて思っていたら
カメラを降ろした則さんが
右手を差し出した。

親指の付け根を奥の奥まで押し込んで
力強く握った。握られた。

僕の瞳には今まさに数滴落ちそうな水分が溜まっていた。

あなたとザウルスに教わったすべてを実践しましたよ。

ココロからそう思って伝えようとした瞬間、

「あーオマエ、手がヌルヌルしてんじゃないか!」
「ばかやろー!」

則さんが笑った。


つづく



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11/13


翌朝
薪ストーブが勢力を保つロッジの部屋を出た。

キーンと冷えた空気が全身を包み
呼吸をするとそれが肺を締め付ける。

朝食をとったあと
ここから下流に下りながら釣りをする。

河口から300キロも上流に来ると
川幅は狭く、流れは激しい。

その日、僕は
則さんと○ちゃんと3人で釣りをすることになった。
○ちゃんが良いポジションにいてくれるので
則さんも機嫌がいい。

則さんと二人きりだとこうはいかない。
あーしろ、こうしろ
そういう時はこうでなければ・・・
常に釣りの姿勢から考え方まで指導を受ける。

しかし、機嫌がいいからといって良い事ばかりではない。
準備も行動もゆっくりだ。
「早くー」とせかすと
「ばかやろーこういう時は悠々と遊べ、だろが」
と返される。

結局、出船が一番最後となる。

ロッジの船着場から下流にむけて出て
大きく左に曲がると
まるで急流下りのような荒瀬を進んでいく。
もう他のボートは見えない。

高低差のある急流ポイントを抜けて
少し開けたところ、
ボートはすぐに左の岸に寄せられた。

○ちゃんがサッと下流に向かう。
三人ということを考慮しているのであろう
どんどん歩いて下っていく。
流石だな。と感心しながら則さんを見ると
ボートでモタモタしている。
ならばと、○ちゃんの後を追って
真ん中のポジションになるであろう下流に立った。

川に目をやる。
対岸までは25メートルほど
主な流心は2筋。
流れのひと筋は対岸ギリギリを走っている。
どちらかというとそれがメインだろう。
対岸の地面はえぐられていて
その力強さがうかがえる。

もうひとつは川の真ん中あたり。
少し色濃くなっているのは
川底に流れが掘った溝ができているせいだ。
しかもその筋にはこの辺りでは大きめの岩が
いくつも底に見て取れる。

流速は対岸のそれに負けてはいるが
減水期に残る筋はこちらだな。

なるべく対岸の流れにルアーを入れて
バタバタとトゥイッチで誘いながら下流に流し
中央の流れの底岩でターンさせる。
そこで食わせる間を与える。

2年前、正影さんから教わったトゥイッチングの誘いと
福井の九頭竜川の主、廣瀬さんから教わった
食わせの間だ。

川に向かって、佐藤さんのように戦略を立てていると
両脇では川の流れの音に混じって
心地よいキャスト音が風を切っていた。

どうやら一番出遅れたのは僕のようだ。

8フィート8インチという長めのロッドに
リールはABUアンバサダー6500C
メインラインはナイロンの16LBだ。

待て待て、
朝一のキャストは落ち着いてだ。
その日のリールの回転具合を感じながら
軽く5割のチカラでキャスト。

うん、よく回っている。

次は大きく振りかぶって8割のチカラでキャスト。

よし、イケる!

6500Cのクラッチをチカラ強く切る。
右手の上流にむけて
13.5センチのルアーをフルキャスト。
対岸のエグレまでは届かなかったものの
放たれたルアーは流れに乗った。

ロッドを立て穂先でルアーに命を与える。
クッ、クッ、クッッ

ルアーが僕よりも下流に差し掛かる。
あの中央に沈んでいる大岩に送り込めるように
ロッドを寝かせながらリールのハンドルを巻き操作する。
ルアーは水面から大岩に向かって消えたが
ラインの位置である程度の存在位置は確認できる。

そろそろ大岩だ。
廣瀬流のターンと食わせの間をルアーに伝える。

・・・ゴンッ

反射的にロッドを立てたのは
それまで沢山の魚のアタリをとっていたからに他ならない。

来た!

そう、そのときが来たんだ。


つづく



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11/12


その日がやってきた。

一度、荷物をまとめて
森林警備隊のヘリに乗り
コッピ川の300キロ上流へと向かう。

300キロも奥地にもロッジがある。
それは冬の間、全面凍結するコッピ川で
スノーモービルを使ってハンティングに行くらしいのだが
その時だけ使うロッジだと聞いた。

300キロなんて高速道路を使うと車で3時間だが
大型のヘリだと室内の爆音に慣れる間もなく到着する。
ヘリは上流ロッジの下流にある河原に降りた。

ガイドたちのボート組が来ていないので
みんな歩いて釣りにでかけたが
僕と○ちゃんは
河原に置き去りにされた荷物の番をしていた。

ほどなくして早朝から出発していたガイドたちが到着した。
荷揚げをして冬の間しか使われていないロッジに
灯りと薪ストーブに火がつく。

夕飯まで時間があったので
辺りを歩いてみる。
すぐさま通訳のセルゲイが声をかけてくる。
「ロッジの灯りが届かないところに行かないように」と。

それはただの闇ではない。
人の体温を狙ってダニが襲ってくるダニや
冬眠明けの腹を空かした熊など
命に関わる闇なのだ。

あと3歩進めば闇に入る。
それでも2本下がって
ガイドの飯炊きの音と川が流れる音以外
なにも聞こえない空間に立つ。

スポーツザウルスのビデオ、コッピ川編で
則さんが言っていた
「沢山の誰かから見られている気配」

静かにたたずんでいると
それが分かるのだ。

時間がたつにつれてその数がどんどん増えてくる。
あちらから感じるのはちょっと嫌な視線。
こちらからはフワフワした視線。
それはダニや小動物、または遠くからの大型獣かもしれないし
もしかすると森の妖精かもしれない。
人の手が入っていない自然は
はかなくも美しく、そして恐怖に満ちている。

外気の寒さではない身震いを感じてロッジに戻った。

ロッジではみんな道具の準備をしていた。
どうりで静かなはずだ。

ラインを膝にかけてシステムラインを組んでいる。
ビミニツイストだ。

この頃の僕らのトラウトタックルといえば
PEラインではなくナイロンラインだった。

2年前の佐藤さんだけは
キャスティング用に早くもPEラインを用意していた。
聞くと「コレじゃないと獲れない魚がいる」と
明確な答えが返ってきた。

当時の僕はザウルスの指定を破る勇気はなかったので
この「獲るための考察と努力、そしてその準備」は
とても輝いてみえた。

あれから2年経っても
それは変わっていなかった僕がいた。


つづく



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11/11


2003年のコッピ川
その年のロッジには
親分の息子が手伝っていた。

当時で小学生の高学年ぐらいだったか
それでも身長は僕と同じぐらいだった。
だから到着後
日本から持ってきたフリースや洋服を彼にあげた。
彼は僕んなついて
ロッジに滞在している時はいつも一緒にいた。

初日の釣りから帰ってくると
「今日は山に入ってフクロウの羽根を取ってきた。
持っていると幸運が訪れるよ」
と、コレ本当にフクロウのものなのか?ってぐらい
とても大きな羽根をもらった。

僕はフィッシングベストの背中のポッケにそれを入れ
暗くなるまでの間、彼と河原で遊んでいた。

そして次の日から
僕は何かに取り憑かれたように魚を連発した。

大きく曲がった本流の
流速が強いカーブの外側。
そこのエグレに生まれる反転流で
僕は20キャスト連続ヒットを獲った。

代わってくれと○ちゃんが言うので
記録は20で終わったが
代わった○ちゃんはノーヒット。

また僕が始めるとヒットが続く。

操るルアーに後ろから鱒が追いかけてきてジャレつく。
僕が食わせのタイミングを入れると
慌てて鱒が食ってくる。
初めて頭の中に水中の映像が出た。

そしてガツン!

あの体験はなんだったんだろうか。
頭の中に映像がでてそれが釣果にリンクした。

それはその場所に限ったことでなく
魚が「来た!」ではなく「来る!」が判って釣りをしていた。

今年のコッピ川は僕のためにある
そう思った。

もちろん誰にも言ってはいない。

とにかく僕は浮かれていた。
浮かれていて後のキーワードになる「○○」という二文字を
他の人は聞いたけど僕は聞き逃していた。

鱒は沢山釣れたけど
まだ夢のビッグタイメンは1匹もかけていなかった。
しかしそれも、さほど気にとめていなかった。
なぜなら・・・

今回はもう一度ヘリコプターに乗り
300キロ上流へ向かうプランがあったからだ。

そこにはランドロック、
陸封型の巨大なイトウ、ビッグタイメンがいるという。

僕の夢が300キロ上流にある。


つづく




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11/10


ハバロフスクに到着後
いつものようにホテルに入る。
明日の午後にはコッピ川だ。

前回の帰路は国内線が飛ばずに
大変な目にあったけれど
そんな不安をかき消すぐらい期待で胸は大きく膨らんでいた。

翌朝、国内線でソフガバニへ向かい
森林警備隊のヘリコプターでコッピ川へ向かう。

左手には間宮海峡が広がり
右手には地平線まで針葉樹の森が続く。
その大きな自然の境界線を南へ向かって飛行する。

30分もたつと
見覚えのある河口に森へと駆け上がる大きな川が近づいてくる。

「コッピだよ」
一昨年の則さんのマネをして
若いアングラーに言う。

僕もこの前は
あんなキラキラした目をして眼下を望んでいたのだろうが
今ではメラメラとビッグタイメンを望んでいる。
もしかしたら
来年のカタログではビッグタイメンを抱いた僕の姿が・・・
なんて、欲に溺れたよどんだ目をしていたのかもしれない。

ヘリは宿泊するロッジ上空を旋回する。
なにやらロッジが至るところに増えているのがちょっと残念。
こういう所は
人間の生活感が少なければ少ないほうがいい。

ロッジ横の広場に降りたヘリからコッピ川に足をつける。
ママが僕のことを覚えてくれていて
挨拶のハグをしてくれた。
その時、前回行った時に
親分の娘がいて
これがまた真っ白な素敵なロシア女性だったのだが
通訳がすぐに
「親分が娘に手を出したらショットガンで頭を飛ばすって言ってます」
と伝えられた。
それを思い出した。

親分から撃ち殺されないようにすぐに離れる。

「おう、よく来たな」
前入りしていた則さんが出迎えてくれた。
もちろんハグはしない。

まったく何をしてたやら、と思ったが
どうも新しくできているロッジの群れに
一枚かんでいるようで
面倒は嫌なので聞かないことにした。

僕は○ちゃんとのふたり部屋を選び
早速、釣りの準備をする。

河原から伸びる木製の桟橋に立つ。

「ただいま、コッピ川」
なんて臭い言葉が簡単に出てくるのだ。

夢を追って
ロシアでの第二戦が始まった。


つづく



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11/9


ハバロフスクへの国際線ターミナルで
今回の釣行メンバーと顔を揃える。

ロシア行きに慣れていた
愛知のプロショップのオーナーさんも
正影さん、佐藤さんもいないので
ちぐはぐと動く。

流れが悪い。

たぶん、今回のメンバーで
一番ロシア行きに長けているのは
親友の○ちゃんだったけれど
僕らはなかなか動けずにいた。

身なりがちゃんとした素敵なオジ様が3人
ちゃんとお奉行様をされていたからだ。

則さんをはじめ、主要なメンバーがいないものだから
誰かも聞けないし。
話を聞いてると則さんよりも年上らしい。

なんとなく勝手が悪い。

ただ救いもあった。
若い釣り人が3人来ていたのだが
彼らは動きも軽く、礼儀も正しかった。

こっちと一緒にいよう。
僕でなくても誰だってそう思うはずだ。

その彼らというのが
今や、業界を牽引している超有名アングラー
澤田利明くん、佐野ヒロムくん、そして池上くんだ。

澤田くんはトラウトのみならず
201年の夏に
271.5kgのクロマグロを2時間の激闘の末
見事にキャッチしている。

佐野くんは数々のメーカーを背負い
今年のダイワのフラッグシップ機種、ソルティガに関わった。
長崎でのテストロケで巨大なヒラマサを何匹もキャッチした映像は
圧巻だった。

ロシアに同行した時は
まだまだ初々しい若いアングラーだったのに
凄まじい進撃だ。

ともあれ
一見してなんの団体か分かりにくい
雑雑としたフィッシングパーティーとなった。

○ちゃんがイライラしている。
オジ様たちが自由奔放で流れが悪い。

僕もあまりそういうのは好きではないが
頭の中はメーターオーバーのタイメンのことばかりだったからね。

正影さん、佐藤さん、プロショップのオーナーもいない。
ってことは
2004年のザウルスカタログに
ビッグタイメンを抱えた僕が登場できるかも!
そんな皮算用をしながら機上の人となった。


つづく


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11/6


なんのルアーだったか忘れたが
インジェクションルアーで
試作品は合格レベルだったけど
いざ工場から大量に仕上がってきた現物は
ん?っと頭を傾げる程の物だった。

当時は海外で作るとよくあることだった。

これはザウルス社内外でNGの声が出たけれど
このB品は塗装されパッケージに入れられそのまま出荷された。

早く無くそうと
僕も必死で売ったので
責任の一端はあります。

話は飛ぶけれど
一年後に
羽根付きのバイブレーションルアーの「ヴィブラ」を
うちのメーカー部門である「CODE」から
出してくれないかという話が
制作会社の「アーネスト」からあったときに
当時そこに在籍されていた
ファイブオーファンなら誰でも知っているビルダーさんから

「ヴィブラは不完全のまま出荷されたんで
どうせCODEでやるのなら最後まで私が仕上げる」

この言葉を聞いて
僕はこの会社の社長は嫌いだったけれど
憧れのビルダーさんと仕事ができるのならと
ヴィブラを完成させてCODEから出荷することに快諾した。

それはまたあとの話で。

ともかく
中途半端な状態での出荷もいくつかあったのは事実だった。

そういうのが
この2003年には早くからモサモサしていたから
僕は少しの不安をかき消すために
大きな態度で日々を過ごすしかなかった。

要するに「どーんと構えろ!」
そういうことだった。


ともあれ
ロシアに行くのだ。
置き忘れてきた夢や野望を掴みに
僕はにロシアへ行く。
去年までと違い独立しているので
誰に遠慮がいようか。
魚を追う道具も
それを駆使する身体も
すべてが準備万端だ。
日頃のモヤモヤから開放されたい。
すべてが忘れられるはずだ。

そして2年ぶりのロシア行きの朝を迎えた。


つづく




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11/5


そこに来てからの
2003年のバルサファイブオーのリリースは
毎月毎月、売れ筋ばかりのラインナップとなる。
集めていた人たちは毎月欲しいものばかりで
息つく暇もなく大変だったと思う。

毎月、このホットラインで
来月発売はこんなに凄いゾーなんて
煽っていた僕にも責任がある。

一応、その時の販売履歴をリンクしておく。
2003年スポーツザウルス販売履歴

どうですか
この一軍ばかりのリリースリスト。

凄い凄い、来月も凄い!って大騒ぎしながら
この発売ルアーの布陣に
逆に疑問を持ってしまった。

ザウルス本社のあまり話したことないある方から
「このラインナップどう思う?」と相談された。
僕はてっきり売れるか売れないかを聞いてると思い
売れるでしょ!
なんて軽く答えたら
「いや、そうじゃなくて・・・」と返されて
ハッと気づいた。

要は
毎月、息つく暇もないのはユーザー側でなく
メーカー側であったのだ。
毎月、売れ筋で行かないと売上が立たない。
それこそ残りでもしたら大変な状況だったのである。

「食うために物造りしたって、良い物はできない」
則さんがいつも言っていた言葉を思い出した。


つづく


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11/4


今年の準備は順調だった。
もっとも道具だけではない。

この年、2003年の3月に
僕はサラリーマンを辞めた。

自分が作り上げたインターネット部門を持って
12年間勤めていた会社から独立した。

一応、ちゃんと話し合いの末のことだったけれど
会社としては迷惑な話だったと思う。

ってことで
ザウルスキングは佐世保市で会社として登記され
僕は個人事業主となったわけだ。

3月の時点では
明るい未来しかなかった。

ザウルス社からはかなり優遇してもらっていた。
早い情報だけでなく
仕入れ値は他のお店よりも5%も安かった。
お店に来たザウラーはザウルス在庫に驚いていたが
実は8割が仕入れモノでなく委託で
ザウルス社からお借りしている商品だった。

瞬殺で売れていく商品はもちろんダメだったけど
ザウルスのデリバリーステーションにある在庫は
僕がチョイスして好きなだけお店に置いてもらっていた。
売れたら仕入れ値を支払うシステムだ。

もちろん、これから頑張って
徐々に買い取って行こうと考えていたが
在庫を揃えるのに多額の資金が必要のないスタートは
メリットしかない。
強いて言えば、毎月が棚卸ぐらいなものだ。

人気のバルサファイブオールアーも
よその何倍も、十何倍も入れてくれてたと思う。
九州営業所の分でも、お多めに入れてもらっているだけでなく
遅れて仕上がる本社分もどっさり譲り受けていた。
ザウルス社としても面倒な振り分けをするのではなく
小野山の所にどーんと一括で送っとけ!的なノリだったと思う。
たまにすごい数が送られて来た時は
余ったらマイナス切るからと軽く言われていたが
そこは僕も営業畑で育った男
意地でも返したことはなかった。

しかし、

ザウルス社のデリバリーステーションと直結していたことで
売れていない商品が分かることになる。

あんなに飛ぶように売れていたものが
在庫過多で残っている。
アレも、コレも。
年初めのセラフシリーズの生産中止も
そういった背景があったからだ。

そしてついには
バルサファイブオールアーまでもが
デリバリーステーションに残り始めたのだ。


つづく




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11/2


ロシア行きが迫ってきた。

しかし
僕にしては残念な知らせが入った。

今回、正影さんや佐藤さんは来ないという。
しかもそのことを聞きに
愛知のプロショップのオーナーさんに連絡を入れると
オーナーさんもまた行かないという。

知ってる顔ぶれが行かないのは淋しいというのが本音だけど
毎年ずっと行ってた人たちがパタっと行かなくなったので
去年、何か起きたのかな?
というより
どうして則さんは一週間も早くロシア入り?

色々ちょっと不思議に感じたけど
僕は前回の想いを成就させるべく行くのだから
あまり考えないことにした。

2年前の釣行の時は
釣り道具からウエアまで
やったことない釣りだったから
準備が大変だったが
今回は前回のも使えるし
知識という余裕もある。

フィッシングベストとウエーダーはシムス
そのベストにはピンバッチを数個ハメこむ。
ジャケットはザウルスの意外と漏れるゴアテックス。
リールはスピニングはステラで
ベイトはABUアンバサダー
どちらもナイロンライン。
オーストラリアのアクーブラハットに
ペンドルトンのシャツ。
巨大なサクラマスネットを斜めに背負って侍掛けという。

もちろん全て用意しましたよ。
ザウラーだもん。

そう、このザウラーってのがね、どうもね。
どこのフィールド行ってもザウラーって分かるんですよ。
今思えば
みんな同じカッコして釣りしてたなんて

気持ち悪い・・・

その気持ち悪い先頭を僕は走っていたのだ。

まるで宗教。
則’Sマジックにどっぷりとやられていたのである。


つづく


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10/29


展示会シーズンも終わると
春バスの遠征の準備に入る。

則さんに連絡すると
「俺は今年は行かないよ」とあっさり返答。
こちらも「あっそ」とあっさり返してやった。

「その代わりよ~」
ん、なんか楽しそうな話かけだ

「その代わり、ロシアには先に入っているからなぁ」
「あとで来いよ~」

ということは飛行機の関係上
2週間以上はコッピ川に滞在しているってことだ。
この人、やっぱりトラウトが好きなんだ
美人通訳もいるしね・・・。

ということで
その年の春バス遠征は
去年と同じフィールドへ向かいました。
則さんはいないのに
カメラマンは津留崎さんという違った緊張感。

そしてこの時に
同行してきたザウルススタッフに笠井くんがいたのです。

笠井くんはステッピンフラッターの製作者。
ザウルスの工場や則さんのロッジで何回か会ったことはありましたが
じっくり話すのは今回が初めてでした。
なんかウマが合って
毎晩、夜遅くまで寝っ転がって話してたな。

笠井君がステッピンフラッターのウエイト設定の話をするとき
目がマジなんですよ。
それも怖いぐらいにね。
その時の印象が強くて
そこで僕は彼の紹介を「鬼才」としたんですよ。
したと思ってたんですよ。

変換ミスで「奇才」になってたという。
気づいたときにはその「奇才」が浸透していて
まあこっちでもいいか!それもそれっぽい!
ということで訂正はしませんでした。

そのあとも彼との付き合いは変わらず続きます。

釣りという遊びをしていると
永く付き合う友達が突然できます。
この2ヶ月後に行くロシア釣行もそうでした。

もちろん、他の趣味でもできるものなのでしょうけどね。

笠井くんと会った時に生まれた言葉があります。
それからよく使う言葉です。

「大切なのは付き合った時間じゃない、密度だよ」

実に臭い言葉ですが
僕はこの言葉を大きく感じる人生を歩いています。


つづく



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10/28


関東展示会が終わり
日常に戻りました。

関東展示会では業者様だけでなく
一般ユーザーにも対応してましたが
関西、九州展示会では各営業所でやるので
業者様だけの開催になります。

九州は2月の月末
僕は最終日の最後の最後に顔を出しました。

営業所に入ると
疲れきった則さん。
まあしかし、営業所がしっかりニンニク臭いところをみると
焼肉からの飲み過ぎってところでしょう。

僕が行っても
ぐがーっとイビキかいて寝てました。
ウッドのホッツィーの新色、ボーンカラーを見てると
「おのやま、そろそろ行こうか」

突然起きた。

どこに行くかというと
ここ福岡から長崎のザウルスキングに行くと言ってます。
展示会を見に来たっていうか
僕は迎えにきたんです。

車の中がニンニクの香りで充満したまま
佐世保にあるうちの店に着きました。

情報を知った何人かのお客さんが
サインや写真をお願いします。
僕も最初に会った時は
あんなふうにキラキラしてたのかな?

いや、すぐにガツンと落ちたんだった。

そんなこと考えながら
ニヤニヤしていました。

うちの会社の事務の皆さんが
だご汁を作ってくれてたので
店でワイワイだご汁パーティー。

さあ、そろそろ長崎空港に送るかって時に

「佐世保の海が見たぞ」とゴネるものだから
すぐに車に飛び乗って
佐世保名物の九十九島の風景を見せに連れていき
そのまま空港へカッ飛んで送り届けました。

空港の時点では
ニンニク臭もなくなっていましたが
則さんと塚本常務が長崎空港を歩いているのは
なかなか異様な光景でした。

よくよく考えると
九州営業所から福岡空港に行って
すぐに関東に帰れるのに
佐世保経由の長崎空港発って
よく来てくれたもんだ。

今年も良いスタートだ!
と、そのときは思いました。


つづく




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10/27


最大の難関、トークショーが終わると
まるですべてが終わったように
プラプラと歩き回ったり
則さんのデリバリーバンに乗ったりして遊んでいた。

ただの目立ちたがり屋ではない。
ちゃんと意味があったのだ。

千葉で仕事をするのなら
ネット通販をやっている僕としたら
ひょっとしたらお客さんに会えるのではないかと
期待していた。
僕を見つけやすいようにしていたんだ。

結果、
則さんに捕まってしまうというお粗末さ。

「おい、今年はロシア行くぞ!」って話になる。
こうやさんも行かれるらしい。

戻って正影さんと佐藤さんに聞いたが
ふたりとも今年は分からないという
なんとも「行かない」よりの返事であった。

会場真ん中に設置された水槽では
矢木さんがルアーを動かしていた。

覗いてみると
バナナの形をしたルアーで
どちらが前だろ?と思っていたら
長めのスライドバーが付いてる背中が前だった。

結ばれたラインと直角を保つ浮き姿勢なんて
前代未聞だろ!と驚いたのを覚えている。

初日が終わって
関東の友人たちと居酒屋に行ったが
寒さか疲れか、どうも調子が悪く
口数すくなく大人しかったと思う。

釣りをしていたほうが楽しい。
そう思った。
その時はね。

よく
「あの人、釣りjに行ってないでしょ?」
って言われる。
だからなんだと思う。

そういう釣り人は
自分が釣ることぐらいしか考えきれない。

釣りに関わるというのは
なにも魚を釣ることだけではない。

たとえば
釣り雑誌の編集者もそう
忙しくて釣りに行ってられない。

釣り場の環境や魚を守る人がいる。
若い釣り人も育てる人がいる。
みんな釣りに関わっている。

みんな未来を見据えた釣りに関わっている。

その日、イベントの司会をして
人前に出るのが好きとまでは言わないが
人前に出るのは苦ではないので
漠然と、本当に漠然と
そういうプロデューサー的な関わり方をしたいな、
そう思ったんだ。

でもその時は
すぐにでも帰って、釣りをしたかったけどね。


つづく




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10/26


2003年スポーツザウルス展示会が始まりました。

司会はこの僕。
決められていたのは
ある程度の流れだけで
台本があるわけでもありません。

もうこうなれば、やるしかないのです。

各釣りのトーク順番は
ブラックバス部門、トラウト部門、ソルトウォーター部門の順で
僕と各エキスパートの掛け合いでした。

最初に始まったブラックバス部門。
自分が一番やり込んでいる釣りだし
則さんを調子付かせて話をさせるのは得意だったので
問題ないと思っていましたが
始まった途端、

「俺は今日、風邪を引いてて話せないんだ」
と困った則さん。

急遽、呼ばれた林さんを含めて3人でやってると
美味しいところでは声が出る則さん。

まあ、難なくクリア。

次にトラウト部門。
僕と正影さんと佐藤さんの3人。
これは2001年にロシアに行ったメンバーなので
その時の思い出話をもとに
僕がトリアで聞いて感心した話を問いかけました。

正影さんのトラウトに対する思いや
佐藤さんのイチロージャーク開眼までの話。
これはお客様に満足頂いたと思います。

やはり「過去の経験は必ず役にたつ」です。
しっかり手応えを掴んで
いよいよ最後の難関に望みます。

その時の僕といえば
ソルトウォーターの釣りは
河口のシーバスと磯のヒラスズキぐらいで
船からのオフショアフィッシングはやっていませんでした。

そこにきて業界の超大物
チャーマス北村さんとの掛け合いなんて
どうすればいいのか・・・不安しかありません。
しかもお話どころか今回が初対面です。

北村さんと僕がお客さんに向かって座ります。

僕がぎこちなく
北村さんがザウルスカタログで語ってることを持ち出します。

すると北村さんのとんでもないトークが始まりました。

「ああ、俺もさぁブラックバス釣りたまにするんだよ」

そこからどこそこで
こんな釣り方して、あーで、こーで・・・

「シーバスもさぁ、あそこで釣ったのは・・・」

オフショアの話はなく
僕が普段やっている釣りの話ばかりでした。

僕のレベルに合わせてくれてのでしょうけど
お客さんとしては北村さんのオフショアの話を聞きたいわけで
僕は相槌を打ちながら
お客さんの表情をチラチラみてヒヤヒヤしていました。

何回か、オフショアの話を振りましたが
まったく相手にされず
終始、ブラックバス釣りとシーバスの話でした。

最後の最後に
「イソマグロ100kgの夢、期待してます」の言葉にも

「ああ、そんな簡単じゃないんだよなぁ」

いや、その簡単じゃない話を聞きたかったんですよ!
と、まだツッコミも入れれる関係じゃなかったので
グッと飲み込みました。

もう惨敗でした。

三部門のトークショーの閉幕。
どっと疲れました。

しかし、この時
北村さんとの出会いは
のちに僕の支えとなることになります。

そのお話はもう少し先のこと・・・


つづく



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10/23


とうとう2003年を迎えた。

「おまえ、2月の8、9日くるんだろ?」
正月早々に則さんからの電話だ。

2月8、9日は
千葉県木更津のスポーツザウルス敷地内で
関東展示会が開催されることになっていた。
バス、ソルト、トラウト
その年のザウルスの全てを
ここで発表するという。

カタログでお馴染みのテスター陣も勢揃いだ。

「おまえ、ホテル取らなくていいからな、ロッジにくればいい」

僕だって久しぶりに友人たちとゆっくりしたいと伝えると
急に話を変えた。

「司会、頼むぞ」

そうなのだ。
この展示会の司会をやるように言われていたのだ。

当時の僕はバスのことなら話せるけど
ビッグトラウトも一回言っただけ
ソルトも近場のシーバスは話せるけど
オフショアはやったことがない。

普通ならここでモジモジするかもしれないが
ポジティブな僕は楽しそうなので一発快諾をした。

どうにかなるさ。

前日の夜、羽田に降り立つ。
横浜の友人が迎えに来てくれた。
その日は彼の家に泊まって
早朝、海ほたるを走って千葉に入る。

工場地帯にはいると
深いグリーンの壁に恐竜の絵が書かれた社屋が見えた。
このグリーンもこだわってんだろな。
なんて呑気に駐車場に入っていくと
則さんのフォルクスワーゲンのデリバリーバンが止まっている。

やはり雰囲気ある車だ。

赤いスタッフジャンバーを着た社員さんたちが
忙しそうに動いている。
会う人、会う人に挨拶しながら行くものだから
気になる社屋内の会場までなかなかたどり着かない。

そしてガレージの入口にあと一歩のところで
ラスボス登場。

「なんだ来たのか」

則さん、呼びつけたのアナタでしょ。

新しい車買ったから見てみろよって
打ち合わせとかあるんだから。

緑色のダイハツ・ミジェットを指さした。

タイミングよく、今でも付き合いがある社員のOさんに呼ばれる。
社屋のの中にはいると
2003年のタックルがずらりと並び
中でも一番に目を引いたのが
ザウルステスター陣の私物の展示だった。

Oさんから展示会の流れの説明を聞きながらも
それが気になって仕方が無かった。
そして驚いた。

僕は司会進行とだけ思っていたのだけど
バスは則さん
トラウトはロシアに行った正影さんと佐藤さん。
ソルトはあのチャーマス北村さんと
掛け合いで進めてくれという。

こいつは困った。
バスは則さんに話を振ってしゃべらせるとして
トラウトも三人で思い出話から進めればいい。

しかしだ、

大物、チャーマス北村さんとの掛け合いはどうする。
北村さんといえばオフショアで超重鎮。
何を切り出すか・・・

カタログでよく見る文字
「イソマグロ100kgへの挑戦」
これしか思い浮かばなかった。

こいつは困った。

打ち合わせを終えて外に出ると
則さんはラーメン大王のこうやさんと話をしていた。

挨拶すると
「おお、キミか!」

下げてた頭を上げて、ニカッっと笑う

実はこの「おお、キミか」は
ザウルスキングを始めてから
今でもそう
よく人に言われるワードなのだ。

何をどう言われているのか知らないけれど
悪い風には取れないので
僕は結構気に入っている。

ひとつ、ふたつ話したあと
僕の知らない話題が出たので
これ幸いと
気が利くふりをしてその場を離れ
喫煙所で凄いオーラを出していた
正影さんと佐藤さんのところに行き
同世代の三人でグダグダとしていた。

お昼も近くなると
駐車場に車が入りだし
お客さんたちが大勢押しかけてきた。

「お待たせしましたー!」

2003年スポーツザウルスが動き始めた。


つづく



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10/22


この年、年末にむけて
ラージマウス・セラフのオリジナルカラーの設定準備をし始めた。

前年、最初にリリースしたボーンシリーズは400本。
その夏、7月3日にはレッドフロッグが300本
そして2002年の1月7日に
セラフのプラスティック素材の特徴をいかしたクリアボディーに
パロットとチェリーコーチドッグを塗った
アンクルスミスとホッツィーで100本と
どれもすぐに完売していた。

レッドフロッグは
それまでフロッグカラーといえばグリーンベースばかりだったけれど
文字通り、レッドカラー。
その当時はそんなカエルなんてなかった。

余談だけど
のちにガウラクラフトがレッドフロッグを初めて塗るときに
「レッドフロッグをやっていいか?」と、ちゃんと断りの連絡が入った。
もちろん、これに商標や意匠登録をしていた訳ではないので
僕の色目でもなんでもないが
ちゃんと筋を通して来てくれたのがとても嬉しかった。

クリアはあったけれど
クリアをいかしたカラーリングも当時はなかったが
それから見るようになった。
クリアチェリーコーチにそっくりさんも出てきたね。

ラージマウスのセラフに関しては
あとあと揉めそうなので
他のショップさんにも声をかけて
同じ条件で進めさせて欲しいと営業サイドから連絡があったので
もちろん独り占めする気もなかったが
何か、差をつけてやろうと
ネズミだけに革紐で作ったシッポを製作して製品につけることにした。

レッドフロッグとクリアパロットは前作と同じカラーで
レッドヘッドの白い部分が蛍光グローと
ヘドンタイガーのトラ柄を塗い
合計で200本用意した。

シッポ効果もあってか
やはり即完売となった。

その販促効果が伝わったのか
翌年のラージマウスBIGファーフィニッシュには
シッポがつく。

僕にとっては
実釣的にも営業的にも
セラフシリーズには、かなりお世話になったが
年末に来年度のセラフの生産の中止が発表された。

確かに巷の釣具屋さんでは
売れずに残っているのをよく見るようになった。
それはセラフだけでなく
バルサシリーズも見かけるようになっていた
このあたりから
どうも怪しい風が吹き始めることになる。

そして、あの2003年を迎える。


つづく




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10/20


ロシアから帰国した則さんから電話がありました。
「おまえに話すのは気の毒だけどよ~」

その年のコッピ川は
10年に1度といわれるぐらいの
ビッグラン、多くのサクラマスの遡上があったそうで
大きさも桁外れだったそうだ。

まあ、そんあもんだ。

この頃の僕は朝夕、夜中と
バスやシーバス、とにかく釣りに行ってました。
まるで行けなかったロシア釣行のウップンを晴らすようにね。

スピニングリールを沢山買ったり
ナバロの16フィートカヌーを買ったり
道具もだんだん増えてくる。

「お前のナバロは安定性は良いけど直進性がイマイチだな
俺のオールドタウンは逆だけどな」

則さんとカヌーの話もできるようになった。

ブランクの色に赤や緑のフィリプソンカスタムが登場したのも
この頃でしたね。
グリップのウッド素材は
ギブソンのレスポールなどに使われているカーリーシカモア材だ。
幾らだったかな?7、8万円だったかな?
当時としてはその金額に驚いたけれど
今となっては逆に安かったんじゃないかなと感じる。

9月になると
春の遠征でテストされていたマイティーフラッターが発売された。
やはり製作者やテスト風景などを知っていると
格別の想いがある。

道具というものはまったくもってキリがない。

2002年
この年の9月11日に
アメリカで同時多発テロが起きました。

ニューヨークのワールドトレーディングセンターに
旅客機が突っ込み崩落するシーンをテレビでみてて
こんな映画みたいなことが実際に起きるのだと驚愕した。

実はある意味
この同時多発テロの被害者でもある。

アメリカから仕入れた
則さんと同じタックルボックス
アムコ3060

やっとの思いで手に入れたが
墜落したどれかに乗っていたみたいで
結局手元には届かなかった。

そんな2002年の秋でした。


つづく


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10/19


2002年
この年の春は多忙な日々をこなしていた。

先の遠征が4日間。
その次の週に田辺哲男プロが来られた
ハウステンボス・シーバストーナメント。
その次の日が
佐賀県松浦川で開催された
山根さんが来られた五壱杯と
飛び回っていた。

もちろん、平日はサラリーマンだ。

ゴールデンウィークも明けた頃
とうとう身体が悲鳴を上げた。

体の左半分に発疹がでて
痛くて痛くてたまらなかった。

「ヘルペス」、帯状疱疹になってしまった。

去年、2001年のシベリア釣行で
メーターオーバーのタイメンを釣ることができなかった。

2002年のザウルスカタログで
124センチのタイメンを抱いた正影さんの勇姿が出てるが
僕が帰ったあとの上流でタイメンが沢山釣れたこと。

どうしても、この手で抱きたかった。

だから、去年に続き
ロシア行きを決意して予約を入れていた。

泣く泣く、キャンセルの連絡を
愛知のプロショップのオーナーさんにいれる。
去年、帰ってきてから
毎年、ロシアへ遠征することは
仕事も金銭面も大変ではあったけれど
通いつめて分かること、見えてくることもあるはずと
準備を進めていただけにとても残念だった。

実際、
ロシアから帰ってきてからというもの
80センチを超えるシーバスを
よく釣るようになった。

ネイティブの鱒が沢山いるところで
色んな釣り方が試せた。
川の流れの見方、
ルアーの着水ポイントからトレースのライン。
誘い方に、食わせ方。
数を釣れば
やり取りのスキルだって上がる。

国内でのビッグトラウトの
数少ないチャンスをものにできるように
通いつめようと決めたその最初の年にコケるという。
まさしく僕らしいといえば、らしい。

その旨を則さんに恐る恐る連絡したら

「そんなん大したことねーよ、行くぞ!」
と軽くあしらわれた。

だから行きたいのは山々なんだって
2002年の梅雨は
僕のココロ模様でした。


つづく


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10/15


遠征から帰ってきてからしばらくしたある日
それは注文のメールに混じっていた。

メールを開くと
地元のアングラーからだった。

メールの内容は
千葉県のチェロキーなどが来て
釣りをしていただろ?

ちなみにチェロキーでなくレンジローバーだけどね。

要するに
そこで釣りをするな。
釣りに来るな。
我々は地元の人に酒などをもっていって許しを得てる。
このダムを守っている。
そういった内容だったが
どうしてザウルス社にいうのではなく
うちに長文のメールをよこしてきたのかな。

僕はダムを管理するところや
川を管理する漁協に連絡を入れて調べたが
当時は釣りをしてはいけないという事実も
特定の人だけに権利を与えていることもなかった。
逆に
ブラックバスをガンガン釣って
持って帰ってください。
との事だった。

だから相手にしなかったのだが
僕の話を聞いた血の気の多い連中が
「俺たちが話をつけてきますよ」と相手に会いに行った。
結局、その人は山口ではなく福岡の人だった。

結果、話の内容は覚えていない。
話がついたわけでもなく
相手の車とナンバーぐらいを覚えてたぐらいだ。

それからも幾度かそのダムに釣行した。

ある時
ダムの堰堤からボートを降ろすスロープまで
途中から車一台がギリギリ通る未舗装の
カーブの先が見えない道になるのだが
突然、ボートを牽引したランドクルーザー80が止まっていた。
ナンバーをみて報告があった車とすぐに判った。
そして

立ちションしていた。

キミの釣り場を守っている愛とはそんなものかと失笑した。

そのダムは今でも釣りはしていいみたいだけど
エンジンの使用は禁止になっていると聞いた。

たとえば僕らなら
2、3日はロッジを借りる。
温泉センターも利用する。
食料だってそこで調達するし
船外機や車の燃料だっていれる。

そこにお金を落とすのだ。
ブラックバス釣りを観光資源にする考え方は
本当にいい事だと思う。

水質のことを思えばエンジン禁止にするのも分かる。
でもあの広大なフィールドは
手こぎやモーターだけでは範囲が限られている。

エンジン船でしか行けないあのワンドや岬
ルアーの記憶を忘れたビッグバスや
ルアーを知らないヤンチャなバスが
すくすくと育っているのだろう。

山深く広大なフィールド。
昼間は風が吹くけど
夕方前にピタッと止むんだ。
そうするとそこのバス達が本領を発揮する。
荒々しく野生の姿を見せてくれる。
その谷間の深さゆえ
すぐに暗くなる。

釣り人たちは自分のキャストしたルアーも見えなくなっていくなか
もう少し、もう少しやらせてくれと思うんだ。

とても素敵なダムなんだ。


つづく



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10/15


「な、言っただろ?」

釣ったバスを優しくリリースをして
柔らかい笑顔で僕を見る。

こういう子供っぽいところも
たまに見せるから憎めない。

「さあ、帰るか」
おい!
しかしお腹が空いているからそれもアリだと
ボートを反転させる。

取材を受けるときには
あまり釣行中に物を食べない。
コンビニの白いビニール袋などは乗せない。

まだ明るいうちにスロープへ帰り
片付けをしていると各艇帰ってきた。

僕の大好きなルアー
ダンプティークリンカーの製作者であるYさんも
プロトルアーで50センチアップを釣っていた。

この時のプロトルアーが
のちにマイティーフラッターとして発売された。

かなりハイポテンシャルなダムだとここで認識する。
則さんも機嫌がいい。
移動はなさそうだ。

ロッジに戻り宴の用意をする。
飯を作り、酒を喰らう。
釣れた日の釣り人の話は尽きない。

フォトグラファーの津留崎さんと話していたら
同郷で大学の先輩だった。

「こんなに博多弁を話したのは久しぶりバイ」
すっかり標準語がなくなった津留崎さんだった。

それからというもの
今でも、どこで会っても
「なんばしよっとや?」と切り出してくる
お茶目な大御所である。

2日目も3日目も
お酒を飲みすぎて朝のいい時間帯に出船しなくても
バスはよく釣れた。
夕方だけでもいいのではないか?って思うぐらい
よく釣れ続けた。

4日目には午後から移動なので
則さんを乗せた僕のボートは
午前中に写真撮りだった。
最上流部のクリアウォーターで撮影で
津留崎さんの真骨頂、半水中写真だ。

このショットで
翌年の2003年ザウルスカタログに
僕は載ることができた。

顔半分だけどね。
でも僕にとっては十分。

その時の感動は
今でも薄れることはなく
しっかりと覚えている。

しかし人間というのは欲でできたモノ。
次は釣った魚をもって載りたいなどと
どこまでも想いは果てないものなのだ。

片付けを終え、山を越え
ザウルスチームを空港まで送り届けて
九州へ戻る。
ひとりになった車の中では
上手くいった取材に終始ニヤニヤしていた。

この釣行で事件が起きるとも知らずに・・・


つづく



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10/14


船首が木に差し掛かる。
則さんはテンガロンハットを右手で押さえて下を向く。

突撃。

キキキキキ
船底からきしむ音。
どちらの物かは分からないが
どうやら水面直下にも枝を伸ばしているようだ。
エレクトリックモーターのチカラではボートも前に進まなくなる。

則さんはまだ枝の中でじっとしている。
ちょっと笑いが漏れそうになるが
これだと僕自身に災難が降りかかってくるので
もう一度、モーターのアクセルを最速にいれる。

動かない。

仕方ない。
僕はモーターのアクセルから手を離し
右の枝を右手で手繰り寄せた。
ボートはきしみ音をたてながらも
少しずつ奥へと進む。

近づいた左の枝を空いてる左手で掴む。
後ろに仰け反りながら手繰り寄せる。

キキキ
船首が枝葉のジャングルの中から突き出た。

気を抜けばまた戻される。
僕はもう一度チカラを入れて寄せたあと
両手を一度離してもっと奥の枝を掴み
仰け反った。

則さんがジャングルから出た。
と同時にロッドをもって立ち上がる則さん。
僕は枝葉のジャングルの真っ只中。

則さんが後ろを振り返って
コソコソ声で伝えてきた。

「居る、居るぞ」

枝葉の中から狙っているポイントを覗く。
ここでは流れ込みの川幅は2メートルぐらいだが
木々を越えたあたりからV字にぐっと狭くなっていた。
それでも奥行は7、8メートルはあるようだ。

木々やその枝のせいで溜まったのだろう
水面は落ち葉で覆いつくされ
魚にとっては絶好のシェルターが構築されていた。

「もうちょっと奥だ」

歯を食いしばり鬼のような形相をした僕は
もう一度、チカラを入れるが
そこからボートはまったく動かなかった。

「待ってろよ」

「このまま?」

後ろにある僕が入っている木々を気にしながら
立ったまま変なキャストをした。
ヒックリージョーはすぐに失速して2メートルも飛ばずに
着水、いや落ちた。

首をかしげながら
静かにゆっくり回収。

もう一度、変なキャスト。
今度は5メートルは飛んで静かに落ちた。
ヒックリーのラバーレッグをヒクヒクと動かすと
落ち葉に覆われていた水面が割れた。

ドンッ!
則さんのロッドが天を指す。
しかし先端は綺麗に水面に向かっている。
キキキ!
手づかみで固定しているボートが左右に揺れる。
キュルルル!
いつものやりとりよりハンドルを回すスピードが早い。
それもそうだ。
これだけの場所だから水中には障害物だらけだ。
バババババ!
ブラックバスが水面で暴れる。
ギギギギ!
ボートを安定させるため歯を食いしばる。

勝負は一瞬だった。

釣り人の肉太い手は
バスの下顎をがっつり掴んだ。

それと同時に辺はまた静けさを取り戻した。

僕はジャングルの中で
則さんの荒々しい息遣いだけを聞いていた。

森独特の静寂の中、
僕は両手を離した。
と同時に、ボートはゆっくりと出口へと流されていく。
則さんがジャングルの中に入る。

あ!
と思ったが今度はしっかりとバスの下顎を掴んで離さなかった。


美しい体高をもった50センチのブラックバス。
産卵を意識している頃か
お腹はでっぷりと大きかった。

カメラ艇が寄ってきて撮影が始まる。

あの最後のカタログ
翌年の2003年スポーツザウルスの表紙になったショットだ。


つづく


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10/13


その山口県にある山奥のダムは
2本の大きな川を塞き止めて作ってあって
その合流点にボートスロープがある。

各艇、スロットルを開けながら左右に散っていく。

則さんをフロントシートに乗せ
僕は舵を右へきった。
右からくる川のほうが起伏に富んでいて大きかったからだ。
後ろには津留崎さんを乗せた取材艇が続く。

風が湖面を波だて日もまだまだ高かったので
風裏のシェード絡みにポイントを絞って狙っていく。

いくつかポイントを回って魚の反応はなかった。
すると則さんがダーターでボコボコ言わせながら
僕に聞く。

「おい、去年のダムまでどれぐらいで移動できる?」

いやいや
いま、4艇を出したばかりだから
移動なんてとんでもない。
だから僕はぶっきらぼうに答えた。

「たくさん」

それは時間と苦労のどちらの言葉にもかかっていた。
もちろん返事はない。

本流を進んでいれば見逃しそうな小さなワンドを見つけた。
同時に則さんが指差す。
分かってますよ、と言わんばかりに急なターンをして
ワンドの入口に入った。

ワンドに入ったとたん
それまで耳をつんざいていた風の音が消えた。

この下には昔の集落が沈んでいるのだろう。
岬の先には古い木製の電信柱が立っていた。
集落があるということは
必ず生きた水源があるハズだ。
期待を胸にボートを奥へと進めていく。

左からせり出した大きな木を避けると
急にV字型に狭くなっていった。
次に現れたのは両サイドから中央に伸びる木々。
完全にボートの侵入を阻止する位置だ。

やはりだった。
その木の奥でさわさわと水が流れ込む音がしている。
さきほどまで勢力を誇っていた風も日差しも遮られ
ひとりなら心細くなりそうな
うっそうとした雰囲気をかもしだしていた。

則さんはヒックリージョーがセットしてあるタックルに持ち替え
木と木の中央に割っていれた。

ひくひくと静かに悶えさせていたヒックリーの下から
突然、水面が割れた。

「よし!」
と言ったのは僕の方だった。
これで移動はないな。

しかし、よく引いている魚だ。
上がってきたのは50センチにわずかに満たない
体高があるグッドコンディションのバスだった。

取材艇から声がかかる。
「もう少し後ろで撮影しましょう!」

「あいよ」と余裕の則さんの言葉で
僕もモーターのレバ-をリバースにいれる。

余裕の顔は一瞬で終わった。
ヒックリーを丸呑みしたバスは余力を残していた。
反転一発でフックアウト。

「おい、外れちゃったよ」

ヤバイ、また怒られる。

則さんはどんっとシートに腰を降ろし
さらに奥へ行けと言わんばかりに
視線はそこから動かなかった。

要するに
あの左右から張り出した木々の真ん中へ進めということだ。
僕は自分のタックルをすべてボートの内側にしまいこんで
流れ込む音だけがする
暗い暗い沢の奥へとボートを進める。


つづく



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10/12


2002年になり
また春のザウルス釣行で
九州を起点に動く。
今回は
山口県にあるダム湖に行くことになった。

瀬戸内海側にある山口の空港にザウルス一行を迎えに行く。
僕が乗ってきたボルボ240の助手席に乗り込んですぐ

「懐かしいなぁ、俺もこれに乗ってたよ」

則さんは車が好きだ。
その時、ボルボのワゴンも持ってたけど
240のほうが美しいと言っていた。

僕は憧れの人と会うことになる。
写真家の津留崎健さんだ。

以前から津留崎さんの写真が好きだった。
挨拶したときに
「ウォーターゲームス、持ってます」と言うと

「ああ、ありがとう」とクールな応対は
そういうヤツ、どこにでも居るよね
みたい感じにとれた。
ん~クリエーターの人は難しいなぁ
それが最初の印象だった。

買い出しを済ませ
山をいくつも越え
ダムの下流にあるロッジに入る。
自炊ができて、しかも温泉つきという
快適なレンタルロッジだ。

日暮れまではまだ十分時間がある。

それぞれがタックルの準備や
夕飯の仕込みに動く。
遊び上手な男たちばかりなので
するすると片付いていく。

車4台に便乗して
ボートと釣り道具だけを乗せてsロッジを後にした。

ダムの堰堤からボートを出すスロープまで
途中から車一台がやっと走れる未舗装の道になる。
カーブの先も見えない。

時々、ボディーに枝があたる。

やっとの思い出広い駐車場に出る。
これから朝夕と2往復しなきゃいけない。

そこからさらにボートやエンジン、バッテリーなど
担いで湖面へと降りていく。

4輪駆動車がいるよなと
ブツブツと言いながら降りていく。

僕は取材艇にと
ひとまわり大きなボートに買い換えたから
これがまた一苦労だった。

ボートの準備を終え
古いエンジンの機嫌を伺っていると
則さんがブーツについた泥も落とさずにドカドカと乗ってきた。

「さあ行こうか」

そのいつもの合図で
春のデカバス狙いの釣りが始まった。


つづく



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10/09


11月になり翌月の入荷情報をアップする。
いよいよ10周年記念ルアーが登場だ。
同時に記念ジッポーラーターも企画された。

発案から携わっていただけに
しっかり売ってやろうと予約を開始した。

一週間も経たずに150セットの注文が入り
大丈夫かと九州営業所に連絡をいれた。

数日後、返答があった。
予約を一時中止してくれと。

あまりの反響に全国に行き渡るのかという判断だった。

僕はこの判断にしたがったフリをして
裏では予約を取り続けた。

結果、12月の入荷時に
とんでもない量の荷物が届く。
そこから2日かけて10周年記念ルアーを全国へ出荷した。

実jに300セット。ほとんどが予約ではけた。

この頃にもなると
この街の運送魚社間では噂になっていた。

月に一度、佐世保市に本社をおく
超有名テレビショッピング社の出荷数を抜く小さな釣具屋があると。
また、そこの荷物は1個あたりとても小さいく
大型家電などではないので楽だと。

運送業社間でうちの取り合いのケンカもあった。
そんなことだから
送料の値引きやら、梱包素材の無料提供など
とても優遇されたのだ。

それともうひとつ。
ザウルス社からの提案があった。
ロッドやジグ、ルアーなどを
委託で置いてもらえるようになり
あっという間にもの凄い釣具屋となりつつあった。

2001年はこうして上り調子で幕を閉じた。


つづく





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10/08


準備は整った。

10月27、28日と2日間に渡って開催する
50ミーティングin九州。
2日間だから川原でそのままキャンプの予定だ。

その前日からバスワールド誌の取材で
熊本のクリークに入る。
そこでは10周年記念ルアーのプロトが持ち込まれた。

キャンプセットにボートを含む釣りセットにと
僕のランドクルーザー100は満タンだ。

その年のザウルスカタログに
勇姿が載った熊本の友人の案内でクリークを攻めるも
僕は冬ごもり前の雷魚の猛攻に合い
ブラックバスの顔は見れなかった。

しかし熊本ラーメンが美味かったので良しとした。

釣りを終え福岡に戻り
もつ鍋屋に入る。
そこは有名人が集まるお店で
壁には芸能人の写真が沢山貼ってある。

釣り雑誌だけど、一応、取材。
食べてる姿をライターさんがごっついカメラで撮るものだから
お店の人が芸能人かなんかと間違えて
カメラをもって飛んできた。

違います、違います。と丁重にお断りをしたが
今、思えば
写真を貼ってもらっておけば
いい笑い話のネタになったかな。

そのまま夜通し北九州に走り
会場となる河川敷で夜を明かした。

朝になり、ザウルスの営業の方々も到着して
設営の準備にとりかかる。

宣伝が効いているのか
お昼の開催なのにお客さんは早くから集まり始め
則さんと
「ブラックバス釣りの楽しみ方」の共同著者、山田周治さんも到着した。

会場には、といってもタープの下だけどね
今回の10周年記念ルアーセットをはじめ
ザウルスタックルや則さんの私物の展示も行われた。

則さんにあれやらこれやら言われたけど
今回は一般ユーザーさんに接してもらうために
少し離れていたけれど
ふと則さんのタックルボックスをみると
ネズミ型ルアーのラージマウスビッグのボディーに
ミッキーマウスと蜂柄にペイントされているのを見つけて
「コレ、使っていい?」と言ったら
「笠井が塗ってくれたんだぞー」ってダダこねた。
ミッキーマウスは気に入っていたらしいから
蜂柄を持ち出して
僕らは遠賀川にボートを出し取材の続きをこなした。

夜はタープにランタンの灯りの下でBBQ。
途中から降り出した雨も気にせずに
遅くまで宴は続いた。
この騒ぎができるのも河川敷ならではだ。
いがいと雨風が強くなってきたので
僕は車の中に入り
車を叩く雨音を子守唄にそのまま寝てしまった。

夜半にボートが流されて
雨の中、搜索にいくというアクシデントもあり
寝不足のまま朝を迎える。

朝になると夜中に降り続いた雨はあがり
イベントは2日目を無事に終了した。

その日、
広島から車を飛ばしてきたザウルスファンの方がいた。
彼はホッツィートッツィーの
たしかイエローコーチカラーだったと思うが
それに僕のサインをしてくれと差し出した。

ためらった。

そのホッツィーは生産数が少ない2フッカーだったのだ。

通常のホッツィー・オリジナルサイズのフックは
3本ついているのだけど
その昔、僅かな時期だけ2本だったことがある。

そのことを則さんにいつか聞いたことがあるんだけど
「ああ、オマエみたいなのが居てさ
2本にしたらどうでしょう?って言うからやってみた時があったな」
ということらしい。

それともうひとつ
2フッカーという名称は正式にはない。
あれは僕が擬人化して勝手に呼んでいたもので
それが広まったに過ぎないのだ。

則さんはそれをいつも不思議がっていた。
他にも
「オリオリってなんだ?」ってよく言ってたな。
それは誰が最初に言ったかは分からないけど
コレクターの間で通じやすい言葉が
一般的になった例なんだろう。

「あ~あ、価値が無くなった」
周りから茶化されながらもサインをして握手する。

その広島から来た人は
今でも良い友人だし
ちょくちょく会ってもいる。

ルアーで繋がる縁
そういうのもこの釣りの魅力のひとつである。

沢山の笑顔や新しい出会いがあり
実り多き慌ただしい秋の週末だった。


つづく



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10/07


夏も盛期を迎えた頃
去年の年末に提案した
スポーツザウルス10周年記念ルアーの詳細が
本決まりとなった。
春頃から逐一、
決まったことや相談を営業のほうから受けていたが
ここに来て
ルアー3機種をホワイトコーチカラー。
そして最後まで決まらずにいた
出目バージョンでということで決まった。

もちろんこの時点ではシークレット。
アナウンスだけをして期待は膨らむことになる。

この頃になると
雑誌の原稿書きの仕事を
ちょくちょくと頂けるようになって
パソコンとニラメッコする時間が増えていった。
自分でも言うのも妙だけでど
原稿書きという仕事は
自分に合っているのではと感じていた。

いままで色んな仕事をしてきたけれど
この原稿書きは楽しかった。

則さんと出会う前、
僕が尊敬する人は
手塚治虫と開高健で
とくに釣りを覚えたての頃から開高さんの本を読みあさっていた。

世界中を釣りして
そのことを文章にし
飯が食えたらいいな。
そう思っていた。

僕が25歳だったか
駅の電光掲示板で開高さんが亡くなったことを知ったとき
「釣って文を書く」と
強く思ったのを思い出した。

規模は小さいけれど
同じようなことができた。
こうやって目標を達成できたことは
これまで、そしてこれからも
僕自身の原動力だ。

僕が寄稿した雑誌が出ると
いつも則さんが電話をかけてきてくれた。

僕の文章の内容や書き方には一切触れずに
たわいもない話題を話してきて
電話を切る直前に
「そういえば読んだぞ、じゃあな」で終わる。

おまえのやりたいようにやれ

そういう事だろう。
それ以降も一切触れられたことはなかった。
今思えば
何かしらでも言ってもらいたかった。
そう思う。

秋も深まり
10月末に福岡の遠賀川で開催される
ザウルス、50ミーティングの準備を始める。
記録を見返すと
提案者ということになっているが
そのあたりを僕はあまり覚えていない。
とにかく毎日必死だったんだろう。


つづく



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10/06


日本に帰ってきて
7月が始まった。
土産話というか
当然のことながらその月のホットラインは
ロシアのトラウトの話ばかりだった。

しかしその割にはデスクの周りには
バス用の道具が散乱していた。
その月の20日
生まれて初めて池原ダムに行くからだ。

池原ダムは奈良県の山奥にある
アーチ式の巨大なコンクリートダムで
数々のレコードフィッシュが釣れ
ブラックバス釣りの聖地と呼ばれていた。

ここで友の会の関西の人たちが
集会を開くというのでお邪魔させていただいた。

海に浮かぶ関西空港から
山道を延々と走り抜け
ダムの巨大な堰堤を見せつけられた時には
言葉が出なかった。
人間が作る巨大な建造物というのは
いつも圧倒されるが
そこに憧れや思い入れがあれば尚更だ。

まだ日は明るい。
70馬力のボートを貸してもらい
最上流を目指した。
どこまでもつづく岩盤
森の中を縫うように支流のひとつを登っていくと
突然、巨大な要塞のような人工物が現れる。

坂本ダム。

川幅の狭い切り立った岩盤をせき止めているから
堰堤というかビルのようだ。
このコンクリートの向こうには
満々と水が溜まっていると思うと
恐怖さえ感じてしまう。

たぶん、そんなに滞在しなくて
そそくさとエンジンに火を入れて下ったと思う。

釣りはそこそこにロッジへと向かう。

ザウルス好きの集まりだから
ロッジには何十本というザウルスロッドが並ぶ。
何百というファイブオールアーが揃う。

関西のみなさんのおもてなしは凄かった。
これだけの人数の晩御飯を用意するのだから
大変な労力だっただろう。
僕は相変わらず酔っ払ってグダグダしてるだけだった。

20日ぶりに会った則さんとも
ロシアの件でギクシャクすることなく
池原の番人、浜松さんとも初対面だったが
気さくに接してもらって
素敵な夜を過ごせた。

釣果といえば
バシュッと元気よく出たが
ラインが足に絡んでいて、
そのまま足を蹴り上げて針がかりをさせたけど
船べりで逃げられた小さなバスの顔を見ただけだった。

なんというか、気持ちがふわーっとなる。
あの聖なる池原ダムの水と戯れたことは
とても素敵な時間だった。

その数年後
雑誌の取材で再訪したけれど
大きな自然にどっぷりと浸かるのはとても気持ちがいい。

また行きたい。
そう思わせるダムなんだ。


つづく





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10/05


中流のロッジについて一休みもそこそこに
1週間組みは帰りの身支度を始める。

プロショップのオーナーさんとそのお客さん2名と
そして僕の4人はココでコッピ川を離れることになる。

則さんをはじめ正影さん、佐藤さん、廣瀬さんは10日組で
カメラマンを連れてさらなる上流を目指す。

ガイドのマリオの運転する車に4人は乗り込み
針葉樹以外何もない未舗装の道路を
国内線で降り立ったソフガバニの空港を目指す。
来た時にヘリで飛んできた行程だ。

延々と続くダート道。

車中は3人の思い出話で盛り上がる。
僕はひとり頷くだけ。
お客さんふたりと仲が悪かったわけではないけれど
オーナーさんの手前、遠慮していたのもあるし
なにより先ほどの則さんとの事を引きずっていたのもある。
ちゃんとした別れの挨拶もしていない。

大きな原生林の中を走る、小さなココロ。

空港までの未舗装の道路を4時間。
4日間、大自然の中で釣りをしていた僕には
なかなかの試練だったが
これでは終わらなかった。

夕方にソフガバニの空港に到着。
先に空港に入っていたガイドが戻ってきた。
異様な雰囲気はすぐに判った。

「今日は天気が悪いから飛行機が飛びません」

ざわざわとするが悩んでいる時間はない。
明日のお昼にはハバロフスクの空港から
日本に帰る飛行機が飛び立つ。

ガイドたちが出した
ハバロフスクに戻るルートはふたつ。
シベリア鉄道か車をチャーターするか、だ。

街に戻って駅に行くと
いったい何両つないでいるのだってぐらいの
深い緑色の列車が停車していた。
憧れのシベリア鉄道である。
しかし調べるとハバロフスク駅に到着するのが明日のお昼頃。
飛行機に間に合わない可能性がある。
この素敵な案は音を立てて崩れていった。

車をチャーターしてもらう。
ここから夜通し走ったら明朝には着くらしい。
世話になったガイドのマリオに別れを告げて
また車である。
そして、
また未舗装の道路である。

未舗装の道路を4時間走破後に
飛行機で1時間半飛んでホテルでシャワーを浴びる予定が
未舗装の道路を4時間
そしてまた未舗装の道路をさらに12時間走ることになった。

さすがにもう話すこともなく
周りの景色すら見えないので車中は静かなものだった。
チャーターした車なのに
一番後ろに知らない女性が寝ていたのも気にならないぐらい
疲れていたし、これからさらに疲れるのも分かっていたからだ。

合計16時間の未舗装道路をこなし
早朝、ハバロフスクに着く。
日常なら山や海、川や湖が美しく思えるのに
冷たく立ち並ぶコンクリートの建物や
朝のラッシュの車の多さ。
けたたましく鳴るクラクションに
仕事へ向かう人たちの足音。
そこに落ち着きを感じた。
この時ばかりは街が美しく思えた。

街の雑踏をかき分けホテルに入る。
初日を同じくホテルはふたり部屋だ。
お客さんふたりだから、そうだよね。
プロショップのオーナーさんと同じ部屋だよな。

さてさて、どう接するか。何を話か。
あれこれと考えながら部屋に入ったが
ふたりともそのままベッドに倒れ込んだ。

ほんの僅かな仮眠のあと
遅い朝食を済ませてハバロフスクの国際空港へ向かう。

ソフガバニ以降は僕ら以外の日本人なんて会うことは無かったが
徐々に日本人の顔を見るたびに
その割合分だけ現実に返ってきている気になる。

発着ロビーでは釣り人らしき人が
赤いザウルスのジャンバーを着ていた僕に声をかけてきた。
「ザウルスさんですか?」
「則さんいるんですか?」
則さんはまだ川に残っていると言うと
とても残念そうだった。

彼らが入った他の川の釣果を聞くとサッパリだったらしい。
あらためてコッピ川の威力を思い知る。

ハバロフスクから新潟への国際線も
お世辞にも良い飛行機とは言えないが
16時間も未舗装の道路を走ってきた僕には
さほど問題ではなかった。

やはり何事にも「経験」というものは
その時の結果がどうであれ
役に立つものだ。

福岡への直行便がなかったため
一度、名古屋に行きそこで乗り換える。
そこまでプロショップのオーナーさんと一緒だった。
最後の最後まで、ぎこちなかったけど
別れ際に「またね」と言われて
右手を差し伸べられた時はとても嬉しくて
親指をぎゅっと奥まで入れて握手を交わしてもらった。

ザウルスショップの先輩として
面識ができたことは今回の釣行の一番の収穫だったかもしれない。
そんなに好かれてなくてもそれで良い。
そう思って福岡への機上の人となった。

地元に帰りタックルの整理もほどほどに
次の日から仕事に戻る。
九州独特の梅雨の湿気と戦っているとき
コッピ川ではメーターオーバーのタイメンが連発していた。
翌年、2002年のザウルスのカタログの
最初の見開きに124センチのタイメンを抱く正影さんの写真。
僕が掴みそこねた夢がそこにある。


北緯48.5度、東経139度
シベリア大陸の東海岸、間宮海峡に注ぐコッピ川
流域には、ほとんど住む人間もなく、
手つかずの原生林から流れ込む水は澄みきって、豊かだ
オホーツクの海から帰ってきた、無垢の野生のサクラマス達は
人間を知らない、恐れを知らない
日本で身に付けた 流れのミノーの魔性のダンスに
何の疑いもなく 次々と 激しく襲いかかる
しかもその一匹一匹が とほうもなく幅広く
厚い体にとほうもない力を秘めているのだ

則 弘祐 「トップウォータープラッガー 3 in Koppi River,Siberia」 より


つづく




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10/02


何も怒られたから涙がでた訳ではない。

ブラックバスのトップウォーターフィッシングを
友人に教えてもらったとき
バルサ50というルアーがあって
則さんという人がいて・・・
そこから始めたのだから
僕の釣り人生はアナタにあったんですよ。

ベイトキャスティングリールというモノを使って
毎回ライントラブルを起こして釣りにならなくて
それでも練習して通いつめて
初めてブラックバスを釣ったんですよ。

初めてABUアンバサダー5500Cを手に入れたとき
則さんと一緒のリールだと大喜びしたんですよ。

長い年月を経て
アナタの背中を追ってこのロシアの地について来たんですよ。

「だからバスマンはダメなんだよ!」
この言葉は僕には辛かった。

今すぐ首にかけているこの則さんのニコンを
川の中央に投げ込んで沈めてやろうと思って首から外した。

できなかった。
そっと則さんのバッグの上に置く。

カメラを捨てなかったおかげで
その中の写真の一枚が
翌年のザウルスのカタログに載っている。

とりあえず魚にピントは合っていたようだ。
その後ろにいる則さんの目は
今でも見たくはない。

みんなボートに戻ってきた。
背中に則さんが乗り込む気配を感じていたが
僕は何もすることなく前を向いていた。

2艇のボートが併走して上流へ向かう時点で
この釣りが終わりに近づいていることを悟った。

前方に他のボートが集まっている。
左岸の内カーブの頭、
そこに広がる浅瀬にボートを寄せる。

プロショップのお客さんが
グッドサイズのイトウを抱いていた。

僕はみんなの輪から外れたところで
その羨ましい光景を見ていた。

満ち足りた歓喜の声に
花を添える祝福の声々。

その中のひとつの声に
「このサイズならペアリングしてるだろうな」
その声を聞き逃さなかった。

そうだ。
僕の諦めの悪さは超がつく一級品なのだ。

ボートからタックルを取り出し
川へ入った。

幾度も丁寧に攻めたが
魚からの便りはなかった。

諦めの悪さも
結果を出さなければ
ただの悪あがきである。

全員ボートに乗り込んで聞こえた言葉
「一気に行こう」で
この釣りが終わったということだ。

走るボート。

「おのやまー!」
後ろから声がかかる。
返事もせず
テンガロンハットを右手で抑えて
身体はそのままで横を向き
左耳だけを声のしたほうに向ける。

「うちのビデオで山火事の話をしただろ?、ココだ。」

ボートに乗ってそれまで船首しか見てなかった僕は
その体勢のまま左岸の森に目をやった。

黒い森。

そこは初夏の緑の葉を持たない黒く焦げた白樺の森だった。
大小の動物や昆虫さえの気配もなく
何百、何千もの黒い柱が空を差してまだ立ち続けていた。

だけど
その炭になった白樺の根元をみると
シダ類が幅をきかせて生き生きと広がっていた。

3年前の山火事から
何十年、何百年かけて
森は再生する。

そのチカラ強い緑色を
僕は忘れることはないだろう。


つづく





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10/01


「おのやまーーー!」

駆け寄った僕に見向きもしない。
それもそうだ
釣り糸はまっすぐ倒木の下へと向かっている。
呼びつけたものの相手にする余裕はないだろう。

倒木を交わして魚が一度、水面を割る。

でかい!デカいぞ!
しかも、なんとなく赤い。

そいつは2度ほど水面を叩いたあと
ふっとチカラを抜いた。
うまいこと手前の浅瀬に誘導する。
そして一発でネットイン。
と同時に則さんは
「ふんがっ!」って言った。

デカいオスのサクラマスだった。
体は婚姻色に覆われ
産卵を控えたメスのサクラマスなら
私に私にと寄ってきそうな立派なサクラマスだった。

水たまりのような浅瀬にネットに入れたまま
しばしその立派な魚を眺めていた。

「おい、おのやま」
ん?
「カメラマン呼んできてくれ」
はい?

呼んできてくれってアナタ
ここをどこだと・・・
ぶつぶつ言いながら自分のタックルもそのままだったので
本流の方に行きカメラマンがその辺にいないか見にでた。
いるわけないけどね。

まるで子供のお使いのように
「いませんでした」と報告する。

魚をみると荒々しいファイトの跡が見て取れた。
繁殖のために遡上してきた傷もあるだろうが
カラダは釣り糸による摩擦傷がついていたし
口をパクパクさせて酸素不足を訴えていた。
なにより、
眼光が弱っていた。

魚の写真で一番大事なのは「目」だ。
釣り上げてすぐの魚の眼光はまだ
「この野郎!放しやがれ!」という目をしているが
そこから魚の目は死に向かっていく。

この魚はもう先がない。
そう思ったときに則さんもそれを感じたんだろう。
「俺のカメラで撮るから、オマエ生かせてろ」
そう言って魚が入ったネットとタックルを僕に渡し
浅瀬から支流の流れの中で復活させろ、と
なかなかのご注文を残して
カメラを取りにボートへ歩いて行った。

流れのない浅瀬は水中酸素が少ない。

流れのある川に腰まで浸かって
雪解け水の冷たさを無視して両手で魚を抱く。
上流に頭を向けてエラに水を通す。

ビクッっと尾びれが動いたけれど
眼光は戻らない。

戻ってきた則さんが最初に立てた音が
「ちっ」
僕は魚を抱えた両腕を水につけたまま
どうして舌打ち?とばかり顔を上げた。

「なんだ弱ってんじゃないか!」
はあ?っと腹の底で大きく叫ぶ。

「まったく、こんな事もできないのか!」
腹の底で増幅された言葉は
そこから胃と食道を電光石火で駆け抜けて
口から打ち上げ花火のように飛び出した。

「はあああ?」

その言葉と反抗的な目がよくなかったのか
則さんと過ごした日々の中で
一番最悪な言葉を打ち付けられた。

「だからバスマンはダメなんだよ!」





僕は立ち上がり
抱いている弱りきった魚を川へ投げ放とうとしたが
もう一度川に腰を下ろした。

この言葉を言われたことは
今日に至るまで親しい友人の数名にしか話したことがない。

アナタを崇拝しているバスマンはどれだけいますか?
逆に
僕が魚を復活させきれなかったから
僕のせいでバスマン全員が罵倒されたのか?

確かに一時期バスから離れていた原因は
バスマンのマナーが原因のひとつだったかもしれないが
この言葉は僕にはキツイものだった。

どちらにしても
秒単位でも時間がたつにつれて
怒りよりも情けなさや悲しみのほうが勝っていった。

「まあいい」
全然良くない

「おい、おまえが写真を撮れよ」
と渡されたカメラがニコンの一眼レフ。
もちろんフルオートのデジタルではなく
フィルムを使うマニュアルものだ。

こんなの使ったこともないけど
もう「できません」は絶対に言いたくなかった。
あの言葉がもう一度出たら
僕は自分を抑えきれないと思ったからだ。

シャッター押しまくって
ちゃんと判ったフリして撮って
日本に帰ってちゃんと写ってなかったら
とんづら決めますか。

カメラを構える。
「おい、もっと寄れよ」

寄る。
「レンズ動かしてよー!魚にピント合わせてよー!」
半円が上下にズレててそれが合うだろー?」

返事もせずに言われた通りにする。
「ほら、どうした、押せよ!」

返事もせずにもくもくとシャッターを切る。

「おお、則さんやったじゃん!」
ビクッとして振り向くと
プロショップのオーナーさんだった。
ボートが来たことに全然気づかなった。

でも来て頂いてよかった。
ふたりっきりなんていつまで持つか分からない。
僕は賑やかな輪から外れて
ボートに乗り込んだ。

それが相当な雰囲気だったのか
プロショップのオーナーさんが僕のところに
輪から外れて寄ってきた。

「則さんにやられたか?」

僕は軽く頷いただけ。

「大丈夫さ、みんな一度はやられるんだ」

僕はテンガロンハットを深くかぶり
頷いた顔を上げなかった。
上げることができない理由が頬にあったからだ。


つづく



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9/30


「明日はオレとやろうな」

こういう時の則さんは
本当に優しい顔をする。

一日の終わりをそれで過ごせたから
翌朝の目覚めもいい。

「さあ、行こうか」
朝焼けで赤く染まった桟橋からボートが離れる。
帰り際に釣りをしながら帰ってくるので
ロッジの近場のポイントに誰も見向きもしない。

僕としては
オリエンタルな顔になろうとも
二日目の夕方、佐藤さんと攻めた止水域が気になるところだが
そちらに舵を切るガイドは誰もいない。
いつか、ここだけのポイントで
フルにイトウだけを狙ってみたいなと
思いだけを残して上流を目指す。

30分は走っただろうか。
開けた河原があるポイントにボートは腹をつける。

僕はタックルを手に飛び降り船が揺れないように押さえる。

「やっていいぞ」
則さんは降りない。

僕がボートから下流にキャストしながら下っていくのを
ずっと見ている。
3日間どれだけのことを学んだか見ているようだ。

どちらかというと
廣瀬さんのスタイルで丁寧に攻めていたと思う。

則さんは見ているだけで何も言わない。
ということは及第点はとっているのだろう。

今朝の魚のご機嫌はあまりよろしくなく
ひとつ目のポイントではアタリすらもなかった。
ガイドに呼ばれボートに乗る。

わずかに上流に上がっただけで釣りを始める。
景色は変わらない。
よほどココのポイントに自信があるのだだろう。

今度は則さんも降り釣りを始める。
ザブザブと品のない音をたてて川に入るも
ひと度、釣りを始めると
しなやかな美しいキャストをする。
トゥイッチの入れ方も滑らかだ。

ピシッ!とロッドが立った。

それはまるで日常の出来事のように
スムーズに魚を寄せる。
リールの巻もゆっくりだ。
魚と会話しているかのように。

本日一本目の魚は
ネットに入った。
そして、僕が見ていたのを知っていたように振り向き

「な、言っただろ?」

なんにも言ってはいなかったはずだけどね。

ゆくゆくはこんなオジサンになりたいものだと
関心しながら、とりあえず頷いた。

釣り好きたちと外国の川に滞在して4日目ともなると
河原のランチタイムも随分とダラけて賑やかになる。
その中にも溶け込んではいたが
ひとりだけ、ただひとりだけ
愛知のプロショップのオーナーさんとは
まだ話ができなかった。

ピリピリするのも嫌なので
即即と用意されたランチを頬張り
目の前の川でロッドを振っていた。

午後からも上流へ向かう。
今日は河口にあるいつものロッジでなく
中流のロッジに入る予定だ。

いくつかのポイントを回ったあと
本流がいくつもの流れに別れる場所についた。
上流に向かって右はフラットな河原が続き
左には倒木やブッシュが川面を覆っていた。

ブラックバス釣りをやっていると
どうしても左の込み入ったポイントに目が行くが
でかいイトウを釣りたい僕は
本流を狙うためにど真ん中をトレースした。

後ろをみると則さんは倒木の間を狙っている。
やっぱりバスマンだなと笑いながらキャストを続けていると

「おのやまーーー!」と
則さんの怒ったときに聞く怒鳴り声に近い声。

ロッドはグンッグンッと叩かれている。
大きい!と感じると同時に
僕はタックルを岸辺に置いて駆け寄った。


つづく


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9/29


「おまえ誰だ!」

則さんから突然言われた。

何言ってんだろと聞けば
顔が別人になっているらしい。
鏡がないからデジカメの画像で確認すると
顔が腫れ上がっている。

佐藤さんと止水域で遊んでいたため
蚊の猛襲を受けてたみたいだ。
遊びに夢中で気がつかなかったが
テンガロンハットのツバの下に相当溜まっていたみたいだ。

ロシアの蚊には日本の防虫剤は効かないのだ。

気を取り戻して
今日は九頭竜川の主、廣瀬弘幸さんと同行だ。
則さんは必ずボートの割り振りのときに
一番に僕の名前を言って誰かにつける。
あとの割り振りを聞いたことがない。
この三人のエキスパートを僕にみせることを考えていたみたいで
全員の釣りを学べということだ。

廣瀬さんの釣りは
2人とはまったく違った。
あくまでも僕の私感だが
前日の佐藤さんがデカい魚に的を絞って
誘い出す釣法とするならば
彼は魚が居るべきところを的確にトレースして
魚の鼻先にルアーを送り込む。
静かで淡々と、確実に。

美しい釣りだ。
僕は何度も見とれていた。
僕にはない美しい釣り。

同い年というのもあって話も合い
一日中、和やかに釣りができた。

この三人衆とはほぼほぼ同年代。
同じ年月を生きてきたのに
このロシアでのビッグトラウトにおいて
圧倒的な差を見せつけられた。

正影さんはそのトラウト部門を仕切り
佐藤さんと廣瀬さんは
名前を冠したロッドまで出ている。

しかし悔しいとか、挫折感はまったくなく
むしろ清々しい。

まったくザウルスって会社は
どんだけ凄い釣り師の集まりなんだ。

ディナーが終わって則さんが言う。
「明日はオレとやろうな」

三日間、三人を見て勉強し
そこそこ魚を釣ってもきた。
明日は見せつけてやろうと暖炉で温まった部屋に戻り
ベッドに入る。

悲劇の4日目が待ち受けてるともしらずに・・・


つづく




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9/28


季節は初夏といえど
ロシアの夜は寒い。

暖炉に白樺の皮をくべ火をつける。
この木の皮は油を含んでいるので
着火剤として使われる。

ふたつベッドが用意された部屋に僕が入り
後から来たのは佐藤偉知郎さん。

先に入って荷物の整理を終えてゆっくりしていたので
佐藤さんの荷解きを見ながら話していた。

ジップロックで几帳面に整理されていた荷物をみて
遠征慣れしているのがよく分かる。
それ以来、それこそ今日に至るまで
僕の荷物のパッキングや釣り道具の整理は
彼の
それ、そのままである。

話を聞くとやはり初日は川の状態があまり良ろしくなく
明日は回復してるといいねと話しながらライトを消した。

そう、明日は佐藤さんと同行することを
ディナーの席で則さんから告げられていた。
僕は朝イチから驚かせられることになる。

北国の朝は早い。
寝坊したかと勘違いして飛び起きるぐらい
九州に比べて明るくなるのが早い。

朝もやの中をボートがけたたましく走り出す。
今日は丸一日の釣行なので
ぐんぐん上流へ進んでいく。

それまで針葉樹の森の中を蛇行していた川が急に開け
緩やかな流れに変わる。
水深はさほどないけれど
水底には大きなゴロタ石が見て取れる。

遡上する魚の群れを寸断し
ボートはそのポイントの中程に付けられた。

佐藤さんがボートから下流に入ったのをみて
僕は上流に歩いていく。

その日の一投目。
気負わず優しくキャスト。
昨日と同じ12センチのミノーに抵抗を感じたとき
川の流れる音しかしないその場所で
大きな違和感を感じた。

ビューーッ、ビューーッ、ビューーッ!

なんだろうとリールを巻きながら辺りを見回した。
視界に入るのは自然しかない。
そこに佐藤さんがいて
リールのベールを起こしキャスティング態勢だ。

音は止んでいた。

なんだろうなと思いながらも
釣りを再開しようとした時だった。

ビューーッ、ビューーッ、ビューーッ!

衝撃だった。
音の主は佐藤さんだった。
ヒザを使ってロッドを上下に大きく振っていた。
空気を裂くほどのチカラで。

それがあの有名なイチロージャークだった。

正直いうと
あんなに激しく動かして魚は食えるの?と思った。

僕は今回の釣行でずっと同じ部屋だったので
夜は佐藤さんに質問攻めの毎日だった。

彼は川に潜ってサクラマスが小魚を狙うシーンを確認していた。
いや、サクラマスに追われる小魚を見ていた。

逃げ惑う小魚はもの凄いスピードで逃げるが
直線で逃げる距離は1メートルほど、それ以上はない。
そこでターンをするそうだ。
その動きをミノーで演出すると
イチロージャークの動かし方になる。
それだけではない。
そのためにそれ専用のロッドブランクやガイド設定が必要となる。
イチロージャーク専用のロッドのガイド位置を見たことがあるだろうか?
必要以上に先端よりのガイド設定は初めて見たときに
最後のガイドを付け忘れたのではないかと思うぐらいだ。

エキスパートとはここまで理論を構築できる。
衝撃だった。

衝撃だったのはそれだけではない。

あるポイントでのことだった。
僕の釣り方はショートトゥイッチ。
小刻みにロッドの先端をはね上げてミノーを躍らせる方法。
僕はこれで沢山のガラムーシャ、白鮭を釣った。
日本で釣る何年分もの白鮭を一日釣って得意顔だった。
だけれども
同じポイントで佐藤さんのイチロージャークには
大きいオスのシーマしか釣れなかった。

あきらかに
彼は魚を選んで釣っていた。
大きく、体力があるオスのシーマだけを狙って。

かなわない、この人たちには、かなわない。
認めざるおえない現実を突きつけられた瞬間だった。

夕方、
ロッジ近くの湿原が広がる流れのないエリアを探る頃には
冗談を言いながら釣りをしていた。

そこで彼のロッドをひったぐる強烈なアタリ。
針がかりしたのなら彼のロッドさばきから逃げるられるわけがない。
上がってきたのはタイメン。
イトウだった。
80センチほどの立派なイトウに僕は見とれた。
子供の頃に釣りキチ三平で一番好きな物語。
憧れのイトウだったからだ。

釣りたい!釣りたい!
イトウを釣りたい!

僕のその日の残り少ない時間、
真剣にキャストを続けた。

釣りたい!釣りたい!
立派なイトウを釣りたい!

釣りキチ三平みたいに
ネズミのカタチをしたルアーも使ったさ。
バス用のラージマウスだけどね。

しかし僕のルアーにかかってくるのは
30センチ程のマルタウグイばかり。
それはそれで奇跡だと佐藤さんは言っていた。
いや、笑っていた。

その日のうちに
僕のあだ名は
「ガラキング」、「マルタキング」になってしまった。


つづく。





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9/24


柔らかな砂地に足をつけ
遠くロシアの地にたどり着いた。

ヘリの巨大な羽根を動かすローターのチカラが
まだ勢いのあるうちに下を通るのは
なかなか勇気がいる。

目の前には先ほど上空から見た
赤い帯をなして上流を目指す
幾千の鱒の群れが泳ぐ川。

それが気になりながらも
大量の荷物を降ろしロッジへと運び込む。

空は青い。

乾いた空気に潮の香がうっすらと混ざり
日本なら大ニュースになる
ゴマフエアザラシの家族が流れに漂っている。
時間はゆっくりと流れているけれど
みんな無言でいそいそと釣りの準備を始める。

まだ日没まで時間がある。
日暮れ前の釣りを楽しもうという魂胆だ。

生活物資はそのままで釣りの準備を終え
河原から突き出た木製の桟橋には
ガイドがひとり操船する長い木製のボートがあり
これに釣り人ふたりずつが乗ってポイントを巡る。

全員揃ったら則さんが真っ先に言う。

「おのやまは正影と乗れ」

正影さんをみるとあまり良い表情ではない。
折角来たロシアの川で初日に初心者とかよ
そういう面持ちだ。
彼は一瞬僕から目を離し誰かを見たのを
見逃さなかった。

「行くよ」
しばらくはその言葉だけだったと思う。

彼は通い慣れてるために仲の良いガイドのボートに乗り込んだ。
僕も慌ててあとに続く。

ロシア、コッピ川の釣りは
ガイドの操船するボートで鱒と一緒に遡上しながら
ポイントごとに岸につけて河原から釣りをする。

5艇のボートが上流へ向かう。

1艇、また1艇と岸につけるために隊列から離れていく。
僕らのボートのガイド、ミーシャはまだつけない。
初めての僕でも分かるぐらいの良さそうなポイントに見向きもしない。
僕らと並行して赤い鱒の群れはそこを泳いでいるのに。

20分ほど走っただろうか。
青い大河は徐々に狭くなり
最初の大きな流れの合流点にボートを寄せた。

正影さんは流れ込みの下流を攻めに回った。
ならばと僕は上流側に周りキャストを始める。

2投もすると周りが見えてくる。
絶対アソコなんだよなと川幅10メートルぐらいの真ん中にある
一番太い流れが落ち込むポイントを見ていた。
川に足を入れる。
冷たい。
ウエーダーの外側からその冷たさが伝わってくる。
轟々と音を立てて流れこむ水は上流何百キロと旅をしてきた水の集まりだ。
そのほんのひと月前はきっと氷だったに違いない。

アソコへ。アソコへ。
そのポイントだけを見つめて進む。

「気をつけなよ」
正影さんから声がかかる。

大河の流れは太く冷たく、そして勢いがある。
ひと度気を抜けば足をすくわれる。

中央のポイントまで届くところに近づき
キャストを始める。
ルアーにかかる抵抗が半端なく強い。

「ガツンッ」

僕が操る12センチのミノーが何か当たった。
その何かを考えさせる暇をもらえずに
ラインがリールからけたたましく引き出された。
本能的に脇をしめロッドを立てる。
ググッ
ググッ
太い流れに乗って生命が躍動する。
ググッ
ググッ
怒りに満ちたその生命体をいなし
流れをかわし
ゆっくりと、ゆっくりと、
確実にゆっくりとラインを巻き取る。

観念したのか
足元まで寄ってきた生命体はチカラを抜いた。
河原に引き上げたのは60センチのシーマ。サクラマスだ。

正影さんが釣りをやめて駆け寄ってくる。

「初物だろ?おめでとう」と
強面の顔がニカーっと笑った。

僕は釣り人としての器量をここで判断する。
一緒に釣りに行って
「人の釣った魚を喜べるか?」

一緒に行った相手だけが釣れて
今日は楽しかったねと喜べるか?

僕は喜べない人やフテクサレる人とは
それ以降、釣りに行かない。

それはプロ根性としてどうなんだ?と言われれば
そんな根性はカケラもいらない。

話を戻そう。

僕が釣れてからというもの
彼とは同年代というのもあってか
お昼までとは打って変わって沢山話しをしてくれた。

「ここのポイントはこういう攻めの順で・・・」
「あそこがビデオで釣れた所・・・」
「ほら、熊の足跡、デカいぞ、気をつけろ」

「おー怖い~」とか言いながら
ふたりでおどけて笑っていた。

日暮れ前、桟橋に帰って来たのは僕らが最後だった。

先に帰りついたメンバーの見守る中、
荷物を降ろしながら正影さんが大きな声で言う。

「ザウキンにやられちゃったよ!」

その日の釣果はみんな芳しくなかったみたいで
そのひと言でどよどよっとした。

僕はけんそんしながらも
それがとても心地よかった。


正影さんがいう
「サウナ行こうぜ」

「はい」ではなく
「おー」で僕は答えた。


つづく。


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9/24


ハバロフスクは快晴。
澄んだ湿気のない空気が
滑走路を包んでいた。

およそ2時間の窮屈なフライトを終え
入国審査を受ける。

英語圏ならなんとか理解できるも
ロシア語なんて
「ダー」と「スパシーバ」しか知らないのに
何かを聞かれたらどうするという不安。

東洋人がアメリカ人のようなカウボウイハット
をかぶり
釣竿を入れるためのケースはまるでバズーカ砲。
それが数人揃えば怪しさもひとしおだ。

それらを払拭する最後の手段は

笑顔。

難なく空港を出て街に出る。
北国のロシア人は太陽の貴重さを解っているらしく
露出の高い出で立ちは「ごちそうさま」クラスである。

その日はホテルで一泊し
明朝、国内線の飛行機で
間宮海峡に面した港町、ソフガバニへ向かう。

国内線のおんぼろ飛行機は揺れに揺れ
とうてい後部座席まで行って
タバコを吸おうなんて気にもならなかった。

なんとか無事に
ソフガバニのデコボコの滑走路にタッチダウン。
そこから小型バスで移動して
森林警備隊のヘリが待つヘリポートへ向かう。
いや、子供たちが遊ぶただの原っぱだ。

その真ん中にヘリが待っていた。
荷物を乗せながら
ガイドを通して機長に伝えてもらう
「これパンクしてるよ」
機長の返答を持ってガイドが帰ってきた。
「ヘリは空を飛ぶものだから関係ないそうです」

そうだね、確かにそうだ。

ガイドがふたり付いていたのだけど
二人共言葉少なめだ。
そうもそのはず
先週、同じヘリが墜落して
9人が亡くなったそうだ。

秋田空港での出発前の則さんの挨拶が頭をよぎる。
「とにかく生きて帰ること」

冬眠明けの子連れの熊に襲われたり
川原から一歩、藪にはいると
皮膚から入って脳に達するダニがいたりだとか
街には怖いロシア人がいたりとか

いつも命懸けなのである。

ベーリング海峡を挟んで
アメリカ側は管理された自然。
ロシア側は手つかずの自然。
危険度合いは比べようがない。

それゆえ、魅力的なのでもあるが。

数名の無口な青い顔の一行を乗せたヘリは
ふらふらと舞い上がり
爆音とともに突き進む。

地上の未舗装の道路を車で行けば
12時間かかるという行程を
30分でクリアして
夕方の釣りに間に合うように突き進む。

飛び立ちて
町が小さくなるあたりから
眼下は急に原生林だけになる。
目を遠くにやっても原生林だけである。
日本では考えられない景色の上を飛ぶ。

丸い窓から覗いて則さんが言う。

「コッピ川だよ」

左の窓から覗けばシベリアの海。
右の則さんの肩ごしの窓を覗けば
延々と続く深い森の中を蛇行する青い川。

着陸のために旋回しながら高度を落としていくヘリ。
窓から今日から始まる釣りのステージを見ていた僕は
ありえない光景を目にした。

北の海から間口の狭い河口があり
そこから遠くうっすらと見える山へと向かう青い川に
赤い線がくっきりと見える。

何百、いや何千、何万という数の遡上する鱒の群れだった。

僕のココロを震わせるのは
釣り人の魂か
自然を愛でるココロか

僕はとうとう
ロシア、コッピ川に降り立った。


つづく。




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9/23


6月22日

福岡から秋田空港に降り立つ。
荷物をピックアップして出口を出て
国際線の出発口を目指すと
異様な人たちの集まりが目に入った。

ザウルスパーティーだ。
真ん中に則さん。
その横に愛知のショップオーナー。
そしてそこのお客さん達。

そしてザウルスのカタログでよく目にしていた人たちがいる。
「トラウトの鬼」と呼ばれる正影雅樹さんは
もう普通じゃない雰囲気だ。
横にはイチロージャークで有名な青森の佐藤伊知郎さん。
芸能人のオーラが出ていた。
そして「九頭竜川の主」と呼ばれた廣瀬弘幸さん。
ザウルスのスター、いやトラウト界のスター軍団だ。

いいのか?いいのか?
ビッグトラウト、海外のトラウトの経験がない
僕がココにいていいのか?
誰かにそれを聞けば
「うん、ダメでしょ」と即答されるようなことだから
とにくオドオドしないように踏ん張って置くことしかできない。

50万も払ってこんな渦の中にきたのかよ。
今更、自分の行動に笑うしかなかった。

「お、小野山さーん」
八郎潟でともに楽しんだ友の会の○ちゃんが
明るく声をかけてくれた。
彼はもう、あれからすぐにザウルスに同行をはじめ
ロシア釣行は今回でもう3回目となる。
心強い。

「おう来たか」
則さんが僕に気づく。
ちょっと安心した。

則さんが僕をみんなに紹介する。
「長崎の小野山だ」
深く丁寧に一礼する。
「こいつはバスマンだから、みんなよろしく頼むよ」
言わなくてもいいでしょうよ、と思いながらも
そう言われればバスマンの意地を見せてやらなきゃね。

とにかく僕はオドオドしながらピリピリしていた。
目立った行動をしないよう、迷惑をかけないよう
そして嫌われないようにね。
いつも○ちゃんの影についていた。

ショップのオーナーさんは
則さんのそばにいるし
正影さんはいつも睨んでくる。
僕がショップをやっているから
お客さん達にも違う意味で話しかけづらい。

九州の西の果てて
自由奔放に暮らしている僕には
気持ちが悪くなるほどだった。

ロシア、ハバロフスクへ向かう飛行機に乗る。
機内は色気ムンムンのロシア人女性に
ダブルのスーツを着た強面の日本人男性のセット。
ロシアの夜を楽しみにしているおじさんの団体。
普通の観光客なんていやしない。
僕らが普通に見えるほどの異様な機内だった。

「タバコ吸いにいこ!」
口数の少ない僕を○ちゃんが気に留めてか誘ってきた。
いやいや機内禁煙だろうに。
とにかくも
この狭い機内でココにいるとおかしくなりそうなので
○ちゃんについて機内後方についていく。

最後尾、トイレのドアの前で
ロシア人が数人が屯していた。
そして全員がタバコを吸っていた。
それが許されるのがロシアの航空会社なのか。

僕の知っている常識なんて
ほんのちっぽけなモノだった。

タバコを吸えるか吸えないかの
大したことではないけれど
他にも世界には沢山の理解できない常識がある。

自分の常識を人に押し付ける馬鹿らしさを
こんなところで知ることになる。

「郷に入れば郷に従え」
オドオドとピリピリを解くために
2本続けてタバコをゆっくりと吸った。

ただ、あの席に戻りたくなかったからかもしれないが・・・


つづく。


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9/18


6月が来て雨も多くなり
九州独特のジメジメ感が増す中、
僕は晴れ晴れとロシアへの釣行の準備をしていた。

もちろん、サラリーマンなので
一週間以上も仕事を任せることや
初めての海外釣行ということで
不安も少なからずとあったのも事実。

釣行費は当時のレートで
出発して帰ってくるまでで50万円。
なかなかのものだ。

手持ちのクレジットカードでキャッシングをした。

冬眠明けの子育て熊やダニなど
恐ろしい要素があったけれど
キャッシングして釣りに行くことが
一番怖かった。

ああ、プロ集団と付き合うと
人生崩す人がいるっていうのは
こういう事かな。

もちろん掛かる費用なんてそれだけではない。
タックルも何種類も揃えなきゃならないし
フィッシングベストやウエーダーなどのウエア類だって
それ相当のものを揃えると
とんdめおない額になる。

ましてや・・・

ターゲットとなる魚種も
いままで狙ったことのないサクラマスやイトウ。
そして海外遠征。

まったく道具を持っていないので
全部揃えると旅費と同じぐらいの金額がかかった。

でも、何かがそこにある気がしていたんだ。

この並ならぬ出費と準備。
残していく仕事へのフォロー。
出発の日が近づくにつれて
ため息の量も増えていく。

でも、きっと何かがある。
釣果だけでない、何かが。

しかし一番僕の中にあった曇り空は
愛知県にあるプロショップのオーナーさんとの関係だった。

僕なんかよりはるか前に
ほぼザウルスショップだったし
則さんや会社にも助言するような先輩ショップのオーナーさんだった。

正直いうと
ザウルスキングを始めるにあたって
かなり意識したショップだった。

もっと正直にいうと
僕のことを良くは思っていないだろうというのも思っていた。

今回の釣行を取り仕切っておられたので
度々連絡を入れるも
やはり、そんな感じが電話越しに伝わってきた。

熊やダニ、
釣果に健康、
カードローンに残していく仕事。
いろいろあったが
それが一番の不安材料だった。


つづく。


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9/17


2001年の春バスは
大分県の、といってもほぼ宮崎県に近い
北川ダムへの遠征だった。

則さんたちが到着する前に
前入りしてチェックをいれたのだけど
これがまた減水期とはいえ
素晴らしいローケーションのダム湖だった。

初場所はいつもワクワクする。

しかも熊本のメンバーが50センチアップを釣り上げて
僕らは大いに盛り上がった。
ルアーはファンキーモンクだったかな。

次の日、早朝から車に則さんとカメラマンを乗せて
湖面へ向かう。
車の中は
「おまえ、ルアー400本を一瞬で売ったんだって?」
という明るい話題を期待していたが
そんなの微塵もなく
フィリプソン問題の暗い話題だった。
あの頃は則さんの頭はそればかりだったかもしれない。

カメラ艇を後ろにつけて
僕が操船するボートに乗る則さん。
釣りの話より愚痴の方が多かった。
たまに弱ってるなと感じるときもあったぐらいだ。

結局その日は釣果に恵まれず
僕は仕事の都合で帰ることになった。

次の日から僕に代わり
前日50アップを釣り上げた熊本のメンバーが
則さんを乗せて取材に挑むことになった。

50アップを釣りあげた「モッテる男」だ。

しかし本当に「モッテる」と思わせてくれたのは
それよりももっと先、2002年になっての事だった。
2002年のスポーツザウルス社のカタログに
バーンっと則さんを前席に乗せて
操船する彼の姿が載ったからだ。

深く濃い緑の木々。
両サイドからせりたった岩盤。
その自然の造形に両手を広げる則さん。
その奥へボートを操る赤いジャンバーを着た彼。
素敵なショットだった。

正直、羨ましかった。

憧れのスポーツザウルスのカタログに載れるなんて
なんというシアワセだろうか。

羨ましかった。

「モッテる男」とはそういうモノである。


熊本の彼とは
今でも連絡を取り合う仲だ。
優しい顔に大きなカラダ
山盛りのご飯が似合う気のいい男だ。

今度、もう一度
この時の話をゆっくりしたいものだ。

あの時の僕は
そんなに喜んでやれなかったかもしれないから。


つづく


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9/16


2001年3月10日
僕にとっては待ちに待った
ココロが張り裂けんばかりの日でした。

インジェクションルアーのセラフシリーズで
ザウルスキングのオリジナルカラーの発売日でした。

ひと昔前は
ショップオリジナルルアーっていくつか存在していますが
それも創世記から支えてきたビッグな有名ショップさんでしたから。
ましてその頃はもうそういう設定は無かったので
お話を頂いたときは舞い上がりました。

工場側と何度も色合わせをして
ビッグラッシュとホッツィートッツィーの2機種に
当時ではカタログ落ちしていたカラーの
039ブルーボーン
041レッドボーン
この2色を設定しました。
90年代初めにビッグラッシュBIGサイズの専用カラーだった
そのカラーです。

各100本だったので計400本。
会社に届いた時は
もしかして下手打ったか?というぐらいの量でした。

しかし、蓋を開けてビックリ
400本はわずか1日半で完売。

スポーツザウルス社には
いくつかのショップ様から
ザウルスキングで売っているルアーを入れてくれと
連絡が入ったと聞いています。

あの頃は発送用の箱なども持ってなく
みんなで手分けして
近所のホームセンターなどを回って
ダンボールや箱をもらって
それを出荷ように使っていた頃で
通販業の大変さを痛いほど感じました。

それにしても
どこよりも先駆けて
自分の設定で色を塗ってもらったことは
とても嬉しかったな。

数日後には某オークションサイトに
出品されていて
すごい高値になったのを見つけて
複雑ではありましたけれど・・・

今でも僕は持っています。


つづく




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9/15


2001年
則さんからの年賀状にはこうありました。

謹賀新世紀。
高校二年生の夏。
初めてバスを釣ってから35年。
つくづくバス釣りをやっていて良かったと思える去年一年でした。
全国にバスが増え、と同時に息子のような友人がたくさんできました。
こんなことは35年前はとうてい考えられなかったことです。
云々・・・

則さんにとっても友の会との出会いは
貴重だったに違いない。
前に書いたけど
突然出てきたアメリカのフィリプソン問題では
今まで付き合っていた人たちが手のひらを返すように離れていった。

実は僕はこの時、隠密行動をしていました。

フィリプソンの登録商標とかで揉めていた最中に事が起こりました。

スポーツザウルスって
なんという王様ぶりだこと。
バルサファイブオーのすべてのルアー名など
まったく商標をとっていなかったのです。

この頃僕は
偽名でネットの中をウロウロしていて
ザウルスのことを「アチラ」と呼ぶ人を見つけてコンタクトをとりました。
その人と話し込んでいると
その未登録のままの商標を「コチラ」で登録してやろうという計画を聞き出し
ザウルス社に連絡し、弁護士さんが動いて
事なきを得ました。

結局は長年、それを使用して販売してきたので
他人に取られても対処はできるそうだんだけど
大好きなルアーが改名とかしたら
嫌ですよね。

あの時は真剣だったな。
普段、自分の書いたものを見直しもせずに
送信ボタンをすうに押してしまうけど
返信文面を何回も読み直して
ザウルスファンということを悟られないように
男であるkとを悟られないように
やり取りをしていた。

則さんにめちゃくちゃ褒められたな。
100点とった子供のように嬉しかった思い出がある。

そして「春バスを一緒に行こうな」
とお誘いをいただいた。


つづく





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9/14


楽しかった木更津の忘年会を終えて
地元に帰る。

前の夜、
則さんが言ったことが頭を支配している。

「お前をシベリア鉄道に乗せてやりたいんだ。
いいもんだぞ シベリア行こうな」

来年、ロシアへ釣りをしに一緒に行こうということだ。

則さんの言葉には魔法のチカラがある。
サラリーマンの身でも
行けそうな気がしてくるし
行かなきゃならない、そんな気持ちになる。

まあ、そんなやって人生をロストした人もいるらしいが
僕はそれを人生の何かにしたい。
帰ってきてからの営業周りは
初日からロシアの川のことで頭がいっぱいだった。
ネットショップのザウルスキングも
とにかくザウルス情報を発信することの
使命感に燃えてやっていた。

その頃には様々な人たちとも交流ができて
則さん、営業さん、工場の職人さん、
その取り巻きの人たち
またこの頃には
様々なルアーメーカーのファンサイトも存在していた。

バルサファイブオー好きだけでなく
他メーカーの応援サイトとの付き合いも増え
人生で一番、友人が増えていた時ではなかろうか。

そうなると協賛依頼も数多くくることになる。
公言していたわけではないが
その手の依頼はなぜか僕のところに来てたようだ。

ご近所ではなく全国にメンバーがいる会だし
付き合っているのは僕。
知らないメンバーに負担をかけるのも嫌なので
僕ひとりで協賛を出していたのだけど
それが会で問題になった。

その時、どうして問題にされるのか
理解できなかった。

スポーツザウルス10周年記念ルアーもそうだった。
僕は友の会の忘年会で
則さんに進言したから
友の会でそれを進めようと思ったが
その話を出した時に
「それ小野山さんが言い出したこと」と
素っ気なく切られた。

そっか、ならば僕とザウルスとで話そう。
ポジティブな僕はなんのためらいもなく
一瞬でひとりで前進態勢になったけどね。

やはり
メーカーに気に入られた友の会から
ひとりだけショップを始めたことを
気いらなかった人もいたのかな。

いま思えば、年上の僕が
もうちょっと大人の配慮をしなきゃいけなかったんだな。

会が大きくなるにつれて
問題も多くでてくるのも
どの会も一緒だった。
そういうネット付き合いの難しさを感じた年でもあったな。

そしてミレニアムイヤーは幕を閉じる。


つづく




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9/11


2000年11月5日
この日は早くから
忘年会ということで全国各地から
会の人たちが集まってきた。

2000年はというと
2月のザウルス九州展示会、
7月に北山ダムでのセミナーと
バスワールドの宮崎取材
10月に福岡の遠賀川での50ミーティングなど
結構、則さんと一緒に居れたので
今年の忘年会は並木さんのバスワールドの取材もあり
去年の酒乱事件のこともあり
僕はおとなしくしておこうと考えていた。
実際はどうだったか覚えてないけどね。

10月中旬にあった
福岡での50ミーティングは
遠賀川の河川敷で
ザウルスの道具を体験できるようになっていたり
ボートで釣り体験ができたりと
メーカーがユーザーさんにしっかりと寄り添う
とても素敵なセミナーとなった。

初日の午後からは
地元誌の取材で則さんとふたりで出船。
とんでもなくデカいバスを出したけど
ランディング失敗で逃がしてしまうという失態。

則さんいわく
「おまえはツメがあまい」
らしい。

そのあとはちゃんと釣りましたけどね。

沢山、話しをして
沢山、笑って
ふたりで川バスを楽しんだな。
17時に帰ってきてくださいと
営業さんに言われていたのに
気が付くと18時30分。

護岸を埋め尽くす沢山のお客さんは
則さんが帰ってくるのを待っていた。

スミマセン・・・

則さんを独り占めして
ごめんなさい
でも、、、楽しかった。

そんな話も含め
僕は木更津のスポーツザウルス社での忘年会で
仲間たちに沢山報告をしていた。
あまりアルコールを飲まずに・・・たぶん。
そしてその日は
その年、たくさん則さんと接していたので
ちょっと控えめにちゃんとしてたと思う。

控えめにしていたのが良かったのかな。
突然、閃いたんだ。

僕が持っている
スポーツザウルスの一番古いカタログに
スポーツザウルス元年と書いてあったのを思い出した。

あまりアルコールが入っていない(たぶん)お陰で
完璧な引き算ができた。
今年2000年、引くことの1991年
ぴぴぴぴ

「則さーん!来年、ザウルス10周年ですよ!
何かやりましょう!」

「そうなのか!」の好反応。

そして、ザウルス10thアニバーサリー計画が
始動することになる。


つづく


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9/10


お客さんも帰って
則さんのロッジに静かな夜が訪れた。

ダイニングテーブルから
オーディオ横のソファに写り
猟銃を磨く則さん。

アメリカの山奥では
こういう光景が当たり前なんだろうな。
でも則さんって
どっぷりアメリカかと思ったら
意外とアメリカ嫌いだった。

学生のときに原子力空母の入港で
反対派として佐世保に来てたときの話も聞いた。

湾岸戦争が始まった時だって
アメリカという国が大嫌いだよって言ってた。

アメリカ人からアメリカ流の釣りを覚えて
それを日本に広めた人がそう言うものだから
返答に困ったものだった。

猟銃を構えて則さんが言う。
低い声で、淡々と・・・

「おい、おのやま
遠方から友が来るってんで
何時間もかけて古ちゃんが料理を用意してたんだ。
それを台無しにしたんだよ。
そういう”もてなし”ってのは
大事だし、大事にしなきゃならないんだよ」

ギリギリで1本釣っていい気になってたのかな。
「ザウルスと名がつく取材、仕事よりもですか?」
と、言おうとしたけれど
どうせ怒られるから黙ってうなづいた。
猟銃も手にしてるし・・・

でも当時の則さんの年齢を追い越した今、
それがとても大切な事だと感じてる。
釣りはまったく教えてくれないけど
人として円熟味を増すことをいつも教えられていた。

「おい、そこの林檎を剥いてくれ」

右奥のキッチンをみると
見たこともないような小ぶりの林檎が置いてあった。
不思議そうに眺めていると

「東北の天然に近い林檎だ、拾ってきたんだよ」

落ちてたのね。

かわいい見た目とは対照的な
硬いガリッとした赤い皮をナイフでそいでいく。
身はザクザクしてて水分もあまり出てこない。

「食ってみろよ」と即されて
人切れ口に入れる。
なかなかの噛みごたえだ。
甘さよりも酸っぱさが先にたつが
嫌な酸っぱさではない。むしろ懐かしい。

昔の林檎ってこんなんだったんかな?と聞くと
「そうかもな」とそっけない。
銃身のくすみのほうが気になるみたいだった。

ブサイクな8当分にして皿に盛って
則さんに持っていくと

「おれはいい」

食わんのかい!

いつも後から気付くんだけど
則さんって意外と不器用なところがある。
いつもは命令口調で上から言われるけど
たまにこんな時があるんだ。

僕が感じたのは
その人のことを思って
押し付けないでいてくれるんじゃないかなって。

ブイブイしてた頃の則さんはどうだか知らないけど
僕が出会った頃というのは
フィリプソンの問題や
バスブームに陰りが見えてきたぐらいの時で
言葉は悪いけど
それまで仲がよかった人に裏切られたり(と感じたり)
人が離れていったりで
淋しかったんだと思う。

そこに応援する友の会がでてきたり。
僕みたいな鉄砲玉がでてきたりで
ココロの中の隙間のピースにピタッたハマったんじゃないかな。

その辺は話し込んだわけじゃないから
僕が1対1で付き合ったときに感じたことだ。

「今日、釣れてよかったな」
突然の嬉しい不意打ちに
うん、と一言だけ返して
ニマーーっと笑い則さんを見る。

「明日は早くからみんな来るんだろ?」
ほら、不器用だ。

そう明日は友の会の忘年会がまたここで開催される。

2階の寝室に上がる雰囲気だった則さんに

「ぼく、風呂入らないと寝れないんっすけど?
今日ほら、釣りも頑張ったし」
まだ言ってる。

「つかるのかよ」
「うん、つかりたい」

舌打ちもせずに左奥のバスタブにお湯を張り始めた則さん。

秋の夜のやさしい風や
程よく入ったアルコールのせいではなくて
友達を大事にする
不器用で優しい熊みたいな人なんだよ。

僕は今でもそう思っている。


つづく。



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9/9


ロッジの、いつにも増して重たい扉を開けると
則さんの愛犬から吠えまくられました。
詳しくないので犬種は分かりません。
ただ狩りにつかう大きな犬です。

第一声が
則さんの「バカヤロー」だと想像していたから
大きな犬に慣れていない僕はビビりましたね。

ロッジには他にもお客さんがいて
もう食事をされていました。
則さんはこちらを向きません。

取材、なんとか一本出しました!との報告も
無視。

こんな時の無視は辛い。
怒鳴られたほうがよっぽどマシですよ。

僕は負けません。
たしか、何か冗談を言ったと思います。

無視。

となりで友人が小さな声で
「マズい、マズいって」とつつきます。

僕の存在を外しての宴は静かに続きます。

ま、いいか
諦めの早い僕は
ならば、食って飲んでやろうと
シーバスで有名な古山さんが作ったばかりの
鴨のローストか何かを大皿から自分の皿にとった。
たしか、どこかで則さんが猟でしとめたという話。

そうだ、ココで
「こんな美味い鴨は初めて~」と
キャピキャピ声で言えばウケるかも!

ヌロンっとした柔らかそうなお肉からは
肉汁が溢れ出て、なんと美味しそうなことか。
明るく、明るく、いただきますの挨拶。
元気に、元気に頬張ります。

ガリッ!
周りが驚くぐらいの硬い音がしました。

ふんが!はんが!と
オッサンが鼻毛を抜くときに出すような
変な声を出したと思います。

それがまたなかなかの大きさ。
口の中に指を入れて取り出してみると

ナ、マ、リ???
鉛みたいな物でした。

それを見たとたん
「ガハハハハハハーーッ」
と豪快に笑う則さん。

「そりゃあオマエ、散弾銃の玉だ、ガハハ」
と笑いが止まらない様子。

「オレの弾だな」
「どうだ、美味いだろ?ガハハ」

ココはしてやられた感を出しておかないとね。
苦い顔で「う、うまいです・・・」

先ほどまでとは電圧が上がったように明るいロッジになりました。
ニコニコして料理を頬張った。

則さんは椅子から立ち上がり
シェーカーを振り始めた。
「ほら、飲め」と
お得意のマルガリータがでてきた。

ココは九州男児を見せておかないとと
一気に飲み干す。

「ったく、オマエは品がないなぁ」
とニコニコ顔。
「いい酒も台無しだ、ガハハハ」

もうここまで来れば大丈夫。
さて料理を腹いっぱい頂きましょう。

あの則さんが作ったパスタ
なんだったんだろ。
すっげー美味かったなぁ。

壁には魚の剥製に
無造作に置かれた釣り道具。
高そうなオーディオの金属感だけが今風で
あとは木の温もりに満ちたロッジ。
時間を忘れる空間だ。

夜のとばりとともに
誰かの気の利いた「そろそろ」という言葉で
素敵な時間も、おひらきとなった。

家主を残して挨拶をしながら皆表に出ると
家主が叫ぶ。

「おのやまー!」
ん?と振り向くと

「オマエはココに泊まっていけ」

監禁である。
夜はまだまだ眠らないようだ。

つづく



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9/8


2000年もまた
木更津のスポーツザウルス社で忘年会のお誘いを頂きました。
去年と違ったのは
バスワールド誌から取材をしたいと申し出があり
千葉の友人の並木さんが受けることになりました。

僕も忘年会前日に千葉に入り
その取材に同行。
その取材に来たのは
のちにトップウォーター専門誌を立ち上げることになる
エバトヒロシさんでした。

並木さんの取材が進み
午後、近所の川で釣りをすることに。
それは釣りクラブだから当然ですよね。

そして夜には
則さんがロッジで飯作ってるから来い!
とのお誘いを頂いてたので
ちゃちゃっと釣って行けば間に合うだろうと
タカをくくっていました。

そうです。
こういう時には問屋が卸さないものなんですね。
遡上しながらよさげなポイントをみんなで打ち込んでいきますが
川は静かに眠っていました。

マズい。もう間に合いませんよと
ボートを反転して下りながらルアーを打ち込んでいくも
さっぱりブラックバスからの応えはありません。

あたりも薄暗くなり始めた頃、
高圧電線の下、ブッシュに囲まれた小さな流れ込み。
手前には孟宗竹だったか、細い竹が覆いかぶさり
とてもルアーを中に入れることはできない小川でした。

打てるところはすべて打った。そして居ない。
居るなら打てない所しかない。

パロット色のダンプティークリンカーを結び
高い軌道で奥へ放り込みました。
当然、ラインは竹に引っ掛かり宙に浮いたまま。
ルアーが上を向いて浮き上がらないように
ゆっくりリトリーブすると
カチカチと音を立てていたルアーが聞こえなくなると同時に
笹がゆさゆさを揺れ始めました。

きた!(と思う)とロッドを立てて強引に引き釣り出したバスは
30センチぐらいだったかな。
普段なら気にもとめないサイズだけど
その時は貴重な1本。
暗闇の川の上で
みんなでワーワー喜んだのを覚えています。

1本釣れていい気になったのか
僕は前回の宮崎での取材で
則さんが言った言葉を覚えていました。

取材ではこういうカッコイイ言葉が出るものなんだな。
いつか使えたらカッコイイだろうな。

僕が持つバスにカメラをかまえるエバトさんに言いました。
落ち着いて、低く確実に言いました。

「光量、だいじょうぶ?」

いかにも取材なれしたような
いかにもカメラに詳しいような口ぶりでね。

エバトさんは
「あー大丈夫っすよ」と軽く受け流し
シャッターを押して淡々と仕事をされております。

重い言葉も
軽いヤツが言えばこんなものです。

とにかく魚の写真はおさえられたので
僕らふたりはボートの片付けも任せて
則さんのロッジに急ぎます。

則さんが料理を作って待っているロッジ。

僕はなんとなく
釣るという仕事を完結させてきたのだから
釣りの神様は怒らないだろうと
またタカをくくっていました。

そしてポツンと灯りがともる
則さんのロッジに着いたのです。
約束の時間はとうに過ぎている。

いざ、釣り神様のロッジ、
いざ、恐怖の館へ。


つづく。



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9/7


入荷数は少なかったけど
最初のルアー抽選販売は続けることにした。

月末に来月分のオーダー表がきて
ホームページでアップ。
ご予約を受け付けて入荷後、個数を確認して
抽選をして発送のスタイルを続けた。

入荷してアップ、完売したら終わりが一番楽なのだろうけど
当時はバスルアーブーム。
なるべく手に入らない人に回してあげたかったからだ。

とは言うもの僕の人の子。
ルアーの抽選希望に
「当選したらロッドを一緒に買います」なんて書いてあると
当選させた事もあります。

ルアーを手にしてもらいたいという思いも
とにかく会社のいち部門として稼働していたので
売上を上げたいという思いも
両立させていかなければならない状況でした。

当時は大手ショッピングサイトもなく
釣り具屋のネット通販もすくなく
全国から凄い注文が入って来てましたね。

ファイブオーはたまに遅れて仕上がって来る分があって
営業さんもそれをまた振り分けるのも面倒なので
ごっそりうちに回してくれてました。

バルサ50オリジナルサイズのピンクコーチドッグは
通常1、2個の入荷でしたが
遅れて仕上がってきた分が全部うちに回ってきました。
たしか30個ほどあったと思います。

営業さんから
「売れなかったらなんとかしますから」と言われたものの
もちろん一瞬で完売しました。

一緒にと言ってはなんですが
その時、ウッド製のホッツィーBigが
売れなくてもの凄い数が余っていたんですよ。
いいルアーなのにね。
その相談も聞いていたので
うちに注文をくれてた人だけにメールを送って
秘密の販売ページでセットで売ったと思います。
ですから、うちだけに30個入荷したのは
バレてないはずです。

ここのホットラインも
オープン当初から書いているので
もう20年書き続けているのですね。
自分が驚いています。

スタート時は「ブログ」や「SNS」なんてシステムが無かったので
アップするのも随分と手間が掛かりましたが
九州営業所や関東営業所の営業の方々や
工場の方々、そして則さんから沢山の情報を集めていたので
スタート当時は書く苦労はまったくなかったです。

何よりもホットラインを読んでくださった方々から
「こうだ、ああだ」と反響のメールが嬉しかったですね。
そういうメールの返事も楽しい仕事でした。

自分が発信したことにダイレクトに思いを聞ける。
これは僕にとっては、楽しく、大きく、
ココを続ける大きな原動力になたことは言う間でもありません。

そしてミレニアムイヤー2000年の忘年会がまた開催されました。

つづく。





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9/3


もうひとつ
ザウルスキングのオープン前にあった。
セミナーと同じ7月にバスワード誌の取材。
宮崎県でやるということなので「来い」との事だった。

こうやって則さんがひと月に2回も九州に足を運んでくれるのは
新設された九州営業所の若い2人の努力にほかならない。

現地についてボートをセッティングし終わると
「オレはおのやまの船に乗る」と
則さんがドカドカと泥のついたブーツで乗り込んできた。

え、え、え
ってなものである。

サポート艇と思って来ただけに
メイン艇となってしまった。

あー新艇フルセット買ってよかった。
と内心思いながらも初の雑誌取材。

八郎潟の苦い思いをしたくないので
欲は捨てた。
操船に徹する。

ボートを湖面に滑らせる。
前席には則さんの大きな背中。
前が見えない。

雨が上がった山奥のリザーバーは
所々に立木や浮遊物がある。
それが真正面にあるとまったく見えない。

則さんがゆっくりと大きく手で進路を示す。
右手が伸びると「進路を右にとれ」の合図だ。
これがまたなんともカッコ良く
いつか真似したいと思っているのだけど
船を出す身なのでいまだにやったことがない。

鋭角に切れ込んだワンドを奥に進んでいくと
最奥に生きている流れ込みがあった。
アンクルスミスの連続アクション。
ガボ、ガボ、ガボ

ルアーが浮いてこない。と思った瞬間に
則さんのフィリプソンBC60Mが空に立った。

上がってきたブラックバスは
サイズこそ満足いくものではなかった。

則さんは後ろを振り返り僕の顔を見て
「な、言っただろ?」

何を言ったっけ?
まあ良い、内心ホッとしたのは事実だ。

夕方の釣りを終え
宿に帰ると土砂降り
山の天気は変わりやすく容赦ない。

翌日は釣りもできず
温泉とうなぎでのんびり
ザウルスキングのオープン前ということで
釣具店とはの話が多いかと思えば
鍋の作り方、その後の雑炊の作り方
そんな話ばかりだった。

なんとも贅沢な6日間の取材だったな。

地元に帰ってきて
ボートを洗っている時に
釣りの仕事一本でやっていきたいと
真剣に考えていた。
そして来月オープンへの気合いも乗ってきた。

しかしながら今はサラリーマン
1週間の溜まった仕事を片付けるのが先だった。

つづく


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9/3


ザウルスキングがネット上にアップされる前の月
7月1、2日に佐賀県北山ダムで
則さんを迎えてザウルスセミナーが開催された。

友の会もこのイベントをサポートした。
邪魔もしたけどね。

電話ではいつも話していたけれど
2月以来、久しぶりに会った則さんは
シベリアのトラウトフィッシングから帰ってきたばかりで
その土産話に聞き入ってた。

「おのやまも来年一緒に行こうな」

普通のサラリーマンであっても
則さんからこんな風に言われると
不思議と行けるような気がしてくるもんだ。

いやいやどう考えても
1週間も仕事を空けるなんて無理だ。
と胸の内を伝えると

「バカヤロー!」
久しぶりに怒られる。

どうしてバカヤローっすか
どれだけ仕事できると思ってんすか?

「オマエがいなければ仕事が回らない」は
何も偉くない。
「オマエがいなくても回るようにオマエが準備していない」
それはオマエの怠慢だ。

これにはグウのネも出ませんでした。

自分がいなければこの会社は・・・
と言っていたのが恥ずかしくなった。
こういう釣り以外の事を教わるのが
とても楽しかったな。
それ以来、仕事に対する考え方が変わった。

セミナーでは
沢山のザウルスファンと
楽しい時間をご一緒させていただいた。
今でも何人かのセミナー参加者の方とは
仲良くさせてもらっている。

トップウォーターバスフィッシングを通して
できた友人の数はもの凄い数だし
なにより今でも付き合ってくれる友人も多い。

つづく




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9/2


とにかく20年前のその日
スタートしたわけだ。

しかしながら
釣具店で働いたことがあるわけでもなく
業界のことが詳しいわけでもなく
ただ単にザウルスが好きで始めた釣具屋
そんなに上手くいくわけがない。

毎月どれぐらいの数が割り当てられるのかも分からず
予約なんかを取り始めたものだから
もの凄い数の注文メールが入る。
電卓でその数を単価で掛けて
ニヤニヤしていたら
入荷数はほんの数個。

それでも九州営業所の友人たちは
頑張ってくれてたんだと思う。

社長とどんなに親しくても
経験不足の新参者であった。

おまけに名前の大きさである。

僕のところに直接は何も来ないのだが
次第にあちらこちらにクレームが入り始めた。
ザウルスは直営を始めたのか?
ザウルスのネームやロゴ文字を無断で使用している。
我々(他店)の知らない情報を知っている、流している。
ザウルスの社員さんたちには随分と迷惑をかけていたが
顔見知りの社員さん達からは行け行けと逆に応援してもらった。

クレームは最終的に則さんの一言で収まっていた。
「オレが良いって言ってるんだから良いんだよ」

「出る杭は打たれる」
ならば
「打たれないぐらい突き出る」
そう思っていた。

後にネットの巨大な匿名掲示板で
「座右菌」と表示され叩かれまくることになるが
その時でさえ楽しく読んでいた。
それが生きる力にもなっていた。

まあ、しかし
始まった当初、
右も左も分からない新参者は
少し天狗になっていたのかもしれないね。

つづく



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9/1


それからというもの
バルサファイブオーはいいよー
則さんはすごいよー
と釣り仲間に語りかけていた。
それはまるで宗教さながらだっただろう。

ある釣り人の言葉

「それは分かるけど、手に入らないじゃない」

そうなのだ。
当時はバスブーム。
ハンドメイドの製作数の少ないルアーや
人気のルアーは店頭で殆ど見かけることもなく
常連さんたちや
ロッドやリールなどの高額購入者のモノになった。

僕の頭の中には
バルサファイブオーを買えるようにしたい
則さんの、この会社の魅力を伝えたい
そればかりだった。

・・・やはり宗教みたいだ。

僕ができることといえば
友の会で知ったパソコンの使い方と
則さんや仲良くなった社員さんたちと電話で話せること。
商品だけでなく
情報を発信できるサイトを作ること。

スポーツザウルス社専門の通販サイトが
具体的に成り始めたのは春も終わり
蒸し暑さが増してきた頃だった。

当時の僕といえば
営業会社のサラリーマン。
インターネットによる個人での出店は
まだまだ認められる時代ではなかったので
その会社でインターネット事業部を立ち上げ
そのいち部門として通販業務を行うことを条件に
スポーツザウルス社からの商品提供契約が結ばれた。

さてさて店の名前を何にする。

実は早い段階でどうするのか決めてあった。
則さんに店の生をつけてもらおう。
そのことも伝えておいたのだけど
まったくその話がこない。
ヤキモキしていると
力強く住所が書かれた封書が届く。

則さんだ。

開けてみると

店の名前は「ザウルスキング」にしろよ
どうだ。

ぶるぶると震える手で
則さんに電話をかける。

「則さん、名前、僕には大きすぎます」
と、挨拶もせずに僕。

「大丈夫だ」

何が大丈夫かさっぱり分からなかった。
出店に向けて走り出してから
この名前をもらった時が
一番、不安に襲われたときになった。

つづく


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8/31


西暦2000年、ミレニアムイヤー。
この年は僕にとって大変大きな意味を持つ一年だった。

スポーツザウルス社も2000年ということで
主要都市で単独の展示会をすることになった。

福岡は2月27日

ここで友の会は
スポーツザウルスの新製品展示会に
バルサファイブオールアールアーのコレクションを
展示してはどうかと持ちかけた。

社長である則さんは
「おお、いじゃないか」と軽くひとつ返事だったが
営業サイド側は当然、NGである。
今年の売れ行きを左右するかもしれない展示会に
いわば「遊び」を持ち込まれては困るということだ。
今の僕ならこのNGは理解できるが
当時の僕にはさっぱり分からず
少々強引な手段を使ってなんとか了承をもらった。

もらいはしたが
会場設営時からピリピリしていた事を覚えている。

とにかくお客さんに喜んでもらえるよう
頑張るしかなかった。

会場がオープンしてどっとお客さんがなだれ込む。
たしか入場制限がかかったと思う。
僕は友の会のブースの前で準備していたが
すぐに則さんに呼ばれることになる。

「おのやまー!バスロッドの説明をしてくれ」

当日、午前の部は業者時間
釣具店や問屋さんにバスロッドの説明をしろと・・・
僕はいちユーザーなんですけど
などとぶつぶつ言いながらも
お役に立てるのならとすぐに背筋を伸ばして
展示ブースのほうへ向かった。

周りを見れば
各ブースにテスターさんや社員さんたちが
説明をしていたが
バスロッドのコーナーには誰もいなかったのだ。

普段からヘビーユーザーでもあり
また開発秘話や、こだわりを聞いていたので
意外とどうにかなるもんだ。
説明した新製品のロッドに対して
「納品はいつ?」と聞かれたときは
さすがにそこは営業の方を呼んだけど
後ろ手にグッと拳を握って嬉しさを殺していた。

「好きなものを人に説明して売るって面白い」

説明しながら陳列してあるロッド群越しに
友の会のルアーブースに目をやると
凄い集客をしている。
嬉しかった。

沢山の来客があり
則さんもご満悦のようだった。

夕方になり片付けを済ませ
みんなと別れを告げる。
どっと疲れがでる。
遠方からきた友人たちとあまり話していない
意外といっぱいいっぱいだったみたいだ。

「好きなものを人に伝える」
そればかりを考えていた。

ここでスイッチが入ったのかもしれないな。

つづく


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8/28


ぐでんぐでんに酔っていながらも
宴会での吉田幸二さんの話はしっかりと覚えている。

「いいものは100年残る、かならず残る」

この言葉は
バルサファイブオーや道楽のルアーの話だったと思うけど
僕はこのお話を聞いたときルアーは作っていなかったので
その言葉を「言葉」や「行動」と捉えた。

今でもしっかりとこの言葉が僕の中にある。

あんなに酔っていたのに
この言葉だけはしっかりと覚えている。

次の日の朝
早々に帰る長崎組のために
矢木くんが羽田まで車で送ってくれるというので
6時にホテルのロビーに集まる。

驚いたのは
そこには藤原ユーイチの姿も
あんなに酔っていたのに早朝から
見送りに出てきてくれた。
今でも付き合いがある大切な悪友である。

会のイベントから帰るたびに
僕の中で則さんやスポーツザウルスのために
何かできないかと常に思うようになる。

則さんに憧れて
バルサファイブオーが好きで
この釣りが好きだった、いちユーザーが
こんなに濃密で素晴らしい経験ができたことは
会のみんなのお陰ほかならない。

インターネットの普及とともに
様々な新しい事が起きる前触れだったのだろう。
世紀末問題などと大騒ぎをしながら
1999年は幕を閉じた。

つづく



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8/27


千葉県木更津にある
スポーツザウルスで
忘年会をやろうということになった。

たぶん、則さんからのお誘いだったと思う。

行くよね、絶対行くよね。

バルサファイブオーが作られている
工場を見学できるチャンスなんて
こんなチャンス!行くよね。
そして、
その奥には
男の憧れというか夢というか
釣り道具やら、すっげーオーディオやら
詰め込んである
則さんのログハウスがある。
絶対行くよね。

それまで仕事を必死でこなして
11月27日に羽田空港に降り立った。
そこには関西のメンバーと
恐ろしいたたずまいであの「藤原ユーイチ」が、
仲が良かったサーフェイスバンデットの「KAZ」もいた。

いつも迎えに来てくれる関東のメンバーの車に飛び込み
東京湾に浮かぶ「海ほたる」に驚くきながら
対岸の木更津へ向かう。

道路からそれ雑木林の中を走ると
あの本で見慣れたスポーツザウルスの社屋が現れる。
そしてその奥にはあのログハウス。

車から降りて人の多い方へ向かうと・・・

「おのやまー!」
みんなの会話をつんざく野太い則さんの声

「もう、ったく・・・」なんて言いながら
ニヤニヤして駆け出したのを覚えている。

ひととおり挨拶をしたあと
しばらくは則さんのとなりで飲んでいた。
吉田幸二さんがいる、道楽の山根さんがいる、
松本さんに山科くんもいる
トップウォーターバスフィッシングの牽引者たちが集う。
が、
やっぱり気になるのはロッジ
中を見ていいですか?と了解を得て
ドキドキしながら中に入る。

誰もいないと思いきや
関西のメンバーと藤原ユーイチがどーんっと座って
持ち込んだラム酒を飲んでいた。
ここでユーイチと意気投合
怒涛の飲み合いになる。

持ち込んだ酒はすぐに空となり
ココに沢山あるやんかと
則さんのお酒のコレクション棚を勝手にあけ
ブッシュブッシュと栓を抜く。

のちに
「あの二人を揃えるな」と語り草になった事件である。
だけどこの無断飲酒事件について
則さんから怒られたことはない。

話はそれるけど
則さんの奥さんに初めてお会いした時に
「あなたね!うちのお酒を飲み干したのは!」
とこっぴどく怒られた。

お酒が足りなくなって
その日、山根さんが則さんに手土産に持ってきた
高級シャンパン2本も飲み干した。

これは栓を開ける前にかなり止められたけど
二人が止まるはずもなく
栓を開けて飲みだしたら
周りから人が離れていったのを覚えている。

淋しがり屋の二人も外の皆に合流した。

外で飲んでいると
則さんからドンペリを渡された。
もちろん則さんはロッジのお酒がなくなっていることを知らない。

僕はかなり酔っているもんだから
なかなかスムーズにドンペリを開けきれすに手こずった。
手こずった挙句が
開けた途端に噴水となって
半分はこぼしてしまうという大失態をやらかす。

誰と何を話したかまったく覚えていない
とにかく藤原ユーイチと飲んだ記憶しかない。

そこから夜の宴会場があるホテルにバスで移動するのだけど
吉田さんと山根さんに挟まれておとなしくしていたのではないかと思う。
たぶん。
おでこに山根さんに落書きされていたので
おとなしくしていたのだと思う。
たぶん。

夜の宴会場では
ユーイチとふたり、ドロ酔いをすぎて
ドロになってぐっちゃりしている写真が残っている。

あんなに飲んだのは久しぶりだった。
まったく貴重な宴会だったのにね。

つづく




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8/26


地元に帰ってきてから数日は
夢のような現実に仕事に身も入らず
だらだらとしていた。

そこに届いた一通の封書。

則さんからだった。

「オマエの中に熱い物を見つけた」
そう書いてあった。
なぜか、その一行を見て
うるうるとココロが揺れたのを覚えている。

最後の言葉は
「漁夫、二竿を持たず」で締めくくってあり
それは
ひとつの事を必死でやれというメッセージだった。

目が覚めた。

この人から呼ばれたら
すぐに飛んでいって役に立てるようになろう。
そのためには今の仕事を一生懸命やろう。

則さんの携帯電話の番号が書いてあった。
書いてあるってことは
電話してこいってことなのであろうから
恐る恐る手紙のお礼も兼ねて電話してみる。

「はい」
憮然とした起こっているような声。
うむ、タイミングを間違えたか。

「長崎の小野山」と伝えると
「おーおー!」

何かあったら
何もなくても電話してこいと言われた。

則さん、電話をかけると喜ぶのである。
これ以降は僕の番号を登録したみたいで

およそ神様とは思えない軽くかわいい声で

「あいよ」
と出てくれるようになった。

そうして夏の暑さも緩み始めた9月
もう一度、八郎潟で釣りをすることになったけれど
サラリーマンの中間管理職。
そう安安と出ていけるものではなく
とても残念。

だけどまた
会のほうにビッグニュースが入る。

つづく



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8/24


次の日の午前中
仲間たちと釣りを楽しみ
我々、九州組は飛行機の関係で
先に上がることになっていた。

バタバタと身支度を整えていると

「おのやまー!」
則さんがこちらにやってきた。

呼び捨てされて昨日の挽回が
夢ではなかったと感じる。

茶髪のロン毛、アロハ姿のチャラ男に
右手を差し出してくる則さん。

有難うございます。と手のひらを握る。

「おのやまー、握手というものはな
こうやってするんだ」

親指の付け根、奥と奥をグッと合わせてしっかり握る。

則さんは「うんちく」が多い。
思い返せば
あまり釣りの事を教わっていない。
「男として」大事なことだったり
「人生を歩んでいく」ことに大切だったりもする。
もちろん、つまらないことも多かったけどね。


握手。
則さんから沢山の事を教わったが
それが最初に教わったことだったかも知れない。

ずんぐりとした肉厚の握りにくい手だった。


車で来ていたメンバーの方に
秋田の空港まで送ってもらう。
思い出話で盛り上がってはいたが
頭の中は何かこう
ジグソーパズルが完成しつつあった。

地元の友人から
ブラックバス釣りとバルサファイブオー
そして則さんという人がいて、と教わって
そこから何年もその釣りを楽しんでいたら
則さんと会い、釣りをし、酒を飲んだ。

夢が叶った。
夢が叶った?

叶ったというのはココがゴールなんだろうか。

僕の頭の中は充実感というより
この先の期待感のほうが大きかったように思える。

バルサファイブオー、そして則さん。
自分がとてつもないシアワセな時間を過ごさせてもらったから
何か役に立つことをしたい。

そのことで頭がいっぱいであった。

1999年7月18日のことである。


つづく



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8/21


北国のラーメン屋
前髪がないと食事がしやすい。

太陽が出ている時間
まったく冴えなかった反動で
ラーメン屋ではずいぶんと大騒ぎしたのを覚えているが
大量に流し込む酒のせいもあって
話の内容はあまり覚えていない。

ただ、お調子者の僕は
神様、則さんのことを「オヤジ」と呼んでいた。

実は則さん、あとで聞いたのだが
「オヤジ」と呼ばれることはあまり好きではなかった。
理由は色々あるけれどね。

歳が離れていようが
釣りという趣味で知り合った「友達」「仲間」でいようと。

だけどこの頃には
僕がどんだけ調子に乗ろうとハズそうと
にこにこして「うんうん」と聞いてくれ
間違ったことをするとすぐに「バカヤロー」と
直してくれた。

最初に「バカヤロー」を言われたとき
素直に嬉しかった。
それに喜んでいると「オオバカヤロー」と
上級バカを頂きました。

宴が進み
則さんも酒が入っていたのだろう。

向かいに座る○○ちゃんと僕に

「オマエら、俺が死んだら棺桶をかつげ」
そう真顔で言われた。
そう言われた人はそこそこ居るのだろうけど
さっきまで神様だった人から
真顔で言われちゃ
胸の奥にあるしっかりと組み立ててきたパズルが
バラバラと崩れていったような感覚だった。

21年前の色あせてきた写真に
ふたりがまるで怒られたいたずらっ子のように
目を真っ赤にして泣いてる写真がある。

僕はその辺でこと切れて
則さんに足を向けて寝てしまった。

どれぐらい経ったのか
ふと気が付くと
初めて釣りをした大分から宮城に移住したメンバーが
そろそろ帰るというところだった。
そう、彼は宮城から秋田県八郎潟まで車を飛ばしてきていた。

「オヤジー!車にサインしてやって!」
と、復活したお調子者の僕。
「おうよ!」と自動車のボンネットいっぱいにデカデカと
則 弘祐とマジックペンでサインする、さらにお調子者の神様。

みんなの笑い声は暗い空へと響き、そして吸い込まれていく。


つづく



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8/20


真夏の桟橋。
冷えたワインを皆に振舞う神様。
僕にはまわらず。

ココロに北風。
クチビルは動かず
ただただタックルボックスの中のルアーを見てるだけ。

確かにね
茶髪のロン毛
ヒゲにアロハシャツ
首や手首にはジャラジャラ輪っか。
それに付け加えマナーも悪ければ
振舞われないワインよりも冷えた言葉を発する。
こんなヤツは煙たがられるんだろう。

それでも一発デカイ魚を釣れば
釣り魂を見てもらえると思えど不発に終われば
僕に認めてもらえる手段はもうない。

もう何もない。

何もないのか?

円の宴は僕以外は盛り上がったまま。
話の内容は今となっては忘れてしまったが
何かが「できるか、できないか」だったような気がする。

何もないのか?
何もないのか?

ある。
あった!

凹んでも2秒で立ち直れるハートの強さ。

「お、俺は!・・・」
則さんはこちらを向かないどころか反応もしない。

「俺は前髪だけバッサリ落とせますよ」

「バッサリ」の段階で言いながら
ああ、またスベる。やっちまった。そう思った。

「やってみろよ!」
語尾を荒らげ、則さんが僕を初めてちゃんと見た。
いや、見たというか睨みつけた。
その眼光は「口ばかりの軽い男」としての睨みだ。

僕が持ってるものはまだあるぞ。
諦めの悪さ。
そして、有言実行力。

「やってやるよ!」
とまでは言わなかったけれど

確か、雷魚用のラインカッターのハサミだったと思う。
ハサミで自分の前髪を鷲掴みにして根元から切り落とした。

茶髪のロン毛、おまけにチャラ男が、である。

どうだ!とばかりに則さんを見返す。

沈黙。
相手は笑顔にならない。

あー終わったな。
もういいや、九州まで帰るか。

則さんは前かがみになって
足元にある自分のタックルボックスをガサガサと探る。

「オマエ、これやるよ」と
通常のラインナップに無いカラーの
ペンシルベイトルアーを僕に差し出した。

「コレはな、特別に塗ってもらったんだよ、ほら」

この人
僕がこのルアーをじっと見ていたことを気づいていたんだ。

確か茶髪のロン毛でアロハジャラジャラなチャラ男は
前髪がなくても、ちゃんとお礼は言ったと思う。

夕方まで釣りをして
八郎潟湖の近くのラーメン屋だったか
みんなで飯を食おうということになり
風呂で汗を流したあとに店ののれんをくぐる。

「おのやまー!こっちこいよ」

則さんの野太い大きな声。
則さんの座るテーブルが空けてあった。

ま、たぶん、みんな則さんと同じテーブルでは
飯も喉に通らないだろうから空いてたんだと思うが
なによりも

「おのやま」と呼び捨てされたのが嬉しかった。

容赦ない夏の太陽が隠れて
成りを潜めていた北国の涼しい風が
僕のココロにもそっとそよいできた瞬間だった。

「よし、飲もう!」

つづく



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8/19


北国とはいえ
7月18日の太陽は容赦なく釣り人を焦がし続けた。
午前のここち良い風はすっかりどこかに行ってしまった。

交代で乗せてもらったボートで帰ってくると
桟橋ではすでに則さんを囲んで盛り上がっていた。

仲間たちの背中を見ながら道具をまとめ陸に上がる。
そのうちの一人が僕に気づき
「どうだった?」と声をかけられるも
首を横に振るしかない。

僕からは遠い円の中心にいる則さんの
「だろうな」の顔。

僕を見もしないで
「アイツがボートを降りたとたんだよ
ドッカーンっと魚が出てさ・・・
アイツ疫病神だな、ガハハ」

どうやら僕が降りたあと
一緒に乗り込んだ相棒が釣ったらしい。

ココロの落ち込みを見せるのもシャクなので
ふっふっと笑ってみせる。

円の外にいるなんて
何十年ぶりだろう・・・

仲の良い友人が冷えたワインを持ってきた。
満面の笑みで喜ぶ則さん。

「おお、○○ちゃん分かってるね~」

そっか、彼はもう名前を覚えてもらってるんだ。
しかも「ちゃん」付けかぁ。

すると○○ちゃん
「あざーっす、俺の血はワインが流れてますから!」

なんとも薄い普通の返しだこと、と思った。

しかし則さんは「そうかそうか」と笑っておられる。

どうも機嫌が良さそうだ。
もしかして挽回のチャンスか!

僕は円の隙間に半ば強引に入り込み
則さんの足元にあるタックルボックスの前に腰を下ろした。

何か、何か言わなきゃ始まらない。

「お、俺の血はファイブオーっす!」

それまでの人生で、いや、
生まれてから今日のこの日までの人生で
一番シラケた瞬間だった。

なんていうことを言ってしまったんだ。

則さんはワイングラスを見たまま

「ん」
「うん」ではない、短い「ん」
それは返事ではなかったな。
ハイハイ分かったからもういいから的な
まるで句読点だった。

1999年の夏は帰ってはこなかった。

今すぐ帰りたい・・・

つづく


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8/18


則さんが操船するG3ボートは
桟橋を離れ北進する。

なんとか落ち着きを取り戻そうと深呼吸。
ここまで追い込まれては
そう簡単に落ち着くものではない。

そしてまたしくじる。

バッグからタバコを取り出しライターで日をつける。
とりあえずライターはスポーツザウルスのターボライター。
則さんに見えるように火をつけたのを覚えている。

今、考えればなんとも恐ろしい。
則さんは嗅覚の優れた犬のために
タバコをやめた人だ。
もちろん、俺の前で吸うな、という野暮な人ではない。

しかし神様というか、雲の上の人というか
そういうの抜きにしても
目上の人が操船してくれているのに
前で断りもなくタバコを吸うなんて
そんなマナーをミスる僕ではないのに
なんでアソコで吸ったのか・・・

たぶん、緊張やアガることに慣れていない人間が
極度にそういう状態を経験すると
こうなるという悪い見本だったんだろう。

桟橋を出てからボートの中は終始無言だった。

湖面を吹き抜ける乾いた風が生まれた北国の夏の空は
高く、青かった。

僕の頭上以外は。


ボートは
ジュンサイの浮き葉が広がるポイントの手前に止まり
風に任せてゆっくりと流れていく。

「ここは昨日、50センチアップが出たんだ」

当然、釣り師
この言葉に反応する。
後ろの神様も釣り師。
ここでガツン!っとデカイ魚を釣れば
僕に対する冬の木枯らしも止むだろう。

認めて貰いたかったんだろうな。

こういう広いポイントはロングキャストをして
探っていくに限る。
ウイードレス効果のあるダブルフックに変更した
ホッツィートッツィーをテイクバックした。

「行け!僕の名誉!」

固く引き締まった筋肉がボロンの竿に力を与えた。
ホッツィーの初速よりもはるかにリールの回転のほうが優った。

バッグラッシュ。
普段、やったこともないような特大のライントラブル。
必死で対処するも解いてるのか、もつらかしてるのか。

夏の空に遊ぶカッコウの声。

ようやくもつれたラインを解き
流されたラインを回収する。
と同時にボートは対岸に移動する。

そこで釣りをしていた仲間のボートに近づく。
僕は今まで何事もなかったように
背筋を伸ばして余裕の笑みを振り絞る。

則さんが言う。
「もう交代していいんじゃないか?」

僕は暗い闇にすっぽりと覆われたココロを隠しながら
仲間に明るく「代わろう」と声をかけた。

1999年の夏が終わった。

今すぐ帰りたかった。

つづく


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8/17


「そんな熱い連中がいるのなら
一緒に釣りをしないか?」

縁が縁を呼び
この釣りの神様
則さんから会に声がかった。
縁が円になった。

「八郎潟にいるからさ、来いよ」

近々の誘いに喜び驚いたものの
その時、僕はサラリーマン。
八郎潟は秋田県
週末を利用しても簡単な距離ではない。

金曜日の最終便で羽田に降りると
会でチャーターしてもらったバスに乗り込み
夜中に八郎潟へと向かう。

たしか、バスの中では
道楽さんのビデオを見ていたような(笑)

修学旅行みたいで楽しかったなぁ。

朝方、八郎潟の湖畔に着き
桟橋に目をやると
いた。
沢山、人がいたけれど
すぐに見つけた。

見慣れたカウボウイハットにアロハシャツ。
カーキの半ズボンにブーツ。
雑誌で見慣れた人そのまんまだった。

僕が釣りを始めるキッカケとなった
「バルサファイブオーってルアーがあってね」
「則さんって人がいてね」
師匠たちから散々聞かされた人が
目の前にいた。

デレクターチェアにドンっと座り
周りには使用しているタックルが並ぶ。
足元には雑誌で見慣れたタックルボックス
グリーンのアムコが両ウイングを開いて
まるで雑誌の1ページを撮影しているようだった。

僕はいがいとカチコチだったかも知れない。

紹介を即されて後ろから出て行くと
「よく来たな」と右手を出された。
僕も右手を出し
則さんの手のひらを掴んで握手すると
ふっと冷めた感じにかわった。
カチコチながらも営業管理職。
僕はそれを感じとった。

「で、どうすんだ?」
則さんが社員さんたちに言うと
「一緒にボートで釣りを」ってことになり
これまた皆に即されて
トップバッターで則さんが操船するジョンボートに乗り込んだ。

バスを降りたてで遠足気分だった僕は
当然、道具の準備もやってなく
気持ちと道具の整理に
思いっきりドタバタしたのを覚えている。

そして最悪の釣行が始まった。

つづく



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8/12


今日はザウルスキング20周年の日です。
20年ですよ!

1997年にインターネットの売買掲示板に
アンバサダー5000Cを売りに出したのがすべてのキッカケです。

それを買ってくれたのが縁で
千葉に住む彼と色々と話していると
お互いバルサファイブオーが好きだった。
そこから「50友の会」というのを
ネット上に彼が立ち上げて始まりました。

まだまだそんなにインターネットが普及しているわけでもなく
また僕が知識を持っているわけでもありませんでした。

僕のパソコン自体のレベルはまったくのゼロ。

「50友の会」には交流の場としてのレンタル掲示板があって
そこは一週間書き込みがなかったら削除されるという
規則があった。

僕はカウンターを上げるために何をしたかというと
「F5」を押せば済むのを
そんなことは知らないので
一回一回、パソコンの電源を落としてアクセス数を稼いでました。
信じられないでしょ?

もっと信じられないのは
パソコンの電源の落とし方を知らないので
デスクトップの電源ボタンをブチッを切ってました(笑)

会社のパソコンごめんなさい・・・

そんなこんなで続けていると
全国からファイブオーファンが集まってきました。

各地でオフ会や釣行会も開催され
ネットの中で楽しい毎日を過ごしてました。

ネットで知り合った人と初めて会ったのは
大分県のメンバー。
一緒に釣りがしたいねとの話から
ジョンボートを車に乗せて大分まで走りました。

ネットで毎日のように話していたから
ぜんぜん初めて会った感がなくて
忘れっぽい僕でも
あの時の湖上のシーンは今でもしっかりと覚えている。
なにより、
彼は宮城県に引っ越したり、
東京で単身赴任している今でも
時折、電話で話をする仲だ。
たぶんずっとこのままの感じで
付き合っていくのだろうな。

歳を重ねても
こうやって永く付き合える友人ができるなんて
今となっては驚きだ。

そんなネットの世界で
同じ好きなモノ同士が集まって遊んでいたら
1999年、あの暑い夏がやってきた。

つづく





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