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 平日、毎日更新 ホットライン。
 小野山朋実が責任を持ってお贈りします。

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ホットライン 2021 2月

2/26


ザウルスキングへの泥棒騒ぎもひと段落。
盗まれて、取り返すために使った金額は一円も出ず。
盗まれて、出てこなかったモノは泣き寝入り。
すっからかんどころかマイナスからの再出発。
しかし、持ち前の立ち直りの早さでスッキリとした気分だった。

2006年は
CODEのルアー制作と
バスからオフショアの釣りまで走りまわっていたので
意外と釣りをした時間が多かった。

9月には
バス雑誌の取材で紀伊半島を訪れ
池原ダムでバス釣りと熊野の旅の取材をこなしていた。
最終日の夕方5時に和歌山県の山奥にある
那智の滝で取材を終えて
翌朝の6時にはソルトウォーター雑誌の取材で
対馬海峡の船の上にいるという
今思えばとんでもない忙しさだった。

そのバス雑誌の仕事は確か
「釣り人よ旅に出よう」みたいな特集だったと思う。

ビッグレイク、池原ダムで釣りをするのだから
当然、熊野の主、浜松光さんにお世話になる。
5年ぶりの再開だった。

当時の雑誌にも書いたけれど
車同士で路肩で待ち合わせとなったその日
浜松さんの車の後ろに止まって
もたついているとガチャっとドアが開いた。
驚いて外をみると
もうすでに浜松さんが横に立っていて
「いらっしゃい、よく来たね」と
右手を差し出してきてくれた。

見事な居合抜き。
もうすでに人間としての、男としての勝負は決していた。

夜、焼き肉をごちそうになり
盛り上がったまま
浜松さんの行きつけのスナックに誘われる。

そこでは先ほどまでの大笑いは鳴りを潜め
間接照明のうすぐらいカウンターで
浜松さんは、突然しんみりと話始めた。

「大変だったろ?迷惑をかけたよな」
いえいえと返事すると
浜松さんは続けた。

「すまないけど・・・
則のこと、許してやってはくれまいか?」

許すも何も、怒ってもいないし、
迷惑かかったさえも感じてなかったが
浜松さんのこの言葉に
それを伝えるのも野暮かと感じて
僕は黙ったままだった。

そんな事よりと言っては失礼だけど
それを言える浜松さんの男気に
震えるぐらいの凄さを感じた。

話を聞けば
倒産してすぐに則さんから連絡があったらしい。
浜松さんは多くを聞かずに
「和歌山に来なよ、俺の所にいればいい」と言ったそうだ。

善悪と友情は離して考える。
友人が困っているのなら手を差し伸べる。
浜松さんから大事なことを教わった。

とにかく凄い人だった。


つづく


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2/25


オジサン刑事からの電話。

この人は普段から事件以外の事でも
電話してくるので軽く出た。
すると

「社長、捕まったよ」

確か「えっ?」って言ったと思う。

犯人は福岡から車を走らせながら
めぼしいところを見つけては
盗みに入っていたらしい。

確かにあの頃
国道沿いに事件が多発していた。

別件逮捕からの余罪追及で出てきたそうだ。

しかし
盗んでは売り飛ばし、そして使いを繰り返し
返済能力はないとされた。

要するに「盗られ損」ということになる。

今度、店に犯人をつれて実況見分に来るという。
刑事さんに「僕は何をするか分からないよ」と言うと
「壁作ってやるから一発殴っていいよ」と了解を得た。

実況見分当日。

オジサン刑事が明るくひとりで入ってきた。
「どーも、どーも、今からいいかな?」

僕も明るく軽く「おっけぇーっすよ」と答える。
ズボンのポッケの中にはカッターナイフ。
殴って拳が痛くなったら嫌だからね。

事務所の奥で構えていると
オジサン刑事の合図で
警察の方が5,6人、ドヤドヤと窓の外に見えた。

オジサン刑事が近寄ってきながら
「すぐ済むけんね」

もっと近寄ってきて
「ごめん、今日はちょっと我慢しとって」
と小声で言った。

そりゃそうだよね。
いろいろあるんでしょう。
この人は好きだから堪えることにする。
というより、できるわけがない。

ここで少し考えた。

ザウルスキングを
瀕死の状態まで追い込んだ、
僕の思い出までも奪い取った。
犯人は許せない。

しかしだ。

再出発をするのに
犯人のイメージを頭の中に残していいのか?
報復ができないのなら
恨む対象の顔を、人となりを
僕の中に取り込んでいいのか?

僕は嫌いなモノは頭の中から削除できる。
削除しないとそれを考えるだけで時間がもったいない。
どうせ後に削除するのなら
入れない方が
知らないままのほうが再出発しやすいのではないか?

静かに進む実況見分。
僕はそれに背を向けてずっと目を閉じていた。


つづく


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2/22


このオジサン刑事とはウマがあった。

ノリがよすぎて後ろで若い刑事がスンマセンと
手を合わせるシーンもしばしば。

オジサン刑事が最初に何をしたかというと
押収品として保管されていた商品を
全部、戻してくれた。

「まったく、なんばしようとかね
こんなんはすぐに返してやらな」

前の担当刑事がほったらかしだったそうだ。

前の担当刑事はどうしてるんですか?と聞けば

「あー伊藤さんね
あの人は移動になったよ」

僕はまるで勝ち誇ったように笑いながら
「仕事しないからね」と言うと

「定年前は楽な仕事に移るとさ」

一変、イラッとした。

だからヤル気がなかったのか。
それだけでなく
保管されている押収物は
どうも自分で見つけたような事になっているらしい。

もっともっと言うと
捜査上に「自作自演の可能性あり」とあったらしい。
これだけ盗られて
ひょうひょうとしている。
落ち込んでいない。
足跡に迷いがない。
そういう理由だそうだ。

もう額の血管がピキピキいいながらも
ひょうひょうと聞いていた。

若い刑事がもうコレ以上はと思ったのか
「〇〇さん、そろそろ」と表に連れ出した。

「また連絡するけんねーーー」

なんでも話してくれる
良いオジサン刑事さんだった。

2,3日後
そのオジサン刑事から電話が入る。

はいはいと出ると
「おー今夜飲み行こうか!」

飲みの誘いだった。

最初から担当がこの人だったら良かったのに。

そしてすぐに
事件は動き始めるのだった。


つづく


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2/19


買い戻した商品は
すべて証拠品として押収された。

おかしくないか?
僕が盗られて
僕が見つけて
僕が買い戻して
そのまま担当の刑事が押収する。

押収するなら
うちが出した金額を払えよと言えば
ごもごもと初老化する。

不満が溜まる。

年が明けて2006年
忘れもしない3月23日。
その時の事は当時のココにも書いている。
ただ泥棒に入られたことは伏せていたので
サラッとね。

久しぶりにキレた。
担当刑事が店に来て
何か言った。
何を言ったのかだけは記憶が飛んで覚えていない。

バチーーンとキレた。
デスクから立ち上がって
担当刑事に悪態つきながら詰め寄った。
もう少しでクチビルが触れ合うぐらいまで詰めた。
ただ公務執行妨害とかで引っ張られないように
両手は後ろでグッと結んでいた。

10月15日に盗まれて
その月のうちにコチラが出所まで抑えて
それから3月まで何もない。

クソミソ、ボロクソ
それまdねお不満をぶちまけた。

そしたら担当刑事も少々キレて言いやがる。
「俺が何をしたっていうのだ!」
それを聞いてなおさら逆上した。

「なんもしとらんけん頭に来とったい!」
そこからまた怒涛の毒舌攻め。

担当刑事の後ろにいる若い刑事は
立ち尽くしたまま動かない。
僕の方はあまりのひどさにスタッフが止めに入る。

この店をやって20年。
一番キレたことかもしれない。

そして4月になって
元気なオジサン刑事がやってきた。

「おー新しく担当になった〇〇です!よろしくねぇ!」

軽いオジサン刑事だった。


つづく


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2/18


福岡にあるその場所の捜査結果は
「持ち込みを買い取った」
「水曜日に売った」
「全部なくなった」

まるで子供のお使い程度の報告だった。
期待はしていなかったけど少々落胆する。

あれだけの釣具を持ち込んだのなら
盗品と分かっただろうから
相当買い叩いていると思う。

毎週水曜日にある販売会で
盗品だから早く一斉処分したのだろう。

仕入れに来た個人店や業者は知らないけど
持ち込んだ泥棒と買い取った業者は
ズブズブの関係だ。

けど捜査のメスはそれ以上入れられることはなかった。

長崎県警が越県してきて言っている盗品は
もう何もないからうちには関係ない。
それで終わりだった。

あとから聞いたのだが
管轄からそこはもう止めてくれとすぐに連絡が入ったそうだ。
どこもここもズブズブな世の中だ。

かくして
盗品ルートは解明できたものの
まったくどうもできずに終わった。

その間にも
某オークションサイトでは
うちの商品がどんどん出品されていった。
チャーマス北村さん仕様のPENNスラマーも
50個盗られたものだからどんどん出てくる。
出品者も出品地も複数出てきて
とにかく買い戻すためにどんどん落札する。

盗られた自分のモノを
自分で競り合って落札するという
なんともマヌケな日々だった。

盗まれたモノが出品されるたびに
担当の刑事に
その出品ページをプリントアウトして報告する。
がしかし
福岡の捜査が終わってからは
まったくヤル気が伝わってこない。
かと思えば
「もう落札しなくていい」とまで言ってきた。
なんでだと聞くと
「もう流れが分かったから」と言う。
じゃあなんとかしろよと詰めると
ごもごもと一気に老ける。

流れがどうのではなく
ネットにでているのは俺のなんだ
だから買い戻す!

被害者との温度差を痛烈に感じた。

必死で買い戻していたけれど
資金もなくなりはじめ
うちだけ熱い思いでやってるのがバカらしくなって
仲間の商品や大事なモノ以外は目を伏せるようになっていった。


つづく


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2/17


ネットの捜索を初めて一週間。

某オークションに見覚えのあるリールを見つけた。
78年のABU、アンバサダー4500Cだ。
ステッカーの斜め具合が気に入らない個体だったが
こういう時にはそれが役に立つ。
間違いない。

アンバサダー5000も出てきた。
波型カップと言われるそれは
たま数は沢山あるけれど
カップにある傷は間違いなくうちのだ。

出品地は「長崎」だった。

すぐに担当の刑事に連絡を入れると
どうして売っているところが分かった?と
ちんぷんかんぷんな答え。
16年前の初老の刑事にはネット操作のデータはないらしい。

これは自分でやるしかないな。

いらだちを抑えて説明をする。
オークションで競り落とす。
出品者から連絡がくる。
出品者の情報が分かる。
どう?

とりあえず落札してくれ
お金は捜査費用から出しますから。

ヨシッとばかり入札しようとしたが
鑑識の人の言葉を思い出す。
「下見をしに来たか、来たことがある人かもしれない」
出品地は長崎。

ならば僕が落札したら警戒するのではないか?
そう思ったので
あまりこういう事を頼むのは好きではないが
信用できる福岡の友人に落札を依頼した。

見事、友人が落札。
出品者から連絡が入る。
メールには出品者の名前と住所。
すぐに担当刑事に連絡。
刑事さん数名が現場に急行する。

自分の指示で警察が動いているのだから
作戦本部長にでもなったつもりだ。

「いがいと早く解決しそうだな」
ブラインド越しに窓の外をみて
ウーロン茶を飲む。

1時間後、連絡が入り
意気揚々と電話にでる。
「どうだったかな?」

「ただの売り手でした」

ん?売り子?それではバックがいるのですか?
と聞くと
「いや、福岡で仕入れてきたそうです」
その内情を聞いて思い出した。

昔、僕も出入りしていた
質屋が仕入れに行くところだった。

そこは大きなテーブルのまわりを囲んで
テーブルの上に出てくる
いや、
投げ出されるといってもいいぐらい雑に扱う。
それを皆で買い漁るという場所。
倒産品や盗難品などが大量に集まる所だ。

「とにかく捜査員を向かわせます」

出どころが分かって
捜査が進んでいるように思われたかもしれないが
そこを知ってるだけになんともココロは弾まない。

アソコは一筋縄ではいかないな。

とにかく福岡に向かった捜査員の連絡を待つしかなかった。


つづく


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2/16


泥棒に入られたのは
2015年の10月15日だった。

担当の刑事から事情聴取を受ける。
やけにしつこい。
こちらもイライラしてたけど

「50アップ釣りましたよ~・・・あれ?えっ?」って
アホヅラ下げて入ってきたナオキに癒される。

とにかく最初からこのやる気のない担当刑事が嫌だった。

被害にあったものを書き出してくれというので
スパスパ書き出す。
問題は壁一面にあった僕のコレクションの値段だった。
古いアンバサダーのデラックスも数台あった。
海外通販のebayで買ったときは20万円ぐらいだったけれど
僕のだから50万円と多く見積もってやった。

売り場のロッドはみんな高いモノばかりだったし
つい直近に仕入れたPENNスラマーに
チャーマス北村さん仕様のパワーハンドルがついたものが
50台そっくり無くなっていた。

初老の担当刑事には
ロッドが1本5万とか8万円とか
リールの十万円超えがゴロゴロとか
うちにしかないリールとか
そんな事が理解できないみたいだった。

定価計算ができる分での被害総額は680万円だった。

足跡取りの結果、単独犯だということが判明した。
「おお、ひとりで頑張ったね~」というと
黙る初老刑事。
なんか面白くないので鑑識の人達と話をする。
裏の窓から侵入した足跡を追っていくと
「下見をしに来たか、来たことがある人かもしれない」という。

どういう事かというと
足どりに迷いがないそうだ。
ウロウロしていない。
そう言われた。

そんな事聞かされると
ちょっと気味悪い。

ただ、うちにしかないモノが多いので
ネットのオークションに出るとすぐに分かる。
その日からネット探偵になるのであった。


つづく


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2/15


話は少し戻る。

いつもどおりの朝。
のんびりしていると
うちのスタッフから電話が掛かった。

出るとすぐにタダ事ならぬ雰囲気に
聞く耳をたてた。

「昨夜、店に泥棒が入ったみたいで・・・」

慌てて身支度を整えて
店へ向かう。
どうしてか判らないけど
何を盗られたのかな~なんて
いがいと呑気に向かったと思う。

裏の駐車場に到着したら
警察車両が沢山あり
その関係者の皆さんでザワザワしていた。

スタッフが駆け寄ってきて
警察呼んで今、現場検証をしているとの事。

裏の窓が破られているのを横目で見ながら
店内に入ろうとすると
今、足跡をとっているので入らないでくださいと
止められた。

「俺の店ぞ」と強引に入っていくと
昨夜、店を出る時の風景と明らかに違う。
事務所は物取りというか
破壊工作のように荒らされ
店舗に入ってみると
ロッド、リール、ルアー
主だった商品がごっそりと無くなっている。

店舗部分から振り返り
もう一度事務所をみる。
後ろの壁一面にあった
僕のオールド・ABUのコレクションが
全部無くなっている。

この時、何を思ったかというと
「ちゃんと1台1台、
プチプチに包んで持っていっただろうか・・・
袋にがシャガシャ入れてないよな」
だった。

思ったかじゃなくて、それを声に出していた。
こういう所が僕のいけない部分である。

珍しいモノばかりだったので
すぐに捕まって出てくるだろう。
その時、傷でも入っていたら許さん!
それも言っていた。

店に十数人の関係者が物々しい雰囲気で
仕事をされていた。

「この店のオーナーさん?」と
スーツを着たくたびれたおじさんが話しかけてた。
しかめっ面で返事をすると
この件の担当の刑事だという。

正直、初見の感想は
「大丈夫、この人で?」だった。


つづく


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2/12


僕はどっぷりとオフショアの釣りにハマっていく。

すぐに仲良くなった立石くんが佐世保まできて
面白い船があるみたいなので釣りに行こうと
まるでご近所から友人が遊びに来たような誘いに
僕もひとつ返事で彼の車に飛び乗った。

それから向かったのは長崎市。
わずか夕マヅメの釣りのためだけに
久留米から佐世保にきて長崎市へ走る彼の行動力に
呆れるほど驚いたものだ。

長崎市で乗り込んだのは小さなプレジャーボート。
ステータスの朝長俊輔だった。

お客さんや人が去っていく中で
新しい友人がつながっていくことに
心地よい居場所を見つけたようで嬉しかった。

2006年の2月
去年に続き大阪フィッシングショーに出展させて頂いた。
出発の早朝は雪で危うい道路状況だったけれど
友人たちと楽しく大阪入りした。

チャーマス北村さんと久しぶりの再会。
挨拶に続いてすぐに北村さんの口から出たのは
九州のマグロ事情だった。

ヤステンも一年ぶりに会えたし
大阪のルアービルダーたちも沢山来た。
他のメーカーさんたちとも沢山知り合いになれた。
あまり自社の製品説明はしていないけれど
とにかく沢山の出会いがあり
そういった意味でも実りがあったショーだった。

去ったものは仕方がない。
大事なのは今これからなんだ。
そう感じた。

去られても
もうこれ以上は仕方ないと思えるまで
ちゃんと付き合おう。
同時に感じたことだ。

この時の思いは
今でも僕のベースにある。

業界の集まりになれば
決まって新ザウルスの話はついてまわる。
一年前は「名前を変えたら?」と言われて
しょげてたけれど
なんとかこの名前でやり続けてみよう。
その気持ちが強くなったのは
この頃だった。

けれども与えられた試練というものは
実に残酷なものだった。


つづく


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2/11


2006年。

去年から僕が感じていたこと。

あれだけ賑わっていたホームページのカウンター
1日、4000とかいっていたのに
1割を切るようになる。

CODEのロッドやルアーを仕込んでいたので
あまり気にならなかったが
お店に来る人もまばらになる。

スポーツザウルス倒産の余波が
ここで出始めた。
もちろんいつまでも続くものではないと考えていたけれどね。
ネットショップが増えたということもあるだろうけど
注文も次第に減っていった。

でも僕にとって一番大きかったのは
人が離れていったこと。

旧ザウルスが倒産して
釣りをやめた人も多かった。
常連も減り
友人も去り
いままで周りに人が沢山いたのに
だんだん訪れる人も減り
あらためて
僕は則弘祐、ザウルスというフンドシで
相撲を取っていたんだという事実が突きつけられた。
淋しい思いをしたのはこの頃だった。

そんな時だった。
前の年に僕はひとりの男と知り合った。

長崎のザウルス好きのお客さんが
佐賀県の遊漁船でクロマグロを釣り上げた。
すぐに連絡をいれると
クロマグロの話はそこそこで
小さな船を操る船長は
気持ちの良い若者だから会ってたほうがいいよと勧められた。

僕も釣り人の端くれ。
クロマグロを釣ってみたいというのもあったけど
釣り上げたマグロの感動よりも
船長の話を優先する内容に興味をひかれ
すぐに予約を入れた。

その船の名前は「鰤走」、シワスという名だった。
ちょうど、ひとまわり大きな船に乗り換えるタイミングだったので
僕が乗るときには二代目シワスだった。

予約した日、港へ行くと
係留してある二代目シワスの横に
お客さんを出迎えるために、ひとりの男が立っていた。

真っ黒な肌は海の男として当然だが
茶髪にピアスをした20代の若者だった。
内心、「この子?」と思ったが
丁寧な挨拶に少々面をくらった。

当時の遊漁船の船長といえば
どちらかというと「オレが船長だ!」みたいな感じの方が多くて
釣り人は言うことを聞かないといけない的なノリだったが
この青年はまったく違った。
けれども
仕事をしてお客さんにお金を頂くという
サービス業という事を考えれば
この若者が正解だよな。

この若者の名は田代誠一郎。
オフショア界で知らない人はいないだろう。
現、サンライズのキャプテンである。

準備をしていると他のお客さんが寄ってきた。
「コードの小野山さんですよね?」

そう話しかけてきたのが
現、立蔵のキャプテン、立石くんだった。

僕も、僕の店も
元気がなくなっていく中で
新しい歯車がまわり始めた。
年が明けてそれがフル稼働し始める。


つづく


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2/10


2005年というのは
本当に色々あった一年だった。

新ザウルスの復活でスタートして
その動向に気を取られながら
沢山の人と出会って
沢山の人と別れた。

一年間、雑誌の連載も頂き
楽しい旅もさせて頂いた。

西田敏行さん主演の映画
「釣りバカ日誌16」も
釣り師役と観光客役もいただいた。

店のほうも活気があって
いつも常連たちが集まっていた。

土地柄でお客さんと釣りに行くのは
海が多くなっていった。
それにともなって
エイ出版のソルトワールドの仕事が入るようになり
シーバスをはじめ、シイラや真鯛
そしてヒラマサなど
新しい魚種にも挑戦するようになった。

それはシービーワンという
プロ集団とお付き合いさせて頂いた事が
一番大きかったと思う。

普段は和やかに皆で楽しんでいるんだけど
一度、ロッドを握るとピリピリとしたムードの中で釣りをする。
その刺激がたまらなく快感だった。

ブラックバスは
雑誌やDVDの取材であっても
いつも楽しんでいたもんな。
それは始めた頃となんにも変わらない。

バルサ50をわずかに収めた
小さな実釣タックルボックスは使っていたけど
旧ザウルス倒産以降
永遠のスタンダードの本を書き終わってから
コレクションでもある大きなタックルボックスは
この年も翌年も
それから今になってもほとんど開けていない。
オークションやフリマサイトで検索もしていない。

僕のバルサ50愛は
スポーツザウルス期までで
一区切りだったのだろう。

年が明けて2006年。
僕の後厄の年。

今思えば
この年が一番辛い一年だったかもしれない。

少しずつ感じてはいたのだけど


つづく


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2/9


ヴィブラの金型を買い取って
手直しをして新しいバランスになったうちのフィンの事で
岐阜にあった制作会社に連絡しました。

その時すでに
いつも仕事を受けてくれた女性スタッフの方が辞めていました。
フィンまで仕上げてくれたビルダーさんも辞められてました。
そして
僕が金型代を支払った有名アングラーも解雇されていました。

まず説明を求めました。
金型を買い取らせたあげく
それを他社で使うとは何事だと

答えは
ザウルストレインのヴィブラは
おたくの金型を使っていない。
との事でした。

うちのフィンの今後の生産の事もあるので
穏やかに話を進めましたが
僕の中では「この人は信用できない」
それだけでした。

旧ザウルスが倒産して
助けてくれ、買ってくれと寄り添ってきたかと思えば
新ザウルスが立ち上がればそちらにすり寄る。
信用できるわけがありません。

それどころか
フィンのお取引先からも注文が続いていたので
制作依頼をかけると
なんて言ったと思います?

「アチラにはうちでフィンを作る事を黙っていてくれ」

怒りどころか呆気にとられてました。

この言葉が出るということは
アチラからどういう指示が出ていたのか
容易に想像つきます。

この先、この人と付き合っていく自信はない。
信用できない人と付き合う必要もない。
僕はこの時点でフィンを諦める事にしました。

業界の友人たちからは
岐阜まで金型を取りに行こうと勧められましたが
キッパリやめました。

たしかに大きな金額を払いましたが
販売しているときは胸を張って
うちが金型を買い取って作りました。と言えたので
その代金と思えば僕の胸もスっとします。

あとで分かったのですが
本当にうちの金型ではなかったそうです。
うちの金型を複写したということでした。
そういう事もできるのですね。

ですから
ザウルストレインのヴィブラは
最高の動きを見せてくれますよ。

ほどなくして
この制作会社は倒産しました。
当然ですよね。


つづく


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2/8


このバルサファイブオーのオリジナルは
2004年の1月に発売するものだったのです。
どこかに移動されていたみたいですね。

パッケージにくっついていた個体は
まだコーティングが乾いてないまま
パッケージに入れたのでしょう。

新ザウルスが再建して第一陣の
バルサファイブオーが出荷されて
嬉しくもあったのですが
内容をみて少々がっかりしました。

倒産前に移動したから?
そういうのではなくて
出荷前のチェック体制がなってないからです。
ちゃんとやってもらいたかった。

ちなみに旧ザウルスが倒産してすぐ
ストライクトッツィーが4色ほどだったか
ネットで販売されていて賑わっていましたが
これも1月発売予定のモノでした。

このストライクトッツィーは
もちろん本物ですが
別のところで委託で作られていて
それが出回ったという事です。

僕だってそれを販売したかったのですが
声は掛かりませんでした。
その時はあちら側の一味と思われていたのでしょう。

その後は愛知のプロショップのオーナーさんの仲介もあり
今でも仲良くさせて頂いています。
あまりにも仲良くなりすぎて
2004年の春頃に
バルサファイブオーシリーズを作るから
小野山くんが先頭にたってやってくれと言われましたが
それは全力をもってお断りをしました。
今でも皆で集まった時の笑い話のひとつです。

ザウルストレインのラインナップが徐々にアップされていくと
業界の友人たちから次々に連絡が入りました。

「ヴィブラが出てる!」

驚きました。
ヴィブラの金型を買い取ったのに
発売予定に入っていました。

慌てて譲渡契約書や
金型の写真などを見直しましたが
社印や印鑑も押してあり
ちゃんとしたものでした。

「騙された?それとも本当の事件?」

金型を預かっている制作会社に連絡を入れました。


つづく


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2/5


2005年
その年はエイ出版の雑誌、トップ堂で
連載の仕事を頂いた。

春には山口の阿武川ダムで
今ではやらない産卵前の良いプロポーションのバスを狙った。

梅雨前に日本最大の琵琶湖を訪れて
西の湖の葦に手こずった。

夏には四国に渡り
僕が尊敬するビルダーさんの案内でアカメを釣らせて頂き
渇水が始まったリザーバーを攻めて
四万十川を源流から河口まで旅をした。
もう一度やってみたいぐらい
今でもこの時の旅が大好きだ。

佐世保から車で高知入り
ポイントについて師匠に攻め方を教わって
わずか数投で憧れのアカメをキャッチした。
運転で疲れていたので
そそくさと撤退したら
師匠がすぐにメーターオーバーのアカメを釣った。

まだ暑さも残る9月
長野県の木崎湖を訪れた。
バス駆除推進で揺れていたとき
地元のアングラーや日釣振、
漁協や観光協会が組んでバスを観光資源として見直した湖だ。
その記念イベントだったので
日頃、お世話になっている方々からのお誘いで
大阪の友人たちと駆けつけた。

秋も深まる11月
ガウラクラフトと一緒に三島湖を訪れた
冷たい雨のあとに待っていたのは
立派なバスがサッチモホーンに激しく襲いかかる
スーパーバイトだった。

そのあと
上野のスーパーブッシュさんにお邪魔したのだけど
そこに掛かってきた問い合わせの電話

バルサファイブオーの発売されたカラーは何ですか?

そうなのです。
ザウルストレインが発売したルアーは
バルサファイブオーのオリジナルだったのです。

たしか4色だったかな。

このルアーは各地で大騒ぎでした。
人気のルアーだから?
いえ、そういった意味でなく
沢山の不良品が混ざっていたのです。

リップがついていない物。
パッケージにくっついているも物。
フックがついてない物。

そう。正確に言うと不良ではなく
作りかけだったのです。


つづく


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2/4


その策士は
なかなかの切れ者で
則さんの信頼もありました。

ザウルスと付き合い始めた頃
九州展示会に友の会のルアーブースを出そうと盛り上がった時に
NGを出したのも彼でした。
これは企画側からしたら
企業の新製品紹介の場に
いちファンクラブが出てくるなよと
当然の判断かもしれません。

当時の僕は度を超えたお調子者だったので
その企画者を飛び越えて
則さんに直談判して開催にこぎつけました。
企業の企画者としてみれば絶対嫌だったでしょう。

彼に嫌われているのがひしひしと伝わっていました。

それからというもの
お互いが避けていたのもあるだろうけお
あまり接することもなかったのですが
ザウルスキングをやると決まった時に
則さんから
「アイツと上手くやってくれよ」と
優しい目で言われた時の情景を
ハッキリを覚えています。

ザウルスが倒産して
彼と何度か電話で話をしました。
ときには酔ってるなと分かる時もありました。
僕の再建案も聞いてくれました。
ABUリールの則バージョンの発売まで
もう少しだったのにと悔やんでいました。
そして
いくつか他の会社の面接を受けたとも聞きました。

北九州の友人のザウルスショップに
ザウルストレインの取扱いの紹介をしたと聞いたとき
策士である彼がいるのなら
大丈夫かも、と変な安堵感を持ったのも事実です。

僕らはいがみ合っていたけれど
彼の仕事ぶりには一目置いていました。
まったく正反対な彼と僕が分かり合えてタッグを組んでいたら
自分でいうのもなんですが
すごい事になっていたかもしれません。

さて
旧ザウルスの製品を作っていたいくつかの会社は
新ザウルスの立ち上がりに憤慨していました。
その多くは
こちらのザウルス再建案にうなづいてくれていたので
僕はもう謝るしかありません。

自分で自分のケツを拭く。
そんな日々がしばらく続きました。


そしていよいよ
バルサファイブオーが出てきたのです。


つづく


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2/3


旧ザウルスのテスターや社員たちが
新しいブランドを立てて
その後に商標をもった会社、新ザウルスが立ち上がった。

僕は当時
このホットラインに
ザウルストレインの開発陣や制作会社を知らないので
どういった製品になるか判らない。
どれがザウルスかではなく
皆さんがどれを選ぶかです。
そういう事を書きました。

以外にもすぐに反応がありました。

「まるでうちを偽物扱いじゃないか!」
と則さんが怒っているという情報が入ってきました。

そんな事、一言も書いていないのに。
でも
則さん、ここを読んでくれてるんだと
ちょっと嬉しかったです。

しかし
このコメントを最後に
それから則さんから電話が掛かってくることはなくなりました。

とにかく新ザウルスは
アンチ小野山で一致団結したみたいで
似たような名前のネットショップも立ち上がりました。

そこはあまり興味がなかったので見ていなかったけど
僕の友人が北九州でザウルスショップを立ち上げて
新ザウルスの商品を初期から入れていたので
そっちの方が気になりみていました。

いくつか乗せられてる部分が見えたので
忠告はしていたのですが
それでも彼は進みました。
ザウルスはそれぐらい魅力だったんですよね。

大きな取り扱い店が決まるたびに
彼のところには商品が入らなくなり
とうとう僅かな期間で廃業に追い込まれました。
不器用だけど熱い気持ちをもった良いヤツだったのですが
彼もザウルスに翻ろうされたひとりです。
まだバス釣りは続けているのだろうか・・・

新ザウルス、ザウルストレインには
なかなかの策士がいたのです。
しばらくは彼の思い描く通りに進んでいったのだと思います。


つづく


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2/2


新ザウルス誕生のウネリは
僕のところに到達するまで
さほど時間はかからなかった。

まず
旧ザウルスNo.2の方がザウルストレインに戻った。
このことの何が重要かというと
この方は倒産発表時に
退職金替わりに商品をもって行けと
社員数名に言い伝えた方だったからだ。

僕はこの方が大好きだった。
初めて則さんのロッジにお邪魔した時に
則さんから紹介されて
「大勢で押しかけてきてすみません」と挨拶した時に

「則のお客は会社のお客さんです」と言われた。

これを言える人は素晴らしい。
トップ下にこういう方が支えている会社は強い。
お会いできる度に話をさせて頂いた。
旧ザウルスで本当に尊敬していた方だった。

だから
退職金替りに・・・の話を聞いたとき
いけない事とはいえ
やっぱり男気がある素敵な方だと再認識したものだ。

僕はこの情報を
元社員の人がその方と会って
「則さんの元に戻ろうと思う」と話していた事を
電話で聞いた。

それも男気だよね
そう思った。
そう思っただけ。

すると数日後
その方が元社員の人に連絡を入れてきた。

「自分が戻ることを誰かに言ったか?」

聞けば、
業界のある大御所から連絡が入り
「戻るのか!?」とこっぴどく言われたらしい。

元社員の人は
「小野山さんが言ったのかなぁ」ってボソっと言ったら
「アイツか!」とえらいケンマクだったそうだ。

僕は大好きな尊敬できる人から
嫌われたようだ。
なんにも言ってないのに・・・。

違うルートから回った話が
僕のせいになっていた。

僕の悪いところは
こういう噂話に関心がないことだ。
そう思う人は思ってればいい。
訂正なんて絶対にしない。

ただこの事で
新ザウルスの人から聞いた話では
社内がかなりアンチ小野山になったそうだ。


つづく


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2/1


それはココロも揺れるよ。

僕のバス釣りの歴史は
ファイブオーというルアーを
友人から見せられてから始まったからね。

ベイトキャスティングリールで
綺麗に投げ切れる前から則さんという存在を
とくとくと師匠たちから聞かされていたから。

追いかけて、追いかけて
縁あって則さんと出会って
そのファイブオーを背負ってくれまで言われて
僕は違う違う道を選んだ。
そして僕の知らないところでまた進み始めた。
揺れるよ。

よく人から相談を受けた時に
どちらが正しい選択か?より
どちらが楽しいかで選んだら?と言っているが
僕自身は「正しい(と思う)方」を選んだ。

普段は過ぎたことを振り返らない僕が
実は今でも考えることがある。

あの時、すべてを捨てて千葉に行っていたら
あの時、ファイブオーを背負うと決めてたのなら
僕はどんな人生を歩んでいたのだろうか。

それは誰にだって、どこにだって
大小問わず、人生の岐路は出てくるものだ。
振り返ってたってしょうがいない事だけど
これだけは今でも考える。

その後も苦しい時はあったけど
今の人生に不満があるわけではない。
周りの人や友人たち、
とりまく環境にも恵まれている。
どちらかというと
派手に楽しくやっている。
だけれども

則さんが言ったように
「人生のチャンス」だったのかも知れないという思いは
いつまでも僕のココロを締め付ける。
たぶんこの先も
残った人生で何回かは「もし、あの時」と思うかもしれない。

「正しい選択」とは
時として残酷な重しになるものである。

さて、産声をあげた新ザウルス、ザウルストレイン。
その余波はとてつもないウネリとなって
僕の環境を脅かし始めた。


つづく


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1/29


2005年3月
業界の一部はある意味
沸きに沸いた。

新ザウルス
「ザウルストレイン」のホームページが立ち上がった。
そこには・・・

2003年12月末より2005年3月まで
SAURUSは活動を停止しておりましたが
ザウルストレインが志を受け継いで
SAURUSを復活することになりました。

と書いてあった。

旧ザウルスの商標を持っておられる方も
もちろん一緒だろうし
木更津の工場やロッジも抑えてある。
体制は準備万端整ったようだ。

ザウルストレインに入った
何人かの知り合いの情報は来ていたが
僕は決別した身なので
頑張ってねとしか言いようがなかった。

逆にもう
そこから情報を聞き出す気もなかった。

なにより
ザウルストレインが立ち上がったことによって
僕はザウルス再建運動から解放されたことのほうが
とても大きかった。

カタチはどうであれ
ザウルスは復活したのである。

その直後の20日に
玄界灘で発生したマグニチュード7の
福岡県西方沖地震で
僕が住んでいる佐世保も揺れた。

そして
僕のココロも揺れていた。


つづく


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